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婚約破棄されたので、もう王太子に魔力は渡しません  作者: 凪乃
2章 半分の力で

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歪みの記録

記録庫での調査は、三日間続いた。


朝、ザハラの白い街を出て、砂漠の道を歩いて遺跡に行く。途中で風が砂を運んでくる。目に砂が入ることがある。マリアが渡してくれた布で顔を覆う。砂の匂い。乾いた石の匂い。もう慣れた匂いだ。


ナディアが巻物と石板を一つずつ確認し、私が紋章の図案を書き写した。マリアが食事と茶を遺跡まで運んでくれた。砂漠の日差しの下で、記録庫の入口に日除け布を張って、そこが臨時の作業場になった。布の影は涼しいが、日差しの中は容赦なく熱い。影と光の境界線を踏むと、片足は涼しく片足は焼ける。


ルーカスは遺跡の外周を歩いている。護衛の巡回。砂漠には遮蔽物が少ないから、見通しがいい。近づく人間がいれば、遠くから分かる。彼は一日に三回、外周を歩いた。戻ってくるたびに、マリアが水筒の水を差し出す。ルーカスは無言で受け取って、三口で飲み干す。マリアは無言で新しい水筒を出す。二人の間に言葉は少ないが、動きは噛み合っている。


三日目の午後、ナディアが石板の一つを翻訳し終えた。


「これを読んでください」


石板は手のひらに二枚分ほどの大きさで、両面に文字が彫られている。字の深さが均一だ。彫った人間の技術が高い。ナディアの翻訳を、紙の上に並べて読んだ。


石板の内容は、ブランシュ家の魔力がどのように王家に組み込まれたかの詳細な経緯だった。読み進めるにつれて、胸の奥が冷えていく。


もともと、ブランシュ家の魔力はロストリアとの契約に基づいていた。門の守護と開放。それが本来の役割。しかし、三百年前に王家がブランシュ家を取り込んだ。王家は結界維持のために大量の魔力を必要としていた。ブランシュ家の魔力は、その需要に合致した。


取り込みの過程は、段階的だった。最初は「協力」という名目。次に「義務」。そして最終的には「家門の存続と引き換えの供給」。三百年かけて、対等な契約者が、いつの間にか従属的な供給者に変わっていた。一度に変わったのではない。少しずつ、気づかないほど緩やかに。文書に残された言葉の変遷が、その過程を明確に示していた。


「構造的な搾取ですね」


ナディアが言った。感情を排した声。研究者として事実を述べている。


「搾取という言葉は、意図がなくても成立しますか」


「構造が固定されれば、意図は不要です。仕組みが勝手に回る。最初に意図があったかどうかは、結果には関係ない」


関係ない。仕組みが回っている限り、誰が善意でも悪意でも、結果は同じ。私は半年前まで、その仕組みの中にいた。魔力を搾られ、身体を壊し、それでも「王家のため」「結界のため」と言われ続けた。仕組みの中にいると、仕組みが見えない。外に出て、ここに来て、初めて構造が見えた。


エルヴィラ宛に手紙を書いた。石板の翻訳の写しを同封して、ガルディアに送る。エルヴィラなら、この情報を法的な文脈に変換できる。ブランシュ家の供給義務が、もともとの契約の歪みであるという根拠。あの人の机の上には、もう何通も私からの手紙が並んでいるだろう。全部整理して、番号を振って、時系列に並べているはずだ。


マリアが茶を持ってきた。記録庫の冷気で冷えた身体に、温かい液体が染みる。カモミールとミント。いつもの配合。変わらない味が、変わってしまった世界の中で、足場になる。カップを両手で包むと、指先に血が戻ってくる感覚がある。記録庫の中は冷たかった。


「母はこの構造を知っていたのね」


「はい。書簡にあった『渡さないもの』の意味が、今分かりました」


マリアが頷いた。穏やかな顔。でも目の奥に、静かな怒りがある。この人は私の味方だ。感情を表には出さないが、私が傷つけられることに対して、穏やかに怒っている。その怒りは、カップを置く手の角度に出る。普段より少しだけ強い。


「エルヴィラ殿にお手紙を書かれますか」


「ええ。今夜書きます」


夜、ランプの光の下で手紙を書いた。石板の翻訳の写しを三部作った。一部はエルヴィラに。一部はフリードリヒに。一部は自分の手元に。母がそうしたように、情報は分散させて保管する。


石板を記録庫に戻した。この記録は、ここにある方がいい。王宮に渡す必要はない。写しだけを持ち帰る。母がそうしたように。窓の外で星が瞬いていた。砂漠の星は近い。手を伸ばせば触れそうなほど明るく、空を埋め尽くしている。

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