第24話 目の届く特等席
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目覚めてからの数日間、ブランシュの体は激しい高熱と、経験したことのない痛みに支配されていた。
胃の奥からせり上がるような不快感に耐えかねて、何度も枕元に用意された器へ向かって嘔吐する。ルベリオン王国で黒い魔石の染料を頭皮に塗られた時の痛みとは、また違う――まるで、体の中にドロドロとした熱い鉛を流し込まれたような、重苦しい苦痛。
それは他ならぬ、アルチュールがこれまでずっと耐え続けてきた『魔力過多』の苦しみそのものだった。
彼の半生を夢で追体験したブランシュには、それがよく分かった。アルチュールは強大すぎる魔法を放つことでその熱を逃がしてきたが、魔力を持たない――『空っぽの器』であるブランシュには、その術がない。ただ、体内に取り込んだ彼の魔力が、時間経過によって自然と馴染み、落ち着くのを待つしか道はなかった。
「……う、く……っ」
荒い呼吸を繰り返すブランシュの背中に、大きな、温かい手がそっと添えられる。
アルチュールは、皇帝としての最優先の公務以外をすべて優秀な文官たちに丸投げし、驚くべきことに、この広大な自身の私室に執務机を持ち込んで片時も彼女の傍を離れようとしなかった。
「無理に喋るな。……ほら、水を飲め」
氷を浮かべた冷たい水を、アルチュール自らがスプーンですくい、ブランシュの乾いた唇へと運ぶ。その手つきは、焦土を好む死神と恐れられる男のものとは思えないほど、甲斐甲斐しく、そして繊細だった。
ひと心地ついたブランシュの左手を、アルチュールは、優しく、けれど拒絶を許さない強さで握りしめる。まるで、彼女の体へ自分の存在を深く染み込ませようとするかのように。その切れ長の瞳に宿る、愛しいものを愛でるような熱い光に射抜かれ、ブランシュの胸の奥から形容しがたい感情が溢れそうになる。それは高熱のせいだけではない、胸の奥がぎゅっと甘く疼くような、名前の知らない火照りだった。
「……不思議そうな顔をするな。俺の過去を知るお前には、もう全てバレているのだろうから正直に話すが」
陛下は少しだけきまり悪そうに視線を逸らし、それから、ぽつりと呟いた。
「これらは全て、幼少の俺が、誰かにして欲しかったことだ」
魔力が暴走し、孤独の淵にいた十二歳の彼が、泣きながら求めていた温もり。それを今、彼はブランシュに与えることで、自分自身の過去をも救おうとしているのかもしれなかった。彼の不器用な優しさが、どうしてこれほど愛おしく、切なく思えてしまうのか、ブランシュにはまだ分からない。ただ、この大きな手が離れてしまえば、きっと酷く寂しくなるのだろうということだけは予感していた。
「そうだ、ブランシュ。お前の体調が落ち着いたら、部屋を移す」
「お部屋、ですか……?」
「ああ。別館にあったお前の荷物は、すでにこの本館の、今いる俺の私室からひとつ空けて隣の部屋に運び込ませてある」
ブランシュは瞬きを繰り返した。帝国へ来てから三ヶ月、最初に謁見した執務室と、本館の図書室以外、彼女はこの城の広さを知らない。ずっと別館の自室で静かに過ごしてきたのだ。
「良いのですか……? 本館に、私のような者の部屋を頂いても」
「……お前は誰と結婚するつもりなんだ」
アルチュールは心底呆れたというように、はぁ、と深い溜息をついた。
「だいたい、お前が言ったんだろう。どこにも行かない、と。大人しく、俺の目の届くところにいろ」
「は、はい……。あの、それでは、そのお隣は、何のお部屋なのですか?」
ひとつ空けた、隣の部屋。その疑問に、アルチュールは当然と言わんばかりの顔で言い放った。
「夫婦の寝室に決まっているだろう。……まあ、実際に使うのは一年先だがな」
「まぁ…」
ブランシュは短い驚きの声をあげて頬を薄紅色に染めた。なんだか居た堪れなくなり、胸元にかけられていたシーツをそろそろと鼻先まで持ってきたのだった。
すると、壁際に控えていたロザリーが、すたすたとアルチュールの背後に歩み寄り、彼にだけ聞こえるような低い、けれど確実にとげのある声でチクチクと囁いた。
「(……陛下。世の中にそんな品のないプロポーズがありますか。然るべき時が来たら、然るべき方法で、誠心誠意やり直しなさいませ。よろしいですね?)」
「(……っ、分かっている。黙っていろ、ロザリー)」
アルチュールは苦虫を噛み潰したような顔で居住まいを正す。
そんな二人のやり取りを見つめながら、ブランシュはふと、アルチュールの目の下に薄い隈があることに気がついた。
ーーここは陛下の私室だ。私がここのベッドを占領しているせいで、彼はまともに眠れていないのではないか。
「あの、陛下……。私ならもう随分と落ち着きましたから、どうかご自身のベッドでお休みになってください。それか、私を一度自室に戻していただくわけには……」
「却下だ。お前を俺の目の届かない場所に置くつもりはない」
「では、ロザリーさんと交代で看病をしていただくのは……」
「それも却下だ。今医官の治療を除き俺以外の者がお前に触れるのは好かん」
ことごとく提案を却下され、ブランシュは困ったように眉を下げた。けれど、彼にこれ以上無理をさせたくない。
ブランシュは少しだけ考え、それならば、と、思いひとつ提案を口にした。
「……それなら、このお部屋で、一緒に生活をしませんか?」
「何?」
「お食事も、アルチュール陛下の体調に合わせたものをここで一緒にいただいて……。それに夜も、一緒に眠れば、陛下も体を休めることができるのではないでしょうか……?」
それは、ブランシュにとっては「アルチュール陛下を労りたい」という純粋な看病の延長の提案だった。
だが、言われたアルチュールは、一瞬だけ目を見開いて硬直する。
「…………」
片手で口元を覆い、しばらくの間、真剣な顔で考え込んだ。
その脳内では、断る理由が一つもない。むしろ、向こうから飛び込んできた思わぬ幸運だ。という計算が、高速で弾き出されている。
「……。……まあ、お前がそこまで言うなら、構わないか」
いかにも「仕方がなく折れてやった」という風な、完璧なポーカーフェイスで納得してみせると、アルチュールはすぐさま壁際のロザリーを振り返った。
「ロザリー、聞いたな。ブランシュの治療の間、ここを2人の私室とする。食事もすべて、二人分ここに運ばせるように」
「はいはい。仰せのままに、陛下」
すべてをお見通しのロザリーが、あからさまに呆れた視線を陛下に送りながら、深々と頭を下げる。
こうして、二人の、予想だにしなかった「共同生活」の幕が開くのだった。
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