第13話 苦痛の宿命
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「……俺は先に戻る。お前はゆっくりと食べ、その後も安静にしているといい」
正面の席で、未だスープを小さく啜っているブランシュにそれだけ告げると、アルチュールは席を立った。
ロザリーがすべてを察した目で深く一礼するのを背に受けながら、足早に部屋を後にする。
そこからは、限界だった。
廊下を歩く足が、次第に縺れ始める。
自身の私室へ飛び込み、重厚な扉を閉めた瞬間、アルチュールはその場に激しく膝をついた。
「が、はっ……あ、……っ!!」
滝のような冷や汗が全身から噴き出す。
首元のクラバットを、衣服のボタンを、引きちぎるかのような荒々しさで毟り取り、胸元を大きくはだけさせる。しかし、どれだけ呼吸を貪ろうとも、肺腑を灼く漆黒の熱は収まらない。
アルチュールは這うようにしてベッドへと縋り付き、そのままシーツの上へとのたうち回った。
痛い。痛い。痛い。
内臓が沸騰し、すべての血管に沸き立った鉛を流し込まれているかのような激痛。
声にならない悲鳴が掠れた喉から漏れ、自らの爪が皮膚を裂くのも構わず、全身を、胸元を、狂ったように掻きむしり、のたうち回る。ベッドの柱を軋むほどに締め上げ、己の力に圧し潰されそうになりながら、アルチュールは朦朧とする意識の中で、自らの忌々しい半生を呪うように思い出していた。
(――何が、神の祝福だ)
生まれたその瞬間から、アルチュールは夜の闇を溶かしたような真っ黒な髪を宿していた。
魔力交配を重視せぬ帝国においてすら、その異例の黒さは「稀代の天才の誕生」として祝福された。両親である先代の皇帝夫妻は大層喜び、彼を『帝国の至宝』として、この上なく大切に、深く愛し、育ててくれた。
最初は、小さなささくれのような痛みだったのだ。
それが年齢を重ねるごとに、身を灼くような高熱へと変わり、夜な夜な寝込むことが増えていった。
原因は分かっていた。体内の魔力が、あまりにも膨大すぎるのだ。
だからこそ、アルチュールは幼い頃から魔法の訓練を欠かさず行った。だが、彼の持つ“黒”は、ルベリオンで使われるような「生活に活かせる便利な魔法」のスケールを遥かに超越していた。
例えば、ほんの少しの湧き水を出そうとすれば、それは海をひっくり返したかのような大量の水塊となり、巨大な龍の形を成して辺り一帯をすべて押し流し、完全に消し去ってしまう。
彼の持つ力は、初めから「不変の破壊兵器」でしかなかったのだ。
そしてあの、十二歳の寒い冬の日が訪れる。
皇族の直轄地である、酷寒の氷山へと視察に赴いた時のことだ。
ふと、まだ幼かったアルチュールは、あまりの寒さに凍えながら心の中で思った。
(……少し寒いな。身体が温かくなる魔法が、使えたらいいのに)
ほんの、子供らしい、些細な願いだった。
だが、彼の異常な魔力は、そのあまりにも無垢な思考に過剰に反応し、一瞬で制御の檻を食い破って暴走した。
『アルチュール! 落ち着きなさい、魔力をコントロールするんだ!』
『大丈夫よ、私たちがついているわ、恐れるないで……!』
叫んだ両親が、暴走する我が子を落ち着かせようと、両側から必死に抱きしめてくれた。
けれど、アルチュールの体から溢れ出た力は、彼らを温める優しい火などではなく、天を衝くほどの業火となって猛り狂う渦を巻いた。
引き剥がす暇さえなかった。
アルチュールを愛し、抱きしめてくれていた父と母の肉体は、彼の放った黒い炎によって、骨の一片すら残らず、一瞬にして灰へと変えられた。
最悪だったのは、その直後だ。
両親を殺し尽くし、すべての炎を放出し終えたアルチュールの肉体を満たしたのは、
これまで一度も経験したことのないような、圧倒的な清涼感と、どこまでも澄み渡るような心身の解放感だった。
身体を灼いていた激痛が、一滴も残らず消え去っている。
最愛の両親を自らの手で焼き殺したその足元で、何よりも心地よい「安らぎ」を感じている自分自身の悍ましさに、アルチュールは激しい嫌悪と、五臓六腑が裏返るような吐き気を覚えた。
それ以来、彼は十五年の間、『親殺しの冷徹なる皇帝』として、孤独に玉座に君臨し続けている。
世間は彼を「焦土を好む死神」「殺戮を愛する狂王」と恐れ、罵る。
だが、真実は違う。アルチュールは、積極的に人を殺したいわけでも、他国を侵略して焦土を作りたいわけでもない。
ただ、この体内に日々溜まっていく圧倒的な魔力を、定期的に外へと『放出』しなければ、彼は狂気と死よりも辛い、あの肉体が内側から引き裂かれる苦痛に苛まされ続けるのだ。
だから、帝国を守るためという大義名分を掲げ、売られた喧嘩に買い言葉で答える形で、単身戦場へと出向き続けてきた。ただ、自らの命を繋ぐためだけに、戦場で破壊と殺戮の限りを尽くし、魔力を間引いてきたのだ。他者を蹂躙し、焼き尽くした後に訪れる、あの忌々しい「痛みのない清涼感」を、自らへの罰のように受け入れながら。
「が、はっ……あ、あ、ああああ……ッ!!」
シーツを血が滲むほどに掴み、アルチュールは歯を食いしばる。
先の戦争で魔力を放出してからは、まだそれほど日は経っていない。それなのに、体内の“黒”は、もう次の決壊に向けて膨れ上がろうとしている。
また、戦場へ行かねばならない。人を殺し、大地を焼き、あの悍ましい快感を得なければ、自分が死んでしまう。
(ブランシュ……)
ふと、脳裏に、先ほどまで向かい合わせでスープを啜っていた、あの純白の少女の姿が浮かんだ。
一滴の魔力も持たない、完璧な失敗作。神の祝福に拒まれた、空っぽの器。
自分を灼き殺そうとしているこのドロドロとした醜い“黒”とはあまりに対照的な、汚れのない、まばゆい純白の光。
「ふっ……俺の隣が、死神の巣窟だと知れば……あの娘は、どんな顔をして逃げ出すだろうな……」
アルチュールは自嘲気味に低く笑い、痛む胸を強く押さえつけながら、ただ冷たいベッドの上で、一人静かに嵐が過ぎ去るのを耐え続けるのだった。
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