探りの笑顔
翌朝、ハーリドが宿舎を訪ねてきた。
護衛を一人だけ連れて、平服で来た。昨夜の正装とは違う。白い亜麻布の上着に、革のサンダル。街の商人に見えなくもない格好だ。わざと敷居を下げている。王子ではなく個人として来た、という演出。しかし指にはロストリア王家の印章の指輪。外していないのは、忘れたのではなく、立場を完全には隠さないという計算だろう。
「昨夜は楽しんでいただけましたか」
テラスに座って、マリアが淹れたミント茶を飲みながら言った。一口飲んで、少し目を細めた。味を確かめている。砂漠の朝は既に暑いが、テラスの日除け布の下は風が通って涼しい。
「おいしい。この配合は、あなたの侍女の?」
「ええ。マリアが砂漠の水に合わせて調整しました」
「見事だ。うちの茶人に教えてほしいくらいです」
笑みが柔らかい。社交辞令だが、マリアの茶を本当に美味いと思ったのは本当だろう。この人は、嘘と本音を同時に出せる。どちらがどちらかを相手に判別させないのが技術なのだ。
「昨夜の続きをお聞きしてもいいですか。母のことを、ロストリアではどのように知っているのですか」
ハーリドは茶のカップを両手で包んだ。砂漠の朝は暑いが、手の中のカップを温めるように持つのは癖なのだろう。答える前の間が、計算なのか誠実さなのか、判別がつかない。
「イザベラ・ブランシュ殿のことは、遺跡調査の記録に名前があります。二十年以上前、ブランシュ家からロストリアへ調査団が来たことがある。その一員としてです」
二十年以上前。私が生まれる前。母が若い頃に、この土地を訪れていた。昨日の市場で見た砂漠百合の壺を思い出す。母はあの花を知っていた。この街を歩いたのだ。
「調査の目的は」
「紋章の由来の確認です。ブランシュ家の紋章がロストリアの遺跡と一致している——この事実は、二十年前にも確認されています。つまり、あなたのお母様はこの紋章の意味を知っていた」
知っていた。やはり。
胸の奥で、冷たいものが動いた。怒りではない。悲しみでもない。もっと静かな感情。知っていて、教えなかった。母には母の理由があったはずだ。でもその理由を聞く機会は、もうない。
「なぜ今、その情報を私に?」
ハーリドは茶のカップを置いた。笑みが消えた。初めて、計算ではない表情が出た。
「率直に言えば、利害が一致するからです。ロストリアは遺跡の保全と活用に関心がある。あなたは紋章の意味と母の過去に関心がある。門を開けるには、あなたの魔力が必要です。私たちだけでは開けられない」
利害の一致。正直な物言いだ。歓迎の裏にあったものが、ようやく表に出た。
「力を貸してほしい、ということですか」
「力を借りたい、と言い換えます。対等な取引として」
笑みが戻った。だが、さっきの笑みとは質が違う。交渉の笑みではなく、提案の笑みだ。こちらの答えを急がない種類の。
ルーカスがテラスの柱に背を預けていた。腕を組んで、ハーリドを見ている。表情は読めない。しかし身体の角度が、警戒の姿勢になっている。肩がわずかに前に出て、重心が低い。ハーリドが何か不穏な動きをしたら、一歩で間合いを詰められる距離。護衛の癖は、告白の前も後も変わらない。
「考えさせてください」
「もちろん。時間はあります。——ただ、一つだけ」
ハーリドが立ち上がった。茶のカップをテーブルに置く動作が、不自然に丁寧だった。次の言葉を効果的に出すための間だ。
「あなたの国の使者が、こちらに向かっているようです。結界管理局の名前で。到着は数日後でしょう」
カイルの手が、ここまで伸びている。砂漠を越えて。
ハーリドは礼を言って去った。護衛がその後ろに続く。門が閉まる音。静かになったテラスで、ミント茶の香りだけが残っていた。
ルーカスが柱から背を離した。腕組みを解いて、肩を回す。緊張していたのだろう。ハーリドがいる間、ずっと警戒していた。
「あいつ、笑顔の裏で全部計算してるぞ」
「知っています」
「でも、嘘はついてない」
「それも知っています。嘘をつかないで計算できる人は、嘘をつく人より厄介です」
ルーカスは黙った。そして、マリアが置いていったパンの切れ端を取って、齧り始めた。その音を聞きながら、私はハーリドが最後に言った言葉を考えていた。王宮の使者が来る。カイルの名前で。対等な取引か、それとも兵器としての回収か。選ぶのは私だ。




