第6話 庇護の証明
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ーー反吐が出る。
泥塗れの少女が連れ出された執務室で、アルチュールは吐き捨てるように、心の中でそう呟いた。
部屋に残されたルベリオンの侍従や騎士たちは、未だに冷や汗を流しながら、怯えたように平伏している。アルチュールは彼らに視線すら向けず、先ほどまで少女が立っていた、泥と埃で汚れた床の絨毯を見つめていた。
一ヶ月前、ルベリオン国王が命乞いのために差し出してきた「生贄」。
魔力交配に執着し、血統の純粋さだけが自慢の古臭い小国が、大切に育てた最高位の王女――のはずだった。
だが、現れたのは地獄から這い出てきたような惨状の少女だった。
衣服は破れ、肌は剥き出しになり、全身が泥と石礫による生傷で汚れている。
そんなことは、どうでもよかった。戦場を生きるアルチュールにとって、血も泥も見慣れたものだ。
彼が激しい怒りを覚えたのは、その「理由」に対してだった。
(――魔力なし、か)
アルチュールは、他者の体内の魔力を正確に見通す、圧倒的な鑑定眼を持っている。
先ほど、あの少女が部屋に入ってきた瞬間、アルチュールはすぐに理解した。彼女の体内には、本当に一滴の魔力も存在しないのだ。
ルベリオン王国が交配において異常な執着を見せるように、この世界において魔力とは遺伝の力が大きく左右する。高い身分であればあるほど、より強固な魔力が受け継がれるのが絶対の常識だ。
その血統の真ん中に生まれながら、完全に魔力を持たない彼女は、過去の歴史にも例のない突然変異。
――ルベリオン王国の交配の歴史から見れば、紛れもない『失敗作』だった。
そして、その粗を隠すために、彼女がこれまで受けてきたであろう虐待の痕跡を、アルチュールの目は冷徹に見抜いていた。
ドロドロに固まった黒い髪の隙間から覗く、赤く爛れた頭皮。
あれは、魔力石を削った劇薬の染料で、何年も、それこそ幼少の頃から毎日のように髪を焼き続けてこなければ、決してあんな酷い状態にはならない。まさに、地獄に相応しい苦しみとなるだろう。
ルベリオンの王族どもは、自国に生まれた「突然変異の白」を王家の恥として幽閉し、偽りの黒を強要して身体を痛めつけ、いざ戦争に負ければ「使い捨てのゴミ」として差し出したのだ。
パレードで民衆が石を投げたのも、日頃から指先ひとつで民を奴隷のようにこき使ってきた王家への怨嗟だろう。そのすべてのヘイトを、あの何も持たない少女一人に背負わせて、自分たちだけは城の奥でぬくぬくと生き延びている。
神の祝福、とほざくあの国の階級制度の浅ましさに、アルチュールは心底からの嫌悪を抱いた。
何より――。
アルチュールの心を奇妙に揺さぶったのは、あの少女の『目』だった。
あれほど無残に痛めつけられ、泥を投げられ、本来味方であるはずの侍従たちから生贄として呵責の目を向けられながらも、彼女の目は死んでいなかった。
絶望の底に沈みながらも、背筋を伸ばし、拙い帝国の言語を血の滲むような努力で身につけ、ただ静かに、凛としてそこに立っていた。
「……おい」
アルチュールが低く声をかけると、平伏していた帝国の侍従や騎士たちが、びくりと肩を震わせた。その顔にはありありと冷や汗が滲んでいる。
「ルベリオンの浅ましさは言うに及ばずだが……お前たちの不敬も同罪だ。あの娘をただの『使い捨ての捕虜』と侮り、このような泥塗れのボロボロのまま俺の前に差し出した。我が帝国の騎士でありながら、そのような怠慢と野蛮な行いは決して容認せぬ。畜生にも劣る己の配慮の無さを、今一度恥じて悔いるがいい」
実際には、アルチュール自身は婚姻などどうでもよかった。だが、あの理不尽な世界で一人戦ってきた少女を、これ以上ルベリオンの都合に振り回させ、さらに自国の部下にまで蔑ませるのは、皇帝としてのプライドが許さなかった。
何より、皇帝である自分への『貢ぎ物』を、無残に汚されたままで平然としている部下たちの弛んだ根性が、ただただ不快だった。
「お前たちの身柄は、本日を以て全ての階級を剥奪し、最前線の『強制労働炭鉱』の衛兵へと更迭する。死ぬまで地下深くで泥と砂にまみれながら、帝国のエネルギーの糧を監視し続けろ。二度とその不快な顔を俺の前に見せるな。……連れて行け」
「ひっ、へ、陛下……っ! どうか、どうかご容赦を……!」
悲鳴を上げ、涙を流して許しを請う侍従たちを、別室から現れた近衛騎士たちが情け容赦なく引きずり出していく。バタン、と重い扉が閉まり、執務室に再び静寂が戻った。
アルチュールは、ずきずきと内側から自身の肉体を灼く疼きに眉をひそめた。この呪われた「黒」は、今日も彼を苦しめている。
(ブランシュ、と言ったか)
あの泥を落とし、爛れた皮膚を治療したとき、彼女の本来の姿――あの巨大な『空っぽの器』は、一体どんな色をしているのだろう。
アルチュールは、窓の外の遠い空を見つめながら、無意識のうちにその少女の行方を追っていた。
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