第10話 戸惑いの朝
数ある作品の中からちらりと覗いてくださりありがとうございます。
しばらくお付き合いくださいますと嬉しいです。
ふんわりとした、信じられないほどの柔らかさの中で、ブランシュは目を覚ました。
差し込む朝日の眩しさに瞬きをする。
体が、軽い。昨夜の手厚い治療と、あの温かくて美味しいスープのおかげだろうか。生まれて初めて、一度も恐怖の悪夢を見ることなく、泥のように深く、ぐっすりと眠ることができた。
(ああ、本当にここは……あの冷たい離れの塔ではないんだ)
そう実感し、起き上がろうとしたブランシュは、ふと自分の敷いている寝具が目に留まり、――血の気が引いた。
「あっ……」
純白の、最高級の綿でできたシーツと枕。
その上に、べっとりと黒ずんだ血と、爛れた頭皮の傷から出た滲出液が、大きなシミとなって付着してしまっていた。当然纏っていた衣服も同様である。
途端に、心臓が早鐘を打ち始める。
実家であれば、激しい暴行と、何日もの絶食が待っている大罪だ。
「せっかく、あんなに優しくしてもらったのに。私はまた、誰かの迷惑になって、大切なものを汚してしまった……」
一瞬で過去の絶望が蘇り、ブランシュが青ざめた顔でガタガタと震え出した、その時だった。
「――お目覚めですか、ブランシュ殿下」
部屋の扉が静かに開き、ロザリーが入ってきた。
ブランシュが怯えた目でシーツを見つめているのに気づいたロザリーは、一瞬で状況を察し、怒るどころか、その顔に大層嬉しそうな笑みを浮かべた。
「おやおや、素晴らしい。これほどたくさん、傷口から悪いものが出たのですね」
「え……?」
思いもよらない言葉に、ブランシュは目を見開いた。ロザリーは歩み寄り、シーツの汚れなどまるで気にも留めない様子で、ブランシュの肩を優しく包み込む。
「これだけ体液が出るということは、殿下の生体魔力……いえ、お体の治癒力がしっかりと働いている証拠ですわ。それに、これだけシーツに痕跡が残っていれば、医官が『どの部位の傷の治りが早いか』を正確に測るための、これ以上ない素晴らしい目安になります。さすがは医官の特製薬膏ですわね。よく頑張って眠られました、殿下」
「汚して、しまって……怒らない、のですか?」
「怒る? まさか! このような汚れ、お洗濯をすれば一瞬で真っ白に戻りますわ。それよりも殿下、一度お風呂に入って、この古いお薬をさっぱりと洗い流してしまいましょう。そのあとに、もう一度医官に綺麗に薬を塗り直させますね」
ロザリーの迷いのない完璧なフォローに、ブランシュの強張っていた心が、またひとつ解けていくのが分かった。
◇
朝の湯浴みを終え、再び女性医官の丁寧な診察を受け、頭皮に新しい薬を塗ってもらう。
お召し替えとして用意されたのは、昨夜ブランシュが選んだ、締め付けのない純白の柔らかな部屋着だった。
完全に汚れを落とされ、丁寧に梳かされたブランシュの髪と瞳は、朝日の光を浴びて、まばゆいほどの純白の輝きを放っている。鏡に映る自分は、まるで別の生き物のようだった。
「よくお似合いでございます、殿下。……さて、それでは温かい朝食をご用意いたしましょうね。少々お待ちくださいませ」
ロザリーが一度、部屋を退出していく。
静かになった室内で、ブランシュが自分の白い指先を見つめていると、それほど時間を置かずに、再び扉が開いた。
「殿下、お待たせいたしました」
戻ってきたロザリーの、その後ろ。
一歩遅れて部屋に入ってきた人物を見て、ブランシュは息を呑んだ。
漆黒の髪に、深く鋭い漆黒の瞳。
この帝国の主であり、死神と恐れられる皇帝――アルチュールだった。
アルチュールはどこかバツの悪そうな顔で、眉を僅かに顰めながら、半ばロザリーに押し切られるようにして入室してきた。
しかし、彼がその黒い瞳で、真っ直ぐにブランシュを捉えた瞬間。
「――っ」
アルチュールの足が、ぴたりと止まった。
昨夜の、泥と血に塗れた薄汚れた生贄の姿は、どこにもない。
そこにいたのは、新雪のように清らかな白い髪を輝かせ、同じ純白の瞳でこちらをじっと見つめる、世界のどの宝石よりも神秘的で美しい、一人の少女だった。
アルチュールは息を呑んだまま、完全に言葉を失い、ブランシュもまた、その圧倒的な威圧感に緊張しながらも、静かに彼を見つめ返す。
白と黒。無と有。
二人の瞳が真っ直ぐに交わり、この漆黒の帝国で、二人の本当の物語が、今、静かに幕を開けた。
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