第45話 奇跡の聖杯
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元王国の民たちによる、地鳴りのような祝福に包まれたお披露目の式典から数日。
ルベリオン直轄地の戦後処理や平民たちの生活復旧が驚くほど順調に進むなか、仮の私室に残されたブランシュの日常は、相変わらずアルチュールの「満足がいくまで」という過保護な看病(囲い込み)の中にあった。
だが、その穏やかな時間のなかで、ブランシュはあるひとつの強い希望を口にしていた。
――私のこの体が、なぜ陛下の暴走を止められるのか。その仕組みを、正しく知りたいのです、と。
彼女の願いを受け、アルチュールは帝国から第一級の魔導研究者や高位の医官、そして古い伝承に詳しい白髪の考古学者たちをこの地へ呼び寄せた。そうして、仮の私室を実験場とした、極めて知的で厳格な『能力の検証』が開始されたのである。
検証チームの筆頭である老考古学者は、ブランシュと同じ美しい白髪をなびかせながら、これまでの魔法学の常識を丁寧におさらいするように口を開いた。
「皇妃殿下、そして陛下。これまでの帝国の魔導研究において、人間の『魔力』とは個人差によってその総量が厳格に決まっており、その量が多い者ほど髪の色が濃く、漆黒へ近づくと定義されております。そして、魔力とは使えばかさが減る『器に溜まった水』のように例えられますが……魔法医学的な真実は少し異なります」
老考古学者は、人体に巡る魔力の図面を机に広げた。
「本当は、血管のように魔力が常に循環する『魔力回路』という精緻なパイプが、全身に張り巡らされているのです。基本的には右手の指先が出力口(蛇口)となり、そこから魔法が発動されます。魔力の総量が多い人間――すなわち陛下のようなお方は、この回路が毛細血管のように全身の隅々まであまりに緻密に、狂おしいほどの長さで張り巡らされている状態なのです。逆に魔力が少ない者は回路が簡素であり、そして、通常の『魔力なし』の人間、私のようなものにはそもそも、この魔力が巡る回路自体が肉体に一本も存在しません」
「ということは、わたくしにも……その回路は、存在しないのですね?」
ブランシュの問いに、老考古学者は驚嘆と畏敬の念を隠せない様子で、深く首を振った。
「いいえ、殿下。通常の魔力なしの者との決定的な違いが、実証実験により判明いたしました。殿下の肉体は他者の魔力を体内に流し込まれた瞬間、まるで眠っていた神経が目覚めるように、その受け取った魔力量に応じて『即座に新たな魔力回路を自ら生成する』という、世にも奇妙で美しい特異体質をお持ちなのです」
医官がカルテをめくりながら、その言葉を引き継ぐ。
「陛下がこれまで魔力過多で苦しまれたのも、そしてそれを吸い取った殿下が激しい高熱にうなされたのも、理由は同じでございます。全身に無限とも言える魔力回路が生成され、それでもなお、あまりある強大すぎる総量が、回路の許容量を超えて肉体を駆け巡ったことによる『圧迫の苦痛』だったのです」
過去二回の暴走阻止の状況、そして今回の精密な実験の結果から、ブランシュの能力の正確な発動条件と査定が次々と導き出されていった。
まず、ブランシュが魔力を受け取るには『相手の素肌に直接触れること』が絶対の条件であること。これは、過去2回の吸魔、実験的にアルチュールに触れて発動させたことで算出された結果である。
そして何より劇的だったのは、ブランシュは引き受ける魔力の量を自分の意志で調整することはできず、あくまで『アルトの肉体の回路を満たし、それでも溢れてしまった過剰な余剰分だけ』が、ブランシュの体へと自動的に流れ込んでくるという調律のシステムだった。
「なるほどな……」
横で静かに聞いていたアルチュールが、己の大きな掌を見つめながら低く呟いた。
「俺がお前に魔力を吸い取られた際、これまでにない解放感と爽快感を覚えたのは、魔力をすべて使い果たしたからではないのだな。俺の体にとって、最も適切で健常な量にまで、お前が『余りを削ぎ落としてくれた』からか」
「はい、陛下。まさに殿下は、陛下のためだけに世界が遣わした『調律の器』にございます」
しかし、と、魔導研究者が眼鏡の位置を直しながら、不思議な事実を付け加えた。
「これほどの魔力を得ながらも、皇妃殿下は魔法を一切使用することができません。それは、殿下の体は右手の指先だけでなく、魔力を外へと逃がすための出力口が『全身の皮膚のすべて』に出現してしまうからなのです。一箇所から狙って放つことができない代わりに……殿下は、その身に取り込んだ陛下の膨大な魔力を、全身から大気や大地へと、蒸発するようにして優しく逃がしておられるのです」
「蒸発……。それでは、私の体から逃げた陛下の魔力は、どこへ行ってしまうのですか?」
ブランシュの無垢な疑問に、検証に立ち会っていた工学士たちが、興奮に声を震わせて答えた。
「それこそが最大の奇跡にございます、殿下! 大気中へ放出されたエネルギーの細かな変化については、未だ検証の仮説段階ではありますが……殿下の全身から『地中へと放出されたエネルギー』は、即座に大自然の生命力へと行き渡ることが確認されました。現に、殿下が数日間滞在されたこの王宮の周囲だけ、真冬だというのに草花が爆発的に成長し、微生物が活性化したことで、付近の濁った水質が劇的に改善されているのです!」
――『お互いに、祝福を受けた者は、それを持たざる者へ捧げ合う』。
マルタの言葉が、ブランシュの脳裏に美しく鳴り響いた。
アルチュールを苦しめていた破壊の魔力は、彼女という器を通ることで、世界を美しく豊かに調律する「大自然への祝福」へと生まれ変わる。大気中に逃げた光も、きっとこの世界の気候や空を、優しく癒やしているに違いなかった。
「……私の白髪は、本当に、誰かのための祝福だったのですね」
ブランシュは、肩の上で揺れる自分の白い髪をそっと愛おしそうに撫で、涙の滲む瞳で微笑んだ。
「ああ。これからは、俺が苦しくなる前に、ただお前を抱きしめるだけでいい。手を繋ぎ、同じベッドで眠るだけで、俺たちの力は世界を豊かにする。……もう、誰も傷つく必要はないな」
アルチュールは、居並ぶ学者たちの前であることも構わず、ブランシュの手を優しく、力強く引き寄せた。お互いの素肌が触れ合うだけで、アルトの体から余分な熱がシュルシュルとブランシュへと移動し、彼女の指先から目に見えない優しい光となって大気へと溶けていくのが、今の二人には確かに感じられた。
自らの『奇跡の輪郭』を完璧に理解し、アルチュールと共に生きていく未来への確固たる確信を得たブランシュ。
こうしてすべての検証を終えた二人は、いよいよ、愛おしい仲間たちが待つ我が家――ヴァランシエンヌ帝国への、凱旋の帰還を果たすこととなるのだった。
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残すところあと2話です。どうか最後までお付き合いくださいますと嬉しいです。




