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あなたへ捧ぐ祝福  作者: なのか


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第23話 夜明けの白

数ある作品の中からちらりと覗いてくださりありがとうございます。

しばらくお付き合いくださいますと嬉しいです。

 「ブランシュ……? 目が覚めたのか……?」

 静寂が満ちる部屋の中で、アルチュールが低く震える声で問いかけた。ベッドに横たわる少女の長い睫毛がかすかに揺れ、その純白の瞳がゆっくりと開かれたのを見逃さなかった。

 その言葉を合図にするように、部屋の隅に控えていたロザリーが迅速に動き、廊下で数日間ずっと待機していた医官を室内へと呼び入れた。

「殿下、意識が戻られたのですね。……失礼いたします」

 すぐに医官による丁寧な診察が始まった。

 意識の混濁がないか、自覚症状はどうであるか。医官が一つひとつ言葉を噛み砕きながら問いかけると、ブランシュは少しだけ視線を彷徨わせたあと、掠れた声で静かに応じた。

「……身体が、とても、重いです。それに、なにか……内側から、じわじわと、疼くような……熱い痛み、があります」

「やはり、そうでございますか」

 その言葉を聞いた医官は、神妙な面持ちでアルチュールとロザリーを見やり、自らの見解を静かに語り始めた。

「これまでの長い歴史において、ルベリオンの言う『白持ち(魔力なし)』に、このような現象が起きた前例はただの一件もございません。本来、他者の魔力を体内に引き受けるなど、どれほど強固な肉体を持つ魔法士であっても不可能なことなのです。魔力はその人特有のものであり、その力を、そのまま別の器へと移し替えるなど理論上不可能です」


 医官は一度言葉を区切り、ベッドの上のブランシュの髪を見つめた。毛先から半分ほどが深く、どろりとした真っ黒に染まったその異常な姿を。


「過去に一件の先例もない、奇跡とも呪いともつかぬ事象です。私ども医官にも、詳しいことは何も分かりません。ただ一つ言えるのは、殿下の体内にある巨大な『器』が、陛下の魔力を中和し続けているということだけ。これからこまめに診察を繰り返し、少しずつ明らかにしていくしかありませんわ」


 医官は周囲の侍女たち、そしてロザリーへ向けて厳しく、けれど深く労るように告げた。

「とにかく、今は絶対に無理をなさらず安静に。殿下のお体に少しでも変化が見られた場合は、一分一秒の遅れもなく私へ報告しなさい。よろしいですね」

「心得ておりますわ、医官」

 ロザリーが深く頷き、数日間に及んだ最初の危機を脱したことに全員が静かに安堵した。診察のための処置をすべて終えると、ロザリーたちはアルチュールに一礼し、音を立てないよう極めて静かに部屋から退室していった。


◇


 再び、二人きりになった広い私室。

 窓から差し込む朝の爽やかな光が、レースのカーテンを優しく揺らしている。

 ブランシュは、部屋の誰もがいなくなった静寂の中で、ようやく己の『左手』に宿る妙な温もりに気が付いた。

 視線を落とせば、アルチュールの大きく骨張った両手が、愛おしい宝物を壊さないようにと願うような、ひどく優しい力加減で、自分の左手をずっと包み込んでいた。数日間の看病のあいだ、彼は一度もその手を離さなかったのだろう。

 ブランシュはその心地よい温もりを感じながら、ぼんやりと天井を見つめ、掠れた声で呟いた。

「……長い、夢を見ていました……」

「夢……?」

「はい。陛下の……まだ小さかった頃の、お父様とお母様にたくさん愛されていた、とても温かい記憶です。……それから、あの大変だった、冬の日のことも」

「――っ」

 アルチュールの漆黒の瞳が、激しく動揺に揺れた。自らの犯した最悪の罪。誰にも触れさせたくなかった、血に塗れた壮絶な過去。それを、この無垢な少女がすべて見て、追体験したのだと理解したからだ。

「ブランシュ、お前は……あの光景を……」

「陛下が、どれほどの痛みに耐えてこられたのか、少しだけ、分かりました。あの時……陛下がわたくしを必死に部屋から追い出そうとした時のこと、思い出していたのです。夢の中で、ご両親が陛下を助けようとして抱きしめたあの瞬間と、わたくしが陛下を助けたいと抱きしめたあの瞬間が……まったく、同じ状態だったのだと、気づきました」

