第4話 泥にまみれた
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ガタガタと、粗末な馬車が揺れる。
王女の輿入れだというのに、あてがわれたのは窓にガラスすら嵌まっていない、罪人を運ぶような木製の囚人馬車だった。
ルベリオン王家は、明日をも知れぬ生贄の娘に、金貨一枚すら費やす気はなかったらしい。
ブランシュの頭の中は、いまだ昨夜の血溜まりと、老侍女の最期の慟哭で満たされていた。
『お前さえ生まれなければ――』
『あなたを、愛してしまったのですよ』
私は、誰のことも幸せにできない。
生きているだけで、誰かを狂わせる呪いとなるのだ。
頭皮のただれた痛みにすら気付かないほど、心は冷たく麻痺していた。
そんな少女を乗せた馬車が、王都の中央広場へと差し掛かった時のことだ。
「おい、見ろよ! 王族だぞ!」
「ふざけるな! 俺たちを散々こき使っておいて、戦争に負けたら自分たちだけ命乞いか!」
「人殺しどもめ! よくものうのうと生きていられるな!」
割れんばかりの怒号が、四方から降ってきた。
馬車の窓から見えたのは、痩せ細り、憎悪に目を血走らせた母国の平民たちの姿だった。
この国の支配層は、聖典の言葉を都合よく捻じ曲げて支配の道具にしている。
『力を持たざる民へ捧げよ』
その教えを、貴族たちは「魔力で水や火を生み出してやるから、それを運ぶために平民は肉体労働で返せ」と解釈した。
貴族たちが優雅に指先ひとつで生み出した湧き水を、平民たちはひび割れた手足で、何キロも先にある貴族の屋敷や各家庭へと、毎日死ぬ思いで運ばされる。過酷な強制労働に倒れても、代わりはいくらでもいると打ち捨てられる。
そんな地獄のような搾取に耐えてきた民の怒りは、先の敗戦と容赦ない増税によって、ついに限界に達したのだ。
「指先ひとつで俺たちを奴隷にしやがって! 何が神の祝福だ!」
「死ね! お前たち王族の血ですすり泣いた俺たちの涙の分だ、喰らえ!」
ドゴッ、と鈍い音がして、ブランシュの肩に硬い泥の塊が当たった。
それを皮切りに、積年の怨嗟がこもった石礫が容赦なく車内へと投げ込まれる。
パキリ、とまた音がして、鋭い石がブランシュの額を掠めた。赤い血が流れ、頬の黒い染料を溶かしながら滴り落ちる。
痛かった。けれど、ブランシュは悲鳴ひとつ上げず、ただ泥と血に塗れながらじっと座っていた。
(……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい)
平民たちの怒りはもっともだった。彼らは冷え切った火をみんなで守り、泥の水をみんなで汲みに行って、必死に生きていた。なのに王族の自分は、塔の中で彼らの労働の果実をただ貪り、挙句の果てには国を敗戦に導いたのだから。
やがて王都を抜け、国境である港に辿り着く頃には、追いかけてくる民衆の姿も消えていた。
しかし、乗せられていた囚人馬車は泥や砂、ホコリで荒れ果てていた。中にいたブランシュも例外ではなく、一国の第一王女とは思えないほどに薄汚れている。
手近な布で額の血や顔の泥を拭ってはみたものの、固まった汚れを落とそうと心を配ってくれる存在は、もうここには誰もいない。
そして、ブランシュ自身もまた、自分を慰める存在など欲してはいなかった。
定刻よりも大幅に遅れて、ルベリオン王国の馬車が港へ滑り込む。
そこに待ち受けていたヴァランシエンヌ帝国の騎士や使者たちは、現れた一行のあまりの惨状に目を見開き、二の句を告げられずにいた。
地獄を煮詰めたような有様だった。
だが、ブランシュを受け取る帝国の男たちは、すぐに冷ややかな、あるいは退屈そうな目へと戻った。
開けられた馬車の戸から、ブランシュは表情ひとつ変えずに降り立った。
自身を襲った惨状に悲観するでもなく、粗雑にエスコートを行う御者の不敬に怒るでもない。ただただ静かに、凛とした佇まいで、ルベリオン王国へ背を向けて一歩を踏み出す。
悲哀すら超越したその横顔の美しさに、後方にいた帝国の騎士が、ぽつりと呟いた。
「……畜生のほうが、余程大切にされているな」
それを皮切りに、騎士や御者たちがひそひそと嘲笑を交わし始める。
「放っておけ。どうせあちら(皇城)に着けば、陛下の魔力暴走で肉片も残らず消し飛ぶ命だ」
「死ぬのが今日か明日かの違いでしかないさ」
男たちの下俗な笑い声が聞こえる。
帝国側にとっても、自分はただの「使い捨ての捕虜(生贄)」に過ぎないのだ。
ブランシュはそのまま、帝国の用意した黒い船へと乗り込み、港を発った。
海を渡り、ヴァランシエンヌ帝国の地へ降り立ってからは、再び馬車へと揺られることになった。
それから、数日の旅程。
その間、彼女の身支度を整えようとする者は誰もいなかった。用意もされていなかった。
黒く染められた髪は泥と砂、そして自分の血でドロドロに固まり、衣服は破れ、異臭を放ったまま。ブランシュを乗せた馬車は、静かに、漆黒の帝国の皇城へと滑り込んでいった。
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