第44話 散髪と青写真
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ルベリオン直轄地の復旧と統治の基盤が整うまで、しばらくこの地に留まることとなったアルチュールとブランシュ。
新しく整えられた仮の私室へと戻ったブランシュを待っていたのは、今回の事件以来、ずっとその無事を祈り続けていた懐かしい面影だった。
「ブランシュ殿下……! よくぞ、よくぞご無事でいてくださいました。こうしてまたお傍でお仕えできる奇跡に、私は深く、深く感謝しております」
部屋に控えていた侍女頭のロザリーは、ブランシュの姿を視界に捉えた瞬間、その茶色の瞳に涙を浮かべて駆け寄った。
城の惨劇から這い上がり、主君の暴走を必死に繋ぎ止め、そしてこうして再び主人の元へと辿り着いた有能な侍女頭。ブランシュは彼女の手をそっと握り返し、心からの微笑みを浮かべた。
「こちらこそ、ルベリオンでの慣れない生活のなか、ロザリーさんが来てくださって本当に嬉しいです。……またお会いできて、本当によかった……!」
「まぁ、ブランシュ殿下」
ロザリーは涙を指先でそっと拭うと、困ったように、けれどどこまでも慈愛に満ちた笑みを浮かべてブランシュを見つめた。
「そろそろ、私にそのような敬語をお使いになるのはおやめくださいな。わたくしは殿下の忠実な影であり、侍女にございます。どうぞ、これからはただ『ロザリー』とお呼びくださいませ」
そう言われ、ブランシュは少しだけ気恥ずかしそうに眉根を下げたが、アルチュールと出会って知った新しい世界の温もりを噛み締めるように、しっかりと頷いた。
「……分かりました。ゆっくり、慣れていきます。これからもよろしくお願いします、ロザリー」
「こちらこそでございます。殿下」
ロザリーは深く一礼したあと、すっと姿勢を正し、今度はその隣に佇む漆黒の鎧を纏った主君――アルチュールへと向き直った。
「陛下。約束をお守りくださり、本当にありがとうございます。私はこれほど素敵な方々にお仕えすることができ、心の底から幸せでございます。これからも生涯をかけて、お二人の幸せをお傍で見守らせてくださいませ」
無事にブランシュを連れ戻すという、あの出陣の日の誓い。それを完璧に果たしてみせた主君へ、ロザリーは最大級の敬意を込めて深く頭を下げた。
アルチュールは腕を組み、ふっと微かに口元を緩めた。
「当たり前だろう。……俺たちの生活には、お前にしか出来ないフォローばかりだ、全く。お前がいないこの半月、どれほど不自由だったか痛いほど実感させてもらった」
焦土を好む死神にここまで言わせるのだから、ロザリーの存在がどれほど二人の支えになっていたかは言うまでもない。アルチュールはふと、自身の長い黒髪に触れると、少しだけ困ったような視線をロザリーへ向けた。
「手始めと言っては何だが……ロザリー。俺たちのこの髪を、整えてもらえるか?」
「ええ、喜んで。……まぁ、これは」
二人が後ろで緩く縛っていたそれぞれの紙紐を解いた瞬間、ロザリーは小さく息を呑んだ。
はらりと、長く真っ直ぐな、漆黒の夜と純白の雪が空間に美しく舞い落ちる。
だが、その解かれた二人の髪は、驚くほどに傷ついていた。
アルチュールは自らの凄まじい魔力暴走によって、その漆黒の長い髪があちこち焦げ付き、ブツブツと引きちぎれるようにして長さがバラバラになっていた。そしてブランシュのまばゆい純白の髪も、ルベリオンの元家族たちから受けた凄まじい暴行の数々により、根元から引きちぎられたり、所々が不自然に短く焦げたりして、無惨に傷ついていたのだ。
「……まぁ、これは大変なお仕事になりそうですわね」
ロザリーは呆れたように、けれど二人がどれほど壮絶な死線を潜り抜けて互いを救い出したのかを察し、愛おしそうにハサミと櫛を手に取った。
凄惨な戦いの傷跡を、美しく整えるための、少しだけポップで温かい日常のハサミの音が、新しい私室の中に響き始めるのだった。
◇
ロザリーの鮮やかな手際によって、ちぎれ、焦げていた二人の髪は見違えるほど美しく切り揃えられた。
アルチュールの漆黒の髪は精悍な短さに、ブランシュの純白の髪は肩の上で清らかに揺れるボブカットへと生まれ変わる。互いに新しくなった姿を見つめ合い、ほんの少しだけ頬を染めたのも束の間、アルチュールはすぐさま鋭い統治者の顔に戻り、部屋の外に控えていた帝国の有能な学者や魔導工学士たちを呼び入れた。
机の上に広げられたのは、ルベリオン直轄地の広大な地図だ。
「これまでのルベリオンは、魔力の強い者が持たざる者を一方的に搾取する歪な国だった」
アルチュールは腕を組み、冷徹な声で地図を見下ろした。
「軍を解体した今、彼らから魔力を奪えば、ただの無力な土地へと変わる。だが、俺はここを死の大地にするつもりはない。魔力に頼らずとも、民が飢えずに生きていける真の豊かな治世を敷く。……そのための基盤をどう構築するかだ」
