第16話 祝福の形と、捧げ合う世界
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図書室でマルタに温かく心を救われてからというもの、ブランシュにとってこの場所は、城の中で最も大好きな空間になっていた。
本を読んでいて気になったことや、どうしても分からない言葉があれば、ブランシュは積極的にマルタや家庭教師の先生に質問するようになった。先生から出された難しい課題に頭を悩ませていると、マルタが「それなら、この本が役に立つよ」と、古い書棚の奥からぴったりの参考図書をそっと紹介してくれる。そんな風に、二人はたくさんの穏やかで有意義な時間を一緒に過ごすようになっていた。
ある日のこと、ブランシュは帝国の暮らしや街の仕組みについて書かれた本を読んでいた。そこで、貴族以外の平民たちがどのように生きているかを知り、ひとつの大きな疑問に突き当たった。
「マルタさん、少しお聞きしても良いですか?」
「おや、どうされましたかい、ブランシュ様」
本のページを指差しながら、ブランシュは不思議そうに純白の瞳を瞬かせる。
「この本には、街の貯水池へ水を汲みに行く仕事のことが書かれていないのです。ルベリオンでは、毎朝平民たちが重い桶を持って貯水池へ行くのが当たり前だったのですが……。帝国には、そのような労働をする階級の仕事は存在しないのですか?」
「ああ、なるほど。そういうことでございますか」
マルタは納得したように、深く刻まれた目元の皺を優しく緩めた。
「帝国ではね、わざわざ遠くの水場まで人間が水を汲みに行く必要はないのですよ。国中に『水道』という管が通されておりましてね。生活に必要な水は、蛇口をひねれば勝手に出てくる仕組みになっているのです。そうした技術を一生懸命に勉強して詳しくなった賢い人たちが、身分に関わらず、誰でも使える便利なものを開発したり、作ったりしてくれるのですわ」
「誰でも、使える……」
ブランシュは驚きを隠せなかった。ルベリオンでは、水は大地の恵みによって自然と湧き出るものであるが、万が一その貯水池が枯れた際は、高額な報酬と引き換えに『水魔法』を扱える高貴な魔法士へ湧き出しを依頼するのが常識だった。魔法士たちはそれを「無能な平民に恵んでやっている」と傲慢にのたまう。だからこそ、水が枯れるということは、平民にとって生殺与奪の権を握られるよっぽどの危機を意味していた。
しかし、この国は違う。魔法という個人の力に頼るのではなく、知識を持つ者がすべての人のためにライフラインを整えている。
マルタは「少々お待ちくださいね」と微笑むと、しばらく席を離れ、書棚の奥から年季の入った一冊の古い聖典を取ってきて、ブランシュの前にそっと差し出した。
「ブランシュ様。我がヴァランシエンヌ帝国における『魔法』、そして『神の祝福』に対する古くからの考え方が、この本には書かれております。少し、お話ししてもよろしいですかね」
「はい、ぜひ聞きたいです」
ブランシュが身を乗り出すと、マルタは本を優しく撫でながら、落ち着いた声で解き始めた。
「ルベリオンでは、魔力を持つことだけが『神の祝福』とされているようですが、この帝国では違います。神様が人間へ授ける祝福は、決して魔法だけではございません。ある人には人目を引く美貌を、ある人には富を生み出す商才を、ある人には先ほどの水道を作るような智慧を。神様からの祝福の形は、人によって多岐に渡るのです」
マルタの言葉は、ブランシュがこれまで受けてきた教育のすべてを根底から覆すものだった。
「また、祝福は人だけではなく、この世の全てのものに平等に与えられていると考えます。大地への祝福として、尽きることのない湧き水や、豊かな鉱物、命を育む木々が与えられる。大自然は、それらの力を持たない『持たざる者』である人間に、自らの祝福を惜しみなく捧げ、分け与えてくれているでしょう?」
「大自然が……人間に、捧げる……」
「ええ。人間同士も同じです。魔法も、知恵も、美貌も、すべては神様からたまたま預かった等しく尊い祝福です。ですから、この国では『お互いに、祝福を受けた者は、それを持たざる者へ捧げ合う』という古い信仰の考え方があるのです。強い魔力を持つ者はその力で国と民を護り、知恵を持つ者はその頭脳で生活を豊かにし、農夫は美味しい作物を作って皆を癒やす。そうやって、持てる者が持たざる者へ捧げ合い、循環していくのが、この帝国の生き方なのですわ」
――お互いに、祝福を受けたものは、持たざる者へ捧げ合う。
マルタの紡いだ言葉が、ブランシュの胸の奥に、雷が落ちたかのような凄まじい衝撃を伴って響き渡った。
ルベリオンでは、魔力を持たない自分はただの「無能の失敗作」であり、誰かに何かを強要され、搾取されるだけの存在だった。
けれど、この帝国が持つ文化と思想は、どこまでも優しく、対等で、崇高だった。どんな人間にも、何かしらの祝福があり、それをお互いに捧げ合って生きている。
「なんて……なんて素晴らしい考え方なのでしょう……」
ブランシュは震える手で聖典の表紙に触れた。純白の瞳が、これまでにないほどに感銘の光で満ちていく。
「私、もっとこの帝国の生き方について知りたいです。自分には魔力はありませんが……それでも、この国の人たちのように、誰かのために何かを捧げられるような、そんな生き方をしたい……」
「フフ、ブランシュ様は、もう十分にその清らかな心という素晴らしい祝福を持っておいでですよ。焦らず、ゆっくりと学んでいきましょうね」
マルタは愛おしそうにブランシュの純白の髪を撫でた。
初めて知る、世界の本当の美しさと温かさ。
この帝国の思想に深く感銘を受けたブランシュは、ますます図書室の知識にのめり込んでいくのだった。
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