↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あなたへ捧ぐ祝福  作者: なのか


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
8/48

第7話 偽り

数ある作品の中からちらりと覗いてくださりありがとうございます。

しばらくお付き合いくださいますと嬉しいです。



ーー正直に言えば、最初は主の言葉を疑った。

ヴァランシエンヌ帝国の皇城で、長年侍女長を務めるロザリーは、急ぎ用意させた浴場の湯煙の向こうで、目の前の少女をじっと見つめていた。


先ほど、アルチュール様の執務室で行われた、ルベリオンの王女との謁見。

ロザリーもまた、新たな皇族を迎え入れるための家臣の顔合わせとして、扉の向こうに控えていた。

到着した少女の姿は、おぞましいの一言に尽きた。全身を泥と乾いた血に塗られ、衣服は破れ、異臭を放っている。歓迎されぬ捕虜の末路とはいえあまりに惨く、連れてきた帝国の侍従や騎士たちは「どうせすぐ死ぬ生贄だ」と、隠そうともせず彼女を軽んじていた。


けれど、アルチュールはあの冷徹な声で、ロザリーにこう命じたのだ。


『皇族に相応しい湯浴みの準備を』


彼が「皇族」と明言された意味を、ロザリーはよく理解していた。

あの方は婚姻に興味などないが、信賞必罰において絶対の君主だ。あの方の漆黒の魔力が怒りで揺らぎ、部屋の空気が凍りついたあの瞬間。

(あの怠慢な騎士たちと侍従は、今頃、間違いなく陛下の手で容赦なく切り捨てられているはず……)

自分たちが退室した裏で行われているであろう、身内への冷酷な断罪。主の統率力と性格を熟知しているロザリーには、彼らの悲惨な末路が容易に想像できた。陛下は、あの少女をこれ以上、ただの「使い捨ての捕虜」として扱うことは許さないと、無言の警告を城内に発したのだ。


「……皇妃殿下、お召し物を脱がせますね」

「はい。お手数をおかけします」

帝国の言葉で、静かに、凛と応じる少女。衣服を脱がせていくたび、ロザリーの細い眉が痛ましさに潜められた。痩せ細った肌のあちこちに、石礫で打たれた青あざや、擦り傷が赤く浮かび上がっている。


だが、ロザリーの胸中にあったのは、同情だけではない。プロとしての「疑問」もあった。


この少女には、魔力がない。

我が帝国は、あのルベリオンのように血統に狂奔してはいないため、魔力の有無で人を奴隷にするような文化はない。とはいえ、王族でありながら一滴の魔力も持たないなど、あまりにも珍しく、悪く言えば「空っぽの器」だ。

ほんの少しの割り切れない思いを抱えながら、ロザリーは少女を大きな湯船へと促した。


「失礼いたします。まずは、お髪の汚れから落としますね」

 湯を含ませた柔らかな布で、ドロドロに固まった髪を優しく包む。

 ルベリオン独特の、焦げ付いたような薬品の悪臭が湯気に混ざった。その下にある頭皮を見た瞬間、ロザリーは小さく息を呑んだ。


赤く腫れ上がり、じくじくと爛れた皮膚。


それはパレードの傷ではない。何年も、何年もかけて、毒性の強い染料を頭皮に注ぎ込み、焼き続けてこなければ、決してこうはならない爪痕だった。

(魔力なしの白を隠すために、偽りの黒を強要したのね……)


ルベリオンという国の底知れない歪みへの、激しい憤り。

「痛んだら、すぐに仰ってくださいね」

「大丈夫です。慣れていますから」

じくじくと痛むはずなのに、少女はただ、穏やかに微笑む。

丁寧に、丁寧に、最高級の香油と石鹸を使い、固まった血と濁った黒い染料を、温かいお湯でさらさらと洗い流していく。


その時だった。

「――っ」

ロザリーの手が、止まった。

浴場に控えていた若い侍女たちからも、一斉に、息を呑む音が響く。

洗い流された泥と、剥がれ落ちた偽りの黒の奥から、滑り落ちるように現れたのは、


 ――見たこともないほどに、まばゆい「純白」だった。


それは不吉の白などでは決してなかった。

帝国のどんな美しい宝石よりも瑞々しく、新雪のように清らかで、月の光をそのまま細い糸にして紡ぎ上げたかのような、神秘的な輝き。

お湯に濡れたその白髪が美しく広がり、湯気の中で真珠のような光沢を放っている。

そして、驚いて振り返った少女の「瞳」を見た瞬間、ロザリーは胸を激しく突かれた。


髪と同じ、一点の濁りもない、澄み渡った純白の瞳。

実家で「無能の失敗作」と蔑まれ、泥を投げつけられていた少女は、その汚れをすべて洗い流した瞬間、世界の誰よりも気高く、儚く、そして美しい本物の「王女」へと変貌を遂げたのだ。


全身を純白に染めたその佇まいは、歪んだ魔力至上主義の世界に、決して染まることのなかった「無垢」の証明のようだった。

「ロザリー、さん……?」

 急に静まり返った周囲を不思議に思ったのか、純白の少女――ブランシュが、濡れた睫毛を震わせてロザリーを見上げた。


その瞬間、ロザリーは確信した。

全身を恐ろしい「漆黒」に染め、その強大すぎる魔力の孤独を生きる我が主、アルチュール様。

あの漆黒の闇を纏う皇帝の隣に座るべきは、この泥に汚れながらも決して折れなかった、気高き純白の薔薇しかいないのだと。


今はまだ、お互いに何も知らない。

けれど、この吸い込まれそうなほど綺麗な「空っぽの器」は、いつか我が主の、何かを救うのではないか。そんな根拠のない予感が、ロザリーの胸に深く刻まれた。


「……いいえ、なんでもございません、ブランシュ殿下」

ロザリーは深く、今度は心からの敬意を込めて一礼し、宝物に触れるかのように、そのまばゆい白髪を優しく梳き上げた。

「本当に、お美しいお姿でございます。……さあ、今度はそのお痛みを消すために、特製の薬膏を塗りましょうね」


温かい湯気の中で、純白の髪が、優しく揺れていた。

ルベリオンの泥に塗れた白百合は、今、この漆黒の帝国で、本当の美しさを開かせようとしていた。

お読みいただきましてありがとうございました。

次回もお楽しみくださいますと幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。