第14話 箱庭
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ヴァランシエンヌ帝国の皇城での生活は、ブランシュにとって、まるで夢の続きのようだった。
昨夜の凄絶な苦痛を一人で耐え抜いていた主君の様子など、離れの塔にいるブランシュが知る由もない。ただ、侍女長ロザリーのどこまでも完璧で行き届いた配慮の元で、ブランシュの傷ついた心と体は、驚くほどの速さで回復していった。
じくじくと爛れていた頭皮は、優秀な医官の薬膏によって一週間もすれば綺麗に赤みが引き、新雪のような純白の髪は、毎日丁寧なお手入れを施されて、今や歩くたびに真珠のような光沢を放って揺れている。
気づけば、あの港に降り立ってから、二ヶ月の月日が流れていた。
「――まあ! なんてお美しいのでしょう……!」
衣装室で、ふくよかな体付きをした帝国の高名な女性衣装係が、感極まったように両手を頬に当てて声を上げた。
今日、ブランシュが身に纏っているのは、仕立て上がったばかりの本格的な皇族の衣装だ。
無理な締め付けの一切ない、最高級の絹で織られた仕立ての良いドレス。ブランシュの髪と瞳と同じ、どこまでも清らかな「白」を基調とし、随所に帝国の象徴である繊細な銀の刺繍が施されている。
「殿下のこの素晴らしい純白は、帝国のどんな最高級の宝石よりも輝いて見えますわ。お作りできて本当に光栄です!」
「ありがとうございます、お仕立師。とても……軽くて、動きやすいです」
実家では、サイズすら合わない他人の古着を着回され、床を引きずるのが当たり前だった。自分のためだけに作られた、体にぴったりと沿う美しいドレス。鏡の中に立つ、汚れを完全に落とされた気高い王女の姿に、ブランシュは未だに現実感が湧かない。
「ロザリーさん。……私、このような贅沢をさせていただいて、本当に良いのでしょうか」
「もちろんでございますよ、殿下。これらはすべて、アルチュール様が『皇族に相応しい扱いを』とお命じになったからこそですわ」
「陛下が……」
ブランシュは、あの朝食の席で不器用に椅子を取り替えてくれた、漆黒の皇帝の姿を思い出す。
あれか以来、彼は公務や戦況の確認で忙しいのか、直接顔を合わせる機会はまだない。けれど、この温かい部屋も、美味しい食事も、お仕立師の優しい言葉も、すべてはあの人が私に与えてくれたものなのだ。
「私、陛下には感謝してもしきれません。いつか、拙い言葉ではなく、もっと正しい帝国語で、きちんとお礼を伝えたいです」
「フフ、そのお気持ちだけで、陛下は十分にお救いになりますわ。……では殿下、今日からはご希望されていた家庭教師との授業を始めましょうね」
部屋の中を自由に動き回り、簡素な夜着であれば着替えも自分で行えるほどの体力が回復したブランシュは、自らの意思で「帝国の言葉や歴史を学びたい」とロザリーに願い出ていた。
用意された初老の男性家庭教師は、魔力のないブランシュを「無能」と蔑むことなど微塵もなく、むしろ彼女の驚異的な記憶力と、乾いた砂が水を吸うような知識への貪欲さに、日々感嘆の声を漏らした。
「殿下は本当に聡明でいらっしゃる。ルベリオンの古い言葉と帝国の言葉の共通点を、まさかひと月でここまで理解されるとは!」
「先生の教え方が、とても分かりやすいからです」
初めて、自分の努力を正当に褒められる経験。
ただ幽閉され、世界のすべてから拒絶されていた少女の心が、新しい知識を得るたびに、まるで春を迎えた蕾のようにゆっくりと、瑞々しく開いていく。
そうして、最低限の読み書きと、日常会話を完璧にマスターした頃。
ロザリーは、嬉しそうに机に向かうブランシュへ、優しく微笑みかけながら一つの提案をした。
「殿下、家庭教師の先生との授業がない日は、少し息抜きをされてはいかがですか? この皇城の本館最上階には、歴代の皇族が集めた本が眠る、とても大きな図書室がございますの。きっと、今の殿下なら、とても有意義な時間を過ごせると思いますわ」
「図書室……。私、行ってみたいです!」
初めて、自分から「したいこと」を明確な言葉にして目を輝かせたブランシュ。
それが、彼女の運命を大きく動かす、新たな出会いの始まりだとは、この時のブランシュはまだ知る由もなかった。
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