3-5
震える声が、さらに不安定に揺れる。
私はハッとして、再度――さらに強く蘇芳の肩を揺すった
「とにかく、手を離してください。蘇芳。姿がまだ少しも戻っていない。ということは、この子はまだ記憶を取り戻していない。そうでしょう?」
「っ……」
「蘇芳! 自分が何をしたか覚えてもいない子を詰って、どうなるの?」
「…………」
蘇芳が怒りを抑え込むように目を伏せ、はぁーっと息を吐く。
そしてようやく黒い魂を解放し、後ろに下がった。
「蘇芳の役目は、この子を還してあげることでしょう?」
「……そうだね……」
蘇芳が目を閉じたまま、頷く。
その声はいくぶんか落ち着きを取り戻していて、私はホッとして息をついた。
「……もう大丈夫ですね?」
「うん……。ごめん……ありがとう……」
私はポンポンと蘇芳の肩を叩いて、その脇をすり抜けた。
そのままカウンターの向こう側に回り、震える黒い魂に駆け寄った。
「ごめんね。怖かったね。でも、大丈夫だよ。お兄ちゃんは怒ったわけじゃないの」
両手を差し出すと、少しのためらいもなく、黒い魂が私に抱きつく。
「っ……こ、怖かった……! お、お兄ちゃん……鬼みたいで……」
その言葉にドキッとする。
私は慌てて「そんなわけないじゃない」と笑って、彼を優しく抱き締めた。
「タカシお兄ちゃんが優しい人なのは、よく知ってるでしょう?」
そう――そのはずだ。彼にとっての『好ましい者』なのだから。
「うん……。いつも、すごく優しい……。いっぱい遊んでくれるし……」
「でしょう? だから、許してあげて。お兄ちゃんはね? ただ悲しかっただけなの」
「悲しい……?」
「うん、悲しかったの」
まだ蘇芳のことはよく知らないけれど、それでも彼がどれだけ輪廻に戻りたいと望んでいるか、その思いの強さはわかってるつもりだ。
その『命』は、千年以上罪を償い続けてもまだ手に入れられない尊きものだ。
それを、死の意味をちゃんと理解しているかどうかすら怪しい年齢の君が、自らの手で危険に晒した。
それがどれだけ切なく、悔しく、悲しいか。
だけどそれは、今のこの子にぶつけるべきことじゃない。
なにもかもを思い出してからじゃなきゃ、響くものも響かない。
私は彼の背中をトントンと優しく叩くと、努めて明るく声を弾ませた。
「ねぇ、食べたいものはない? 怖がらせちゃったお詫びに、タカシお兄ちゃんが作ってくれるって。お母さんを待つ間に食べよう?」
「タカシお兄ちゃん……が……」
黒い魂がおずおずと頭を動かす。
見られていると感じたのか、蘇芳が少し困ったように苦笑する。
すでにかなり落ち着いて見えたけれど、それでもやっぱりその笑みは、いつもに比べてひどくぎこちなかった。
「……ごめんね。君が望むなら、作るよ。何がいい?」
「……」
しかし黒い魂はそれには答えず、私にしがみつく腕に力を込める。
まだ早かったかな? もっとゆっくりなだめてから言うべきだったかと反省したとき、黒い魂がポツリと零した。
「……カレーライス」
震える小さな声で。
「おかあさんの、カレーライス……」
◆
「さて、困ったな……」
蘇芳がやれやれといった様子で腕を組み、天井を仰ぐ。
「家庭料理の再現は難しい。そのうえ、幼くて自我がまだ薄いからか彼の姿から得られる情報がほとんどなかった。わかるのは、自死しようとしたということと、その方法だけ」
「方法? ああ、首から下がっていたロープ……」
「そう、黒い魂は、必ずそれがわかるものを身に着けている。――罪の証として」
「本当に、首を吊ったんですね……」
私もつられて天井を見つめる。
「あんな子供が、どうして……」
ビクビクしていた黒い魂には、一旦二階で休んでもらっている。
最初は、蘇芳が料理を作る間に私が二階で彼の面倒を見ているはずだったのだけれど、彼が「眠い……」と言い出したので、お布団だけ敷いてあげて、一人にしてあげたのだ。
「子供だからだと思うよ」
蘇芳が苛立たしげに肩をすくめる。
「ちょっと首を吊ってみせてやれってしたことだと思う。『アイツ』ばかり構ってボクをほったらかしにしているお母さんをビビらせてやろうって考えたんだ」
「えっ!?」
そんな――!?
「まるであてつけみたいな……」
「みたい、じゃない。正真正銘あてつけだよ。もちろん、本当に死ぬつもりなんてない。仮病と同じだよ。フリをすることで、『アイツ』ばかりを構う母親を凝らしめてやろうとしたんだ。ボクをないがしろにしたらどうなるか、思い知れってね」
とんでもない言葉に絶句する。
「あとは、心配をかけたらそのぶんだけ構ってもらえるっていうのもあったんだと思う。それこそ、子供が仮病を使う理由の一つだね」
首を吊れば、きっとどれだけ自分をないがしろにしていたか思い知る。
そうすればきっと、ひどく心配してくれる。そして、今までの行いを悔い改めてくれる。『アイツ』と同じかそれ以上に、自分のことも構ってくれるようになるはずだ。
そう考えたってこと?
「…………」
にわかには信じ難い。いくら子供とはいえ、あまりにも短絡的で愚かな発想だ。
でも、彼はたしかにはっきりと言った。これは『愛情の証明』だと。
『思い知ればいいんだ! アイツばっかり構って! ボクをないがしろにするから!』




