紋章の奥
七日目。
毎日、石門に通った。朝の涼しい時間に遺跡に行き、門柱に手を当て、少しずつ魔力を流す。門を壊さないように。身体を壊さないように。半分の力を、薄く、長く。
ナディアが横で記録を取っている。魔力の流れが門柱を通過する時の石の温度変化。光の色。光の持続時間。すべて数値に変えて記録している。エルヴィラがいたら、二人で三日は議論するだろう。
門はゆっくりと開いていった。
三日目に五センチ。五日目に十センチ。七日目——今日、人が横向きに通れるだけの隙間が開いた。
門の向こうから流れ出る空気は、変わらず冷たかった。石と、古い紙と、かすかな金属の匂い。何百年も封じられていた空気。呼吸すると、肺の奥が少しひんやりする。
「入れます」
ナディアの声が震えていた。二十年間待った瞬間。指先が白くなるほどランプを握っている。目が潤んでいる。泣いているのではない。感情が溢れているのだ。
「私が先に」
門の隙間を横向きに通った。石の壁が両肩に触れる。冷たい。氷のような冷たさではなく、もっと古い冷たさ。何百年も光を見なかった石の冷たさ。二歩目で、足元の感触が変わった。砂ではなく、磨かれた石の床。靴底がかすかに滑る。空気が違う。外の乾いた砂漠の空気ではなく、湿気を帯びた、古い空気。鼻の奥で埃の匂いがする。
ランプの光が壁を照らした。
記録庫だった。
石の棚が、壁に沿って並んでいる。棚の上に、巻物と石板が整然と並べられていた。埃は少ない。密閉されていたからだろう。巻物の端が少し変色しているが、保存状態は驚くほど良い。
棚の一つに近づいて、巻物を一本取った。紐を解く。開くと、中に文字が並んでいた。古い書体。読めない部分が多い。だが、ところどころにブランシュ家の紋章と同じ渦巻きの図案が描かれている。
ナディアが入ってきた。彼女の目は棚を舐めるように動いている。何十年分の渇望が、今この瞬間に解放されている。
「これは——契約の記録です」
ナディアが石板の一つを読み始めた。古い文字を指でなぞりながら、声に出して翻訳する。
「ブランシュ家とロストリアの間の、魔力供給に関する古い契約。王家を経由しない、直接の契約です」
直接の契約。王家を経由しない。
つまり、ブランシュ家の魔力は、もともと王家のために存在したのではない。ロストリアとの古い契約のために存在していた。王家がブランシュ家を魔力供給役に組み込んだのは、後からの話だ。
石板の文字を、ナディアが読み上げていく。
『ブランシュの力は、門の守護と開放のために在る。王の命ではなく、契約者の意思によって行使される。力は貸すものであり、奪われるものではない』
力は貸すものであり、奪われるものではない。
この一文を読んだ時、胸の奥で何かが開いた。門が開いたのと同じように。静かに、確実に。半年間、婚約破棄の後で感じていた曖昧な違和感が、ここで言語化された。奪われていたのだ。形式上は「供給」だが、実態は「奪取」だった。力を出す側に選択権がなければ、それは供給ではない。
母は、この文を知っていた。「渡さないもの」の根拠が、ここにあった。王家への供給義務は、契約の歪みから生まれたものだった。もともとの契約は、対等な者同士の取り決めだった。力を持つ者が、力を必要とする者に、自分の意思で貸す。それが原型だった。
ナディアが石板を手に取って、裏面を確認している。目が潤んでいる。研究者としての感動だ。
ルーカスが門の外に立っていた。記録庫の中まで入ってこない。入口で見張っている。護衛の仕事。でも一度だけ中を覗いた。ランプの光に照らされた石の棚と巻物を見て、短く息を吐いた。
「すごいな」
「ええ」
すごい。それ以外の言葉は、今は要らなかった。
帰り道、夕日の中を歩きながら、この発見をエルヴィラに伝える手紙の文面を頭の中で組み立てた。石板の翻訳の写しを同封する。エルヴィラなら、この情報の法的な意味を理解できる。ブランシュ家の魔力が王家のものではないという証拠。それは、半年前の婚約破棄の時に欲しかった情報だ。
マリアが遺跡の入口で待っていた。水筒と干し果物を差し出してくれた。遺跡から戻る時はいつも空腹だ。魔力を使うと、身体がエネルギーを要求する。干し果物の甘さが舌に広がる。砂漠の果物は糖度が高い。乾燥した空気が甘さを凝縮する。
ルーカスが先を歩いている。私とマリアの二歩前。護衛の位置。でも時々振り返る。私が笑っていることを確認して、前を向き直す。




