3皿目 ほろりと甘いカレーライス
それは不思議な夢だった。
夢の中の私は、美しい姫君だった。
美しい桜の襲を、内々の着方でゆったりと着こなした平安時代のお姫さま。
白に針の先から朱を一滴落とした淡い淡い桜色の肌、ぷっくりとみずみずしい小さな唇、背を覆う艶めく豊かな髪は純白。瞳孔の血管が透けるため葡萄色に見える白藍の瞳。
神々しいまでに美しい姫君は、しかし憂い顔で鏡を覗き込んでいる。
「お父さま……お母さま……」
姫君が呟く。私の意思を無視して。
姫君は私なのに、私の意識とは関係ないところで姫君が動き、話す。まるで心と身体がバラバラになってしまっているかのようだった。
いえ――違う。姫君に心がないわけではないから、まるで心が二つあるようというのが正しいかもしれない。
姫君に、私の魂がお邪魔しているような――そんな感じだった。
「この瞳が黒かったなら、髪が黒かったなら、お父さまもお母さまも、わたくしを愛してくださったでしょうか……? 捨てないでいてくださったのでしょうか……?」
玻璃のような瞳から、はらはらと透明な雫が零れ落ちる。
「わたくしが、こんな姿で生まれさえしなければ……」
ゴトリと鏡を床に落として、両手で顔を覆う。
「誰かに……愛していただけたのでしょうか……」
細い肩を震わせて、姫君が静かに泣く。
こんなに美しい人が、愛してもらえないって泣いたりするんだ……。
誰もが賞賛してしかるべき美貌だ。世が世ならアイドルやスーパーモデル、女優としてたくさんの人に愛されている人だろうに。
でも――たしかに人の気配がしない。
広い部屋にぽつんと独り、周りに誰も控えている様子がない。部屋の中はひどく暗く、静かだ。人の気配はまったくなく、木々のざわめきしか聞こえない。
時計がないから今が何時なのかわからないけれど、もしかしたら誰もが寝静まったあとなのかもしれない。それほど静かだった。でも――たとえ真夜中だったとしても、こんな一目で高貴な姫だとわかる女性の傍に誰もいないというのはどうなのだろう? なんだか不自然に思える。
平安時代のことに詳しいわけじゃないから、もしかしたら別段おかしなことではないのかもしれないけれど、それでも私には姫の姿がひどく頼りなく、儚げで、孤独に見えた。
「また嘆いているのか? よくもまぁ、飽きないものだ」
不意に、格子を下ろした向こう――簀子縁から声がする。
姫君はギョッとした様子で顔を上げると、ブルリと細い肩を震わせた。
「だ、誰です!?」
姫の白い肌からさらに血の気が引いてゆく。
足音はおろか、衣ずれの音すらしなかった。人の気配などなかったのに。いや――今もないのに。
「誰なのです!」
「……つれないな。お前を助けたのは私だというのに」
先ほどの声が、くすりと笑う。
と同時に、カタンとかすかな音を立てて妻戸がわずかに開く。
姫はビクンと身を震わせて、自身を掻き抱いた。
「い、いや……! 誰か……! 誰かある! いくしま! いくしま!」
姫の悲鳴のような叫びに、しかし応える声はない。
代わりに、音もなく部屋に滑り込んできた影が、穏やかに言う。
「騒ぐな。無体な真似をするつもりはない」
「い、いや! 来ないで! い、いくしま! どこなの!? いくしま!」
「騒ぐなと言うに……」
ため息交じりの声が近づいてくる。ゆらりと御簾に人影が写り、姫は悲鳴を上げた。
「ひっ……! お、鬼っ……!」
その人影の頭部には、二本の大きく鋭い角が。
それを見た瞬間、目の前が暗くなる。姫はその場に倒れ伏した。
「いく……しま……」
「……生まれてすぐに産婆や女房達を殺した鬼姫でも、鬼は恐ろしいか」
血の色の長い爪をもつ手が、御簾をかきわける。
気を失う瞬間、姫の視界を占めたのは鮮やかな蘇芳色だった――。
◆
「これ、便利すぎない……?」
冷蔵庫のドアを開けて、卵と牛乳、バターを取り出しながら、私は感嘆の息をついた。
「お願いするだけで、欲しいものが出てくるなんて……」
食材にかんするからくり――その秘密は冷蔵庫にあった。
なんとこの冷蔵庫、欲しい食材を言葉にする、あるいは念じるだけで、用意してくれる優れもの。基本的に、準備できない食材はないのだそうだ。
「だから、『物理的に無理なことなんてない』って言ってたんだ……」
「そういうこと」
私から卵を受け取って、蘇芳がにっこりと笑う。
「これも、狐の呪術なんですか?」
「そう、これが一番高かった。手に入れるまでに二百年ちょっとぐらいかかった」
「え? それまではどうしてたの?」
「作るものが決まってから、協力者に材料を買いに行ってもらってた」
「協力者?」
「ここで商売している鬼やあやかしたちだね。元・人間で、輪廻に戻るために迷える魂を相手にしているのは僕だけだから、最初は珍しがって親切にしてくれたんだよ」
「最初は?」
「鬼やあやかしたちにだって自身の生活があるんだから、僕にばかり構っていられないし、僕もいつまでも彼らをあてにしていちゃいけない。そうだろう? だから、僕はすべてを一人でできるように考えて、その方法を構築したんだ」




