第27話 愚
数ある作品の中からちらりと覗いてくださりありがとうございます。
しばらくお付き合いくださいますと嬉しいです。
ヴァランシエンヌ帝国が穏やかな朝陽に包まれている頃――その遥か南方の海の向こうに位置する属国、ルベリオン王国の王宮は、重苦しい焦燥感に満たされていた。
「また暴動だと!? 汚らわしい白持ちどもの分際で、一体どこの平民が先導している!」
豪奢な玉座の間で怒声をあげたのは、ルベリオン
王国国王。そしてその傍らで、冷淡な笑みを浮かべて書類を検分しているのは、第一王子だった。
「仕方がありませんよ、父上。ヴァランシエンヌ帝国への莫大な戦争賠償金のしわ寄せが、すべて平民どもの生活に直結しているのですから。もっとも、あの使えない労働力どもにこれ以上与える配給など、我が国の国庫には一枚の金貨すら残されていませんがね」
ルベリオン王国は、より黒く、より強い魔力を持つ子供を作り出すために、何世代にもわたる歪んだ交配によって国力を伸ばしてきた国だ。彼らにとって、魔力なき『白持ち』は人間以下の家畜であり、替えのきく便利な労働力に過ぎない。
貴族たちは私腹を肥やす手を止めず、平民の賃金を大幅に下げた一方で、労働環境や税金はより過酷なものへと変えていった。その結果、王家や貴族などの支配層へ向けた平民たちの鬱憤が爆発し、国中あちこちで暴動の火の手が上がり始めていたのである。
「チッ、どいつもこいつも無能ばかりめ。……そういえば、あの『白持ちの無能』はどうなった」
国王がふと思い出したように吐き捨てた。
それは、王家に生まれながら真っ白な髪を持って生まれ、半年前に生贄の捕虜として帝国へと差し出された、第一王女ブランシュのことだった。
「ああ、ブランシュですか。そう言えば、輿入れしてから半年近く経とうというのに、未だに死亡の報せが届きませんね。あの冷酷なる死神、アルチュール皇帝のことだ。とうに無残に切り刻まれて、焦土の肥やしになっていると思っていたのですが」
第一王子は、実の妹の生死をまるで壊れた道具の行方でも案じるかのように、酷く軽薄な口調で言った。そこに割って入ったのは、着飾った王妃と第二王女だった。
「ほほほ、きっとあまりの醜さに、殺す価値すらなく地下牢にでも転がされているのよ」
「本当、お姉様のあの忌々しい白髪を思い出さなくて済むだけでも、清々するわね。今頃は泥水でもすすって泣いているのかしら」
品性の欠片もない嘲笑が響くなか、第一王子は顎に手を当て、狡猾な瞳を細めた。
「……いや、父上。これはむしろ、利用できるかもしれません」
「何だと?」
「もしブランシュが、死にそうなほど痛めつけられて拷問されているのなら、それを理由に帝国へ『人道的な観点』から賠償金の減額を要求できます。……そして、もし万が一にも、あの死神がブランシュを玩具としてそれなりに生かしているのだとすれば」
王子は、下卑た笑みを浮かべて続けた。
「ブランシュを通してあの死神を懐柔ないしは最悪毒を盛るなどして弱らせ実権を手放させれば良いのです。そうすれば我が国から巻き上げた国庫を返還させることも容易となるでしょう。あいつは魔力なしの無能ですが、王家の血を引く人形だ。こちらの命令に背けば、一緒に塔にやっていたあの老侍女がどうなるか……まあ、とうに死んでいますが、生きているとでも吹き込んで脅せば、怯えて這いつくばるでしょう」
国王は一瞬目を見開いた後、我が子の浅ましい思いつきに、満足げな笑みを浮かべた。
「なるほどな。元より捨てた駒だ、どう転んでも我が国の利益になればそれでいい。……よし、すぐに優秀な密偵をヴァランシエンヌ帝国へ放て。まずは皇城の周辺に潜入させ、ブランシュの現在の処遇を探らせるのだ。使える弱みがあれば、力ずくでも掴んでこい」
「御意に、父上」
ルベリオンの醜悪な王宮で卑劣な策謀が決定された後、数日の時を置いて、ヴァランシエンヌ帝国の広大な皇城の周囲には、確かな不穏の歪みが生じていた。
軍事大国として世界に君臨する帝国の皇城は、本来であれば、蚊の一匹すら侵入を許さない最高峰の魔術結界に守られている。さらにその外周は、漆黒の重甲冑に身を包んだ精鋭騎士たちが、寸分の隙もなく警備の目を光らせていた。
だが、その張り詰めた監視の網の、ほんの僅かな「空気の爆ぜる音」にすら溶け込むようにして、一つの影が音もなく蠢く。
「……ほう。流石は死神の城、といったところか」
皇城を遠巻きに見下ろす大樹の陰。帝国の騎士たちですら気配を捉えられない死角に、ルベリオンが誇る最精鋭の密偵――蒼黒色の装束を纏った男が潜んでいた。
男の瞳は、どこまでも冷酷に、かつ老獪に皇城の巡回ルートを刻み続けている。
ルベリオン王国がその歴史の裏で、幾度となく他国の暗殺や諜報を成功させてきたのは、この徹底した『影』の技術があるからに他ならない。国力で劣ろうとも、一瞬の隙を突く暗殺の牙だけは、彼らは研ぎ澄まし続けていたのだ。
「あの呪い子が、この半年間一度も死の報せを出さずに生きながらえている理由……。単に死神が切り刻むのを忘れているだけか、それとも――」
男は懐から、ルベリオン王家に伝わる遠見の魔導具を取り出した。小さなレンズの向こう側、帝国の皇城を舐めるように観察していく。そうして、幾重にも張り巡らされた厳重な結界の隙間を透過し、美しく整えられた皇城の中庭へと焦点が合わされていった。
レンズの先、男の目に飛び込んできたのは、思いもよらない、あまりに異質な光景だった。
「……一体、どういうことだ……?」
あの「無能の呪い子」として虐げられていたブランシュが、あろうことか、あの焦土を好む狂王アルチュールと、驚くほど静かに、そして穏やかに視線を交わしている。
二人の間に流れる空気は、捕虜と拷問官のそれなどでは決してない。まるで、世界で最も互いを慈しみ合っているかのような、高潔で温かい何かがそこにはあった。
男の口元が、下卑た歪な笑みへとゆっくりと釣り上がっていく。
「なるほど、な……。あの死神め、よりにもよって、我が国が捨てた『白持ちのゴミ』を、随分と大事に囲い込んでいるらしい」
それは、ルベリオンの王族たちにとっては、これ以上ない「思わぬ収穫」の報せだった。
男はすぐさま遠見の魔導具を懐へ仕舞い込むと、懐からルベリオン本国へと繋がる通信魔石を取り出した。
平民の飢えや苦しみを完全に無視し、かつて虐げ抜いた娘を再び都合のいい道具として利用しようと企む、浅ましきルベリオンの王族たち。
帝国の強固な防壁の足元で、底寒い陰謀の火種が、静かに、けれど確実に燻り始めようとしていた。
彼らはまだ知らなかった。自分たちが放とうとしているその手が、帝国の若き「狂王」の絶対に触れてはならない逆鱗に、今まさに触れようとしていることを――。
お読みいただきましてありがとうございました。
次回もお楽しみくださいますと幸いです。




