3-2
「あ……じゃあ、つまり……」
「そう、今は手助けが必要なくなったってだけ。別に関係が悪くなったわけじゃないから、頼めば力を貸してくれると思うよ。頼むことがないってだけで」
蘇芳が卵黄と卵白をボウルに分けて入れ、卵黄のほうのボウルを私に戻す。その卵黄に牛乳を入れて混ぜたあと、ふるっておいた薄力粉とベーキングパウダーを混ぜ合わせる。
私の隣で蘇芳はメレンゲ作り。卵白を軽く泡立てて、グラニュー糖を入れたら、今度はしっかり角が立つまで泡立てる。
「ハンドミキサー……使わないんだ……」
「このぐらいの量なら、手のほうが早い。ハンドミキサーを戸棚から出して、ビーターを洗って、拭き上げている間にできるから」
その言葉どおり、みるみるうちにメレンゲができあがってゆく。
「男の人ってすごい……」
「……こんなことで男を感じられても困るんだけど」
蘇芳が苦笑して、メレンゲの具合を確かめる。ツンと角が立って、だれない。蘇芳は、「うん、よし」と頷くと、私を見て片手を差し出した。
「卵黄のほう、ちょうだい」
「あ、はい」
ボウルを手渡すと、メレンゲを少しだけ加えてなめらかになるまで混ぜ合わせてから、残りを加えて泡を潰さないようさっくりと混ぜる。
お菓子も作り慣れているのか、手つきに迷いがない。
「ん、できた。じゃあ、濡れ布巾を用意してくれる?」
「わかりました」
布巾を濡らして、しっかりと絞ってコンロの傍らに置く。
蘇芳はフライパンを熱して、薄く油を引いたあと、フライパンを濡れ布巾の上に置いた。
ジュウッとかすかな音がする。
そのまま少し待って温度が落ち着いたら、作ったタネをフライパンに落として、弱火にかける。
「……楽しみすぎる」
じぃっとフライパンを見つめていると、蘇芳が笑って肩をすくめた。
「朝、起きてくるなり、挨拶する前に『スフレパンケーキが食べたいです!』だもんな。そりゃ、楽しみだよね。パンケーキを食べる夢でも見たの?」
「え? ううん。パンケーキを食べる夢ではなかった……と思う」
「パンケーキを食べる夢では(ヽヽ)?」
その言い方が気になったのか、蘇芳が首を傾げる。
「なにかしら夢は見たってこと?」
「うん、そう……だと思う」
「はっきりしないね?」
「内容はいっさい覚えてないから。でも、起きたらボロボロ泣いてたんだよね。だから、なにかしら夢は見たんだと思う。魂でも夢は見るんだね」
「そうみたいだね」
焼いているタネの上に、さらにタネを追加して高く盛りながら、蘇芳が頷く。
「あれ? 知らないことだった?」
「そりゃ、そうだよ。だって、迷える魂がここで何日も過ごすことがなかったから」
「あ、そっか」
「覚えていたらよかったのにね。なにか、肉体へのヒントが隠されていたかもしれない」
そう言って、フライ返しでパンケーキを少し持ち上げて、焼き色を確かめる。
「まぁ、パンケーキを食べていただけかもしれないけどね? 内容を覚えていないなら、その可能性だってあるわけで」
――いや、その可能性はないよ。
「夢の中でパンケーキを食べながら号泣してるって、どういう精神状態なの? それ」
「号泣するほど美味しかったのかもしれないよ?」
「どんなパンケーキよ?」
覚えてはいないけれど、幸せな夢ではなかったと思う。
悲しくて、苦しくて、切ない――そんな内容だったように思う。
だから、むしろその余韻を払拭したかったから、パンケーキが食べたくなったのかも?
――ってことは、私はパンケーキが好きだったのだろうか?
あれこれ考えていると、蘇芳が器用にタネをひっくり返す。
そして少量の水をフライパン側面に零すと、三十秒ほど蒸気を逃がしてから蓋を閉めた。一分ほどで蓋を開け、たまりはじめた蒸気を逃がして、また蓋をする。
それを二度ほど繰り返したあと、きっちり蓋を閉めて、蘇芳が私を見た。
「はい、あと五分ほどで完成。何をかけて食べる? 基本のバターにメープルシロップ?はちみつ? それともジャムにする? バターじゃなくて生クリームにするのもありかな。フルーツを添えるのもいいかもね」
「バターにはちみつ! バナナを添えてください!」
食い気味で答えた私に、蘇芳が「すごい即答」と笑いながら、冷蔵庫を開ける。
「瑠璃は甘いものが好きなんだね」
「っ……」
瞬間、ないはずの心臓がドクンと大きな音を立てて跳ねる。
けれど、それはときめきとはほど遠い衝撃で、私はひどく痛む胸を両手で押さえた。
「る、瑠璃、って……」
「え……?」
不自然に震えた声に、蘇芳がこちらを見て、目を瞬く。
「どうかした? 君の仮の名前は『瑠璃』にするって話だったろう?」
「そう……なんだけど……」
そうだ。だから、この『衝撃』は『驚愕』ではない。
さまざまな感情がぐちゃぐちゃに入り乱れていて明瞭に説明することはできないけれど、あえて言うなら『不安』――そして『歓喜』、『哀切』、『思慕』。
不吉なざわめきに背筋が冷え、しかし目の前は光り輝くよう。胸の奥は締めつけられて、苦しいほどの痛みを伴い、正体不明の想いに溢れる。
それは私の名ではないはずなのに、心が震える。
「瑠璃……?」
蘇芳が眉を寄せ、バナナをコールドテーブルに置く。
「瑠璃? どうかした? なにか……」
「っ……」
心配そうに問いかける声に、さらに気持ちが乱れる。