学者が「まずは有力な貴族たちを厳しく管理し、彼らの資産から配給を行うべきでは」と具申する。だが、その会議の席で、誰よりも真っ直ぐに地図を見つめていたのは、他でもないブランシュだった。
「いいえ。一方的な配給では、民の心は決して救われませんわ」
ブランシュの凜とした声に、居並ぶ帝国の学者たちが一瞬で静まり返り、彼女へ視線を集めた。かつてルベリオンの最悪の底辺を18年間見つめ続けてきた彼女だからこそ、その純白の瞳には、誰よりも深く平民たちの『現実』が映っていた。
「ルベリオンの平民たちが最も恐れているのは、明日をも知れぬ飢えと、いつ理不尽に命を奪われるか分からない無力さです。必要なのは、施しではありません。彼ら自身の手で、正当に生活を勝ち取れる『尊厳』と『仕事』なのですわ」
「仕事、だと」
アルチュールが促すと、ブランシュは小さく頷き、かつて密偵が「臭くて汚い」と嘲笑った、帝国のあの高度な魔導ライフラインの仕組みを指差した。
「ええ。旧王国の崩壊で多くの者が職を失うでしょう。ならば、彼らを土木建築の作業員として国が正当な賃金で雇用するのです。そして、水や火を運ぶ過酷な労働から平民を解放するための、あの自由で美しい帝国のライフラインを、この地へも一斉に敷き詰めるのはいかがでしょうか」
ブランシュのそのあまりに合理的で、かつ民の心理に寄り添った画期的な進言に、帝国の魔導工学士たちが目を見開いた。
「素晴らしい……! 職に溢れた民へ即座に富を循環させつつ、同時に労働環境の劇的な改善を約束する。これこそ、持てる者が持たざる者へ力を捧げる、我が帝国の思想そのものです!」
「ですが皇妃殿下、ルベリオンの民には帝国の魔導技術を扱う知識がありません。工事が終われば、また職を失うのでは?」
別の学者の懸念に対し、ブランシュは一切怯むことなく、柔らかく微笑んで答えた。
「それならば、無償で受講できる技術の講習会を開くのはいかがでしょう。得た技術でその後整備士として活躍することも出来ますし、土地を開拓した際はそのもの達でライフラインを整えていく事も可能になると思います。学ぶ機会さえ与えられれば、彼らは必ず自らの足で立ち上がります。そして、彼らが真に豊かな生活の改善を実感したその時こそ――」
ブランシュは隣に佇むアルチュールを見上げ、その純白の瞳を真っ直ぐに輝かせた。
「偽りの黒の欺瞞から目を覚まし、アルチュール陛下、あなたを本物の主として認めるはずですわ」
「…………」
アルチュールは、隣の愛おしい少女を見つめ、胸の奥が熱い感嘆で満たされるのを確かに感じていた。
彼女はただ守られるだけの存在ではない。18年間の地獄のような幽閉生活を、この国を誰よりも美しく導くための、比類なき『治世のセンス』へと裏返してみせたのだ。
「――聞いたな。ただちに皇妃の案を採用する」
アルチュールは低く笑み、その圧倒的な絶対君主としての覇気を纏って、文官たちへ冷徹に命じた。
「各領地の大きさに応じた学校と病院の設置を義務化しろ。人材が育つまでは帝国から運営の指導者を派遣する。そして、国中へ魔導水道と魔力パイプを敷き詰める大工事を即座に開始せよ。作業員には、帝国の法に基づいた最高峰の正当な賃金を国庫から支給する」
「はっ!! 仰せのままに、皇帝陛下、皇妃殿下!!」
二人の完璧な調和によって導き出された、隙のない大改革の御触れ。
会議を終え、文官たちが慌ただしく部屋を去っていくなか、アルチュールは残された私室のソファで、ブランシュの細い肩を引き寄せ、短くなった彼女の純白の髪へとそっと指先を絡めた。
「お前には敵わないな、ブランシュ。……やはり、俺の傍にはお前がいなくてはならない」
「ふふ、陛下、わたくしもお役に立てたのなら、それほど嬉しいことはありません。でも叶うなら、これ以上陛下の執務の邪魔はしたくありません……。私は執務の間は別室に控えさせて頂きたいのですが……」
「それは別問題だ。お前の足の傷が完全に消えるまでは、俺の目の届く範囲から一歩も出させん。そもそも別室に、と言うがお前はどうやってそこまで行くつもりだ。足の怪我が治るまでは、この部屋で収まる以上に歩くことは許さない、と。執務の度に抱き上げて別室へ連れていき、また抱き上げてここまで連れ帰って欲しいのか?」
「…もう、陛下、そう言われてしまったら……」
呆れたように微笑むブランシュを、アルチュールはこれ以上ないほど甘く、独占欲に満ちた夜色の瞳で見つめ返すのだった。
こうして二人が紡ぎ出した気高い改革の火種は、瞬く間にルベリオン全土へと広がり――のちに民たちが涙を流して二人を真の救世主として崇め奉る、圧倒的な夜明けの式典へと美しく繋がっていく。
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