第28話 影は這う、蟲のように、鼡のように
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ルベリオン王国の第一王子、その私室は平民の血と涙を吸い上げたかのような、目の眩むほどの豪華絢爛さに満ちていた。
壁には希少な獣の毛皮が掲げられ、金糸の刺繍が施された贅沢な長椅子の上で、王子は他国から買い叩いた高価な極上酒をガラス杯に注ぎ、傲慢に煽っていた。窓の外では、重税と貧困に喘ぐ平民たちが飢えに泣いているというのに、この部屋だけは別世界の醜悪な豊かさが保たれている。
その時、机の上に置かれた蒼黒色の通信魔石が、脈打つように淡く発光した。
王子が退屈そうに指先で石に触れると、低く掠れた、あの密偵の声が響き渡る。
『――こちら影。ルベリオンの賢王へ、とびきりの朗報を持ち帰りました』
「ほう。あの不出来な妹の件か。とうに死神の餌食にでもなっているかと思ったが、生きていたようだな」
『ええ。死んでいるどころか、驚くべきことに……あの死神、我が国が家畜以下として捨て去った白いゴミを、それはもう大事そうに囲い込んでおります。今日は中庭で、まるで恋仲の男女のように仲睦まじく寄り添い合っておりましたよ』
密偵の下卑た含み笑いに、第一王子は一瞬だけ呆気に取られたように目を見開いた。だが、次の瞬間、部屋が震えるほどの品性のない大笑いを炸裂させた。
「ははははは! 傑作だ! あの死神め、数々の戦場を血で染めておきながら、よりにもよって我が国の『無能の呪い子』に骨抜きにされているというのか! なんとも安上がりで安直な男よ!」
『当初の予定通り、あれを使って死神を懐柔するか、あるいは食事に毒でも盛らせて弱らせるのがよろしいかと』
「いや、待て」
王子はガラス杯を机に叩きつけ、狡猾に目を細めた。
「毒を盛るのも良いが、そこまであの死神がブランシュに執着しているのなら……いっそ、あれをルベリオンへ連れ戻し、人質にすればどうだ? 宝を人質に取られた死神が、我が国の要求にどれほど惨めに這いつくばるか、見ものだと思わないか?」
『なるほど……。そうなれば、巻き上げられた国庫の返還どころか、帝国の軍事力すら我が国の意のままに動かせるやもしれませんな。では、まずはあの呪い子との接触を図ってみます』
「ああ。期待しているぞ、我が国の忠実な影よ」
ふっと、通信の魔力が途切れ、部屋に静寂が戻る。第一王子は再び極上酒を喉へと流し込みながら、勝利を確信したように下劣な笑みを浮かべ続けた。
◇
通信を切った密偵は、冷たい夜風が吹き抜ける帝国の皇城外郭で、じっとその身を闇に潜ませていた。
ヴァランシエンヌ帝国は、魔力の有無だけで全てを決める原始的なルベリオンとは違い、独自の魔法技術を社会の基盤へと組み込んだ、極めて先進的な都市設計がなされている。
電気やガスといった概念こそないが、その代わりに、魔力を持つものと知恵を持つものの叡智の結晶である独自の『ライフライン』が、地下から城の隅々に至るまで張り巡らされていた。
常に清浄な水を供給し続けるための、太い魔導水道管。城内の魔力を一定に保ち、冷暖房のような役割を果たすための魔力循環パイプ。そして、本館の厨房へと絶え間なく食材や物資を運び込む、魔力駆動の昇降機と物流用の地下通路。
「いくら鉄壁の魔術結界を張ろうとも、城が『呼吸』を続けている以上、必ず物理的な穴は存在する」
密偵は、皇城の地下へと繋がる巨大な排水溝の鉄格子を見下ろした。
結界の魔力は外壁の表面を覆っているが、この魔導水道の配管の内部までは、水の流れを阻害しないために結界の術式が僅かに薄められている。有能なルベリオンの影は、すでに城内の物流の周期と、水の循環システムを完全に調べ尽くしていた。
「本館の厨房へ繋がる、魔導水道の点検口……。ここが、あの死神の城の唯一の隙間だ」
男の瞳が、暗闇の中でらんらんと不気味に輝く。
首尾よく侵入経路を特定した密偵は、いよいよ、二人の穏やかな箱庭へとその卑劣な足を一歩踏み出そうとしていた。
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