第18話 純白の意志、漆黒の檻へ
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「……殿下、お風が冷たくなります。お身体に触りますので中へ入りましょう?ね?」
バルコニーの柵を両手で強く握りしめ、俯いたまま微動だにしないブランシュを心配して、背後からロザリーがそっと声をかけた。
ブランシュは俯いたまま、きゅっと唇を噛み締め、それから静かに声を絞り出した。
「ロザリーさん。……お願いが、あります」
「はい、何なりと」
「私を……陛下のお部屋へ、連れて行ってください」
その短い言葉に、ロザリーの顔から一瞬で血の気が引いた。
「何を仰るのですか! 先ほども申し上げたはずです、今のアルチュール様の周囲は、近衛の騎士たちですら近づけぬ死の領域。冗談でもそのようなことは――」
「冗談では、ありません」
ブランシュはゆっくりとロザリーの方へ向き直った。
その瞬間、ロザリーは思わず息を呑み、言葉を失った。
そこにいたのは、今まで大切に保護してきた、儚く可哀想な敗戦国の王女ではなかった。
時折見せていた、あの生を諦めたがゆえの『静かな凛とした姿』。けれど今の彼女には、死の諦念などではなく、自らの足で立ち上がろうとする強固な意志と、眩いほどの魂の輝きが宿っていた。
真っ直ぐに自分を射抜く純白の瞳に、ロザリーの体が、本能的な気圧され方で小さく震える。
「マルタさんが、教えてくれました。この帝国における祝福の考え方は、持てる者が持たざる者へ、その尊い力を分け与え、捧げ合うものなのだと」
一歩、ブランシュが前へ踏み出す。
「私は今、陛下のおかげで、ルベリオンでのあの苦しさも、恐ろしい孤独も、すべて忘れてしまうほどの幸福を頂きました。……なら、今度は私の番なのです。あの人が、誰の手も借りられずに一人で暗闇の苦しみに沈んでいるのなら、私は、あの方を今、孤独にしたくありません」
拙いはずの帝国の言語が、今は不思議なほど、一言一言に重い説得力を伴って響く。
「お願いします、ロザリーさん。……私を、陛下のところへ案内してください」
ロザリーは激しく動揺していた。絶対に許可してはならない。もしブランシュの身に何かあれば、それこそ皇帝に顔向けができない。
けれど、ブランシュの強い意志が宿った眼差しは、ロザリーの理性を狂わせるほどに気高く、どうしても『否』と拒絶することができなかった。
沈黙の時間だけが、重く、長く、二人の間に流れる。
やがて、ロザリーは根負けしたように深くため息をつき、静かに頭を垂れた。
「…かしこまりました。ですが、少しでも危険だと私が判断した場合は、すぐに引き返していただきます。よろしいですね、ブランシュ殿下」
「はい。ありがとうございます、ロザリーさん」
◇
ロザリーの先導で、ブランシュは帝国へ来てから数度目となる、皇城の本館の廊下を歩いていた。
いつアルチュールの力が暴走し、その漆黒の霧に巻き込まれるか分からないため、普段は華やかな本城の廊下には、今や人っ子一人存在しない。静寂だけが不気味に響く、まるで墓場のような空間だった。
アルチュールの私室を目指して階段を上り、廊下を進む。
部屋に近づくにつれ、空気の『重み』が、異常な早さで膨れ上がっていった。
「くっ、あ、は……っ」
前を歩いていたロザリーが、突然胸を押さえてその場に膝をついた。
肉眼で見えるほどに濃くなっていく漆黒の魔力圧。それは常人の肺腑を圧迫し、目に見えない強固な手で首を絞められているかのような錯覚をもたらす。まともに息を吸うことすらできず、ロザリーの顔が苦痛に歪んでいく。
だが、その背中を後ろから見つめていたブランシュは、不思議なことに、その『重み』を全く感じていなかった。
ただ、部屋の奥から伝わってくる、あの朝食の席で感じたものの何十倍も激しい、アルチュールの痛々しい悲鳴のような気配だけが、彼女の胸を締め付けていた。
「ロザリーさん、ここまでで大丈夫です。安全な所まで、戻ってください」
「ですが、殿下……っ、あなた様、は……なぜ、平気、で……」
「私には、魔力がありませんから。……行ってきます」
ロザリーの手から鍵を抜き取り、ブランシュは苦しむ彼女を安全な階下へと促すと、単身でアルチュールの私室の扉の前に立った。
バチバチと、扉の隙間から漆黒の火花が散っている。
ブランシュは怯むことなく、その重厚な扉を小さくノックした。
「――陛下。ブランシュです。入りますね」
中からの返事を待つことはしなかった。
ブランシュは静かに鍵を開け、迷いのない手で扉を押し開けると、狂気と激痛の嵐が吹き荒れる漆黒の部屋の中へと、吸い込まれるように姿を消していった。
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