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「え……? じゃあ、どうして私には……」
首を傾げると、酒呑童子が「いや、あなたが訊いたんですよ?」と言う。あ、そっか。そうでした。
「え? じゃあ、ほかの人は訊かないってことですか?」
「そうですね。具体的な話をしないままのことが多いです」
「そ、そんなことがあり得るんですか?」
あれだけ不思議な体験をしたあとで、飛び込んだ店には頭に角が生えた人がいて?
それで何一つ疑問に思わず、質問もせず、もちろん解決もせず、料理を注文したうえで堪能できるって――いったいどういうメンタルしてるの? なにそれ、鋼すぎない?
唖然としていると、酒呑童子が唇に人差し指を当て、悪戯っぽく微笑む。
「そこには一つからくりがございまして」
「からくり、ですか?」
「ええ。このお店にはいくつかの呪術が施されておりまして」
「呪術……」
「ええ。その一つに、私がその人にとって好ましいの者に見えるというものがあります」
「……! 好ましい者に?」
思いがけない言葉に、思わずパチパチと目を瞬く。
「あれ? でも、みなさん、記憶はないんですよね?」
「その人にとって『好ましい者』は必ずしも『現世で心を通わせた相手』というわけではありません。もちろん、そういった相手に見えたことで記憶の一部が呼び覚まされる人もいらっしゃいますが」
「現世で心を通わせたわけでもないのに、好ましく思うんですか?」
「店に入ったとき、『こんな人がいてくれたら安心する』という願望が投影されることも大いにあります。たとえば、『自分を守ってくれそうな、ガタイのいい大将』だとか」
「あ、そっか。それも大きくは『好ましい者』になるんですね」
なるほどと頷くと、酒呑童子がほんのりと頬を染めて唇を綻ばせる。
「……だから、とても驚いたんですよ。あなたには、そのままの私が見えていると知って。あなたにとって、私は『好ましい者』だったんですね」
「え……?」
酒呑童子の姿が、私にとって、この状況にとって、好ましい――?
「光栄です」
彼の本当に嬉しくてたまらないといった様子になんだか急に恥ずかしくなってしまって、私は顔を赤らめた。
「い、いえ、私は別に……」
いや、小料理屋に鬼がいたら普通に怖いと思うよ? 自分のことは覚えていないけれど、そんな特殊な趣味をしていたはずは……ないと思いたい。
そ、そりゃ、酒呑童子のことは、なんて綺麗な人なんだろうって思ったよ? 一目見て言葉を失ったし、魂を抜かれたかのように見惚れたのは事実。額の漆黒の角には少しだけ戸惑ったけど、怖さはまったく感じなかった。でも、別にそれに深い意味はなんて――。
いや、鬼は怖いと思うのに、酒呑童子は綺麗だと思った時点で、意味があったのかな?でも、私自身が意識してやったことでもないし……。
俯いて、なぜか自分に言い訳していると、酒呑童子が気を取り直したように言う。
「――というわけで、なにかお作りしますよ。何が食べたいですか?」
「え? あ……ええと……」
私は熱くなってしまった頬に手で風を送りながら、視線を彷徨わせた。
私にとって思い出深い料理ってなんだろう? 一気に記憶が呼び醒ませそうな……?
必死に考えてみるも、なにも思い浮かばない。うーん……。一般的な知識はあるみたいなのに、どうして自分のことだけなにも思い出せないんだろう?
あ、でも、記憶障害は往々にしてそういうこともあるって聞いたことがあったような? 一般的な知識からすべて忘れてしまう場合もあれば、自分にかんするエピソード記憶だけ失ってしまう場合もあるって。――ほら、こういうことは覚えているのになぁ。
そっとため息をつくと、酒呑童子が穏やかに言う。
「焦ることはありません。ゆっくりで大丈夫です。そして、難しく考える必要もないです。記憶を呼び覚ますために――なんてことは考えず、そこはインスピレーションで結構です。なんでも言ってみてください。たいていのものはできますから」
「インスピレーションですか?」
「ええ。変に考えてしまうより、そちらのほうが案外本質を突いていたりしますからね」
その言葉にホッとする。そっか、それでいいのか。
私は酒呑童子の鮮やかな緋色の瞳をじっと見つめて、ポツリと呟いた。
「じゃあ……ナポリタンを……」
「ナポリタン、でよろしいですか?」
「ええと、はい……」
酒呑童子の瞳の色からインスパイアされたようなものだから、本当にそれでいいのかはわからない。
でも、それでも一番最初に思い浮かんだ食べものは、それだったから。
「なんとなく、ふと思い浮かんだんです。あの赤と黄色のコントラストが……」
「赤と黄色のコントラスト、ですか」
酒呑童子が私の言葉を繰り返して、唇に指を当てる。
「あ、で、でも……こんな素敵な小料理屋でパスタはないですよね? パスタっていうか、軽食っていうかって感じのものですし。あの、無理なら全然……」
ほかのものでも構わないと言おうとしたけれど、その言葉を笑顔で遮って、酒呑童子は胸に手を当てて軽く頭を下げた。
「いえ、大丈夫ですよ。かしこまりました。少々お待ちください」
笑顔のまま一礼して、酒呑童子が真紅でしっかり手を洗い、小さめの寸胴にたっぷりの水を入れ、火にかける。
そして、冷蔵庫を開けて――ふとこちらを振り返った。
「お客さまのイメージ的には、ベーコンですか? ウインナーですか?」
「あ、ウインナーです。ベーコンのところが多いと思うんですけど……」
「かしこまりました」
冷蔵庫からウインナーとピーマンを、そして野菜箱から玉ねぎを取り出す。
まな板や包丁などを綺麗に洗って用意するのを見ながら、私はテーブルに頬杖をついた。
「肉体がないのに、食べられるんですね?」
「……もちろん、魂だけの状態で現世の料理を食べることはできませんよ。ここの食材は、そもそも魂が食べる用なので」
「あ、そうなんですね」
魂が食べるための食材か……。




