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婚約破棄されたので、もう王太子に魔力は渡しません  作者: 凪乃
2章 半分の力で

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砂へ向かう道

馬車が離宮の門を出た時、朝日はまだ低かった。


門の蝶番が軋む音を最後に、離宮は背後に遠ざかっていった。振り返ると、テラスの手すりにエルヴィラの姿が見えた。片手を上げている。もう片手にはノートを抱えている。最後まであの人らしい。


馬車の中は三人。私とマリアとルーカス。御者は信頼できる者をフリードリヒが手配してくれた。馬車の床には荷物が積まれていて、足元が少し窮屈だ。マリアが持ち込んだ茶箱が、振動でかたかたと鳴る。


ルーカスは向かいの席に座っている。腕を組んで、目を閉じていた。寝ているのか、起きているのか分からない。でも、馬車が石畳の段差を越えるたびに、身体が微妙にバランスを取っているから、起きている。


街道に出ると、風景が変わり始めた。王都の石造りの建物が遠ざかり、農地と牧草地が広がる。牛が草を食んでいる。風に混じる匂いが、花から草へ、草から土へと移り変わっていく。窓から入る風が、少しだけ乾いている。


「三日で国境の町に着きます。そこから先は、ロストリアの道に入ります」


ルーカスが目を開けて言った。


「検問は」


「北回りだから一つ。フリードリヒ陛下の渡航許可書がある。問題ない」


渡航許可書は、私の胸ポケットに入っている。羊皮紙の厚みが、服越しに感じられる。ペンダントのすぐ隣に。紋章と許可書。母の形見と、今の私の判断。二つが胸の上で重なっている。


マリアが茶箱を開けた。携帯用の小さな火器と、銅のポットを取り出す。


「お茶を淹れましょうか。揺れますから、少し薄めに」


「お願い」


馬車の中で紅茶を淹れるのは難しい。揺れるし、お湯がこぼれる。でもマリアは手際がいい。ポットを膝で固定して、茶葉を量り、小さな魔石の火器で湯を沸かす。湯気が馬車の中に広がった。カモミールの甘い匂い。


一口含む。温かい。舌の上で香りがほどける。馬車の振動で少しこぼれて、指が濡れた。布で拭く。その一連の動作が、旅の中の日常を作る。


ルーカスもカップを受け取った。パンの切れ端を出して、齧りながら飲んでいる。相変わらず食事と飲み物を同時に片付ける。効率的というよりは、食事に時間をかけることに慣れていないのだろう。軍にいた頃の癖だ。


「ルーカス。パンは浸さないで」


「浸してない」


浸していた。カップの縁にパンくずが浮いている。マリアが無言でルーカスのカップを回収し、新しいのを淹れ直した。ルーカスは特に抗議しなかった。二人の間のこのやり取りは、離宮でも毎朝のように繰り返されていた。旅に出ても変わらない。そのことが少しおかしくて、口元が緩んだ。


窓の外を、行商人の馬車が追い越していった。幌の隙間から、陶器が覗いている。王都からフリードリヒの手配で来ていた行商人と、同じ種類の荷だ。街道は、人と荷物を運ぶ血管のようなものだ。その血管の先端に、ロストリアがある。


午後になると、風景はさらに変わった。牧草地が減り、乾いた丘陵が見え始める。空が広い。雲が低い位置を流れていく。遠くに、乾いた川床が見えた。夏場しか水が流れない川だ。地面の色が、緑から黄土色に変わりつつある。


ペンダントを握った。金属が手のひらの中で温まる。この道の先に、母の紋章がある。同じ模様が、砂漠の石門に刻まれている。なぜブランシュ家の紋章が王国の外にあるのか。母は知っていたのか。知っていて、私に教えなかった理由は何なのか。


馬車が揺れた。ルーカスの膝が私の膝に触れて、すぐに離れた。「すまん」と短く言った。私は「いいえ」と答えた。それだけの接触で、昨夜のことが胸の奥に浮かんだ。好きだ、と言った声。返事はまだしていない。旅の途中で返すべきなのか、それとも目的を果たしてからなのか。分からない。


夕方、街道沿いの宿場に泊まった。マリアが部屋を取り、夕食を手配した。宿の食堂で三人で食べた。硬いパンと、煮込んだ豆と、塩漬けの肉。旅の食事だ。味は素朴だが、マリアが持ってきた香辛料を振ると少し変わった。


食後、部屋の窓から外を見た。月が出ていた。細い月。離宮で見るのと同じ月だが、周りの風景が違うから、別の月に見える。遠くの丘の稜線が、黒い波のように連なっていた。


ペンダントを外して、ランプの光に翳した。紋章の渦巻きが、影になって壁に映る。大きく引き伸ばされた影は、砂嵐のように見えた。母は、この紋章を首に掛けて、何を考えていたのだろう。


明日も、砂の方へ進む。

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