 アルチュールは、彼女の手を握る力を思わずぎゅっと強めた。その顔には、戦場の死神とは思えぬほどの、剥き出しの脆弱さが浮かんでいる。


「……生きた心地がしなかった」


 ぽつりと、アルチュールは本音を溢した。

「お前が血を吐いて倒れた瞬間……十五年前のあの夜が、全く同じ鮮烈さで俺を圧し潰した。また俺が、自分を抱きしめてくれた大切な者を、この手で殺してしまったのだと……。不安と、焦りで、頭がおかしくなりそうだった。お前が目覚めなかったら、俺は――」


 その痛々しい独白を、ブランシュは柔らかな微笑みで優しく遮った。


「大丈夫です。……わたくしは『どこにも行きません』と言いましたから。約束は、絶対に守ります」

 ブランシュは、アルチュールがずっと包み込んでくれていた自分の左手へと、優しい視線を落とした。


「夢の最後、真っ白な世界で、あの方――ルベリオンで唯一私を愛してくれた優しい人が、私の手を握って、こう言ってくれたのです。『あなたの本当の幸せはここにはない、あちらの世界へ帰りなさい』と。……その時に感じた温かい手の温もりが、今、こうして目覚めてみたら……陛下の、この手の温もりと、まったく同じでした。わたくし、陛下のこの温もりに導かれて、ここに帰ってきたのですよ」

「……俺の、温もり……」


 アルチュールは呆然としたあと、ふっと、これまで見せたことのないような、呆れたような、けれどひどく愛おしげな笑みを口元に浮かべた。

「お前は……存外、頑固で強いのだな。初めて執務室で見た時は、ただ今にも壊れてしまいそうな、儚く嫋(たお)やかなだけの王女だと思ったのだが」

「本当ですね。やっぱり、わたくしのことでも……まだまだ知らないことが、たくさんあるみたいです」

 ブランシュは本当に嬉しそうに、クスリと声を立てて笑った。その純白の瞳が、朝の光を受けてきらきらと輝く。


 そして、何かに気が付いたように、ブランシュはベッドの上で小さく身じろぎをして、正面のアルチュールを真っ直ぐに見つめた。


「私ったら……そういえば、大切なご挨拶も、まだしておりませんでした」

ブランシュはシーツの上で背筋を伸ばし、完璧な発音の、凛とした帝国語で言葉を紡ぐ。

「――ヴァランシエンヌ帝国のお大いなる、太陽に。ルベリオンが第一王女ブランシュ、謹んで朝のご挨拶を申し上げます……」

 かつて、あのボロボロの執務室で名乗った時と同じ、完璧な皇族の礼。

 アルチュールは虚をつかれたように呆然とそれを見つめていたが、ひと時の間のあと、張り詰めていたすべての肩の力を抜き、これ以上ないほど優しく、穏やかな声を彼女に返した。

「全く……家庭教師の発音指導は完璧だな。後で褒美をやらねば。……だが、挨拶としては間違っているぞ。ブランシュには、まだまだ教育が必要なようだな?」

「え……?」

 不思議そうに小首を傾げるブランシュに、アルチュールは包み込むような温かい眼差しを向け、ただ、当たり前の平穏を告げるように言った。


「――おはよう、ブランシュ」


 王族としての形式張った挨拶など、この部屋には必要ない。

 ただ、生きて、目の前にいてくれることへの、何より優しい朝の奇跡。

 ブランシュはその言葉の意味を正しく理解し、純白の瞳を潤ませながら、世界で一番美しく、柔らかな笑みを浮かべた。


「ええ……まだまだ知らないこと、学びたいことだらけですもの。……おはようございます、アルチュール陛下」


 純白の少女が紡いだ、本当の、心からの朝の挨拶。

 ブランシュの真珠のような目元から、あまりにも綺麗なひとしずくがぽつりと落ち、静かに、白い枕へと染み込んで消えていった。

お読みいただきましてありがとうございました。

次回もお楽しみくださいますと幸いです。

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