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25/27

3-4

 パンケーキのお皿を洗っていた私は、ハッとして隣を見た。

 包丁を研いでいた蘇芳も手を止め、素早く出入口へと視線を走らせる。


「今の鈴の音って……」


「うん、術が発動した。迷える魂が来る」


 ササッと手を洗って脇に退くと、蘇芳も素早く包丁と砥石、手を洗う。

 ほぼ同時に、引き戸がガラリと音を立てて開いた。


「「いらっしゃいま――」」


 明るい笑顔で挨拶をして――しかしそれは途中で不自然に途切れてしまう。

 私はギョッとして身を弾かせ、その隣で蘇芳は顔色を変えた。


 そこに立っていたのは、先日の九条さんとは違う――黒い煙を固めたような魂だった。

 その姿はあまりにも黒く、黒々しく、服を着ているかどうかすらわからない。

 ただ、その首からは首を吊るための縄――絞首台に下がっているようなそれが、まるでネクタイのようにぶら下がっていた。


「…………」


 ゾッとするほど不吉な姿に、言葉を失ってしまう。


 しかし、そこはさすが蘇芳だ。だてに千年以上も迷える魂を相手にしていない。

 一呼吸のうちに気持ちを落ち着けると、綺麗な笑顔を浮かべた。


「いらっしゃいませ」


「あ! タカシお兄ちゃんだ! ねぇ、ここ、お店?」


 黒い魂が、そう言って小首を傾げる。

 その高い声に、そして舌ったらずな口調に、私は再度身を弾かせた。


 子供――!?


「そう、お店だよ。ごはんを食べるところ」


 そういえば、その禍々しい姿に驚くばかりで気づかなかったけれど、その身体は小さい。


「タカシお兄ちゃんがやってるの?」


「そうだよ」


 ペタペタと中に入って来た黒い魂に、蘇芳が優しく答える。どうやらこの黒い魂には、彼の姿が『タカシお兄ちゃん』に見えているらしい。


 ということは、ふわっとした記憶はあるのかな?

 でも、それにしては、姿にいっさいの情報が現れていない。


「ボク、ちょっとここにいてもいい? すぐにお母さんが来ると思うから」


「うん、いいよ。椅子に座れる?」


「大丈夫」


 黒い魂は頷いて、ガタガタと不器用に椅子を引き、その上によじ登った。


「タカシお兄ちゃん、お母さんに言わないでね。ボクがここにいること」


 座るなり、黒い魂はそう言って身を乗り出した。


「お姉ちゃんも。絶対に言わないでね。言ったら、意味がないんだ」


 黒い魂が頭を動かして言う。お姉ちゃんって、私のことだろうか? なんせその顔には目も鼻も口もないから、彼が今どこを見ているのかがわからないのだ。


「う、うん」


 おずおずと頷くと、黒い魂が「絶対だよ」と念を押す。どうやら、私に話しかけていたようだ。


「約束ね?」


「うん、約束する」


「タカシお兄ちゃんもだよ」


 蘇芳は唇に指を当てて何やら逡巡すると、慎重に言葉を紡いだ。


「……約束してもいいけど、言ったら意味がないってどういうこと?」


「お母さんには、自力で見つけてもらわなきゃいけないんだ! それが『ショウメイ』になるんだから!」


「ショウメイ?」


「そう! アイジョウのショウメイだよ!」


 愛情の証明?


「アイジョウをショウメイしてくれなきゃ、ボクは許さないんだ!」


 黒い魂が両手でドンドンとカウンターを叩いて叫ぶ。


「思い知ればいいんだ! アイツばっかり構って! ボクをないがしろにするから!」


「――ッ!」


 瞬間、蘇芳は身を震わせると、勢いよく身を乗り出して黒い魂の胸ぐらをつかみ上げた。


「うわぁっ!?」


「えっ!? 蘇芳!? 何を――」


「君は、そんなことで首を吊ったのか!?」


 なにをしているの。その問いは最後まで口にすることはできなかった。

 私は愕然として、ジタバタともがく黒い魂を見つめた。


 首を、吊った――!?


「な、なに!? タカシお兄ちゃん……痛い。は、はなして……」


「答えろ! 家族の愛情を試すために、首を吊ったのか!」


「タ、タカシお兄ちゃん……?」


 ブルブルと黒い魂が震え出す。私は慌てて、蘇芳のその手をつかんだ。


「蘇芳! 乱暴は駄目っ! 落ち着いて!」


 しかし、蘇芳はその手を離さない。緋色の瞳が、苛烈な怒りに燃え上がっている。


「落ち着いてください! 首を吊ったってどういうことですか!? この子は今……」


 そんなことは、一言も言っていない。自分がここにいることは言わないでほしいと、母親には自力で自分を見つけてほしいと願っただけだ。


「蘇芳!」


「っ……迷える魂は、先日の九条さんのように白いのが普通だ」


 蘇芳が黒い魂をねめつけたまま、奥歯を噛み締める。


「黒い魂は罪を犯して迷ったもの。とはいえ、それはこれまでの人生でって話じゃない。魂が迷った原因こそが罪なんだ!」


「迷った原因こそが罪? それって……」


「自死だ……!」


 驚愕が全身を貫く。


「自ら命を絶とうとして、だけど死に切れず――迷った」


 思わず、つかみ上げられたままの黒い魂を見る。


 自殺……したの……? 


『愛情』という簡単な言葉さえ……発音がたどたどしい子供が……?


「な、なんのこと……? ねぇ、タカシお兄ちゃん……怖いよ……」


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