2-6
九尾の狐がそう言うと同時に、パキンと音を立てて鉱石の表面にヒビが入る。
そのままパキパキと割れて、増殖し、変形してゆく。
「え、ええっ!?」
あっけに取られているうちに、水面に水晶の蓮の花が咲いた。
「…………」
さ、さっきから、いったい何が起こっているの……? 全然頭がついていかない……。ここは三途の川のほとり。現世の常識を求めちゃ駄目だってことはわかってるけど……。
言葉もない私に、九尾の狐が「さぁ、その花に手をかざせ」と言う。
私は慌てて、その水晶の蓮に手をかざした。
「こ、こうですか?」
「そうだ。そのまま――目を閉じて呼吸を整えよ」
「はい」
言われるままに目を閉じ、ゆっくりと大きく息を吸って、最後までしっかりと吐き切る。一定のリズムで、身体の隅々まで酸素を届けるようなイメージで呼吸する。
「…………」
静かだった。箱庭の木々のざわめきと、九尾の狐の息遣いと、今の私にはないはずの心臓の音だけが私を包む。
こうしていると、ここが彼岸の手前なのが嘘みたいだ。
穏やかな時間に、心が凪いでゆく。
「……ふむ、魂の色は瑠璃か。深く、鮮やかだ。とてもいい」
しばらくして、九尾の狐がポツリと言う。
魂の色? 魂に色なんてあるの?
内心首を捻った――そのときだった。
九尾の狐がひどく驚いた様子で「っ……なんと!」と叫ぶ。
「は、はははははははっ!」
続いてけたたましく笑い出して、私はビクッと身を震わせた。えっ!? な、なにっ!?
「なるほどなぁ! あやつが動揺しておったはずだ!」
あ、あやつ? あやつって、蘇芳のこと?
「あやつめ、魂から直接情報を得る術など持たぬというに! それでも気づいたのか! なんという執念! これは愉快だ! はははははははっ!」
「あ、あの……? なんのことですか……?」
我慢できなくなっておずおずと尋ねると、九尾の狐が笑いに震える声で「なんでもない。気にするな」と言う。いやいや、思いっきりなんでもなくないよね? 気にするなって、そんな無茶な!
「わ、私、そんな爆笑を誘うような魂をしてるんですか……?」
それって、どんな魂?
その言葉に、九尾の狐がさらにぶーっと噴き出す。
「ははっ! は、は、は! そうではない。安心せい」
「で、でも……」
「我にとって滑稽なのは、貴様ではない。は、は、は! それにしても……くっくっく。まったく……なんということだ! 礼を言うぞ、娘よ。いささか退屈しておったところだ。これでしばらくはあやつで遊べよう」
「遊ぶって……」
どう足掻いても、いい意味には聞こえないのだけれど。
どう反応していいやら困っていると、ようやく笑いの発作が治まったらしい九尾の狐がそっと息をついた。
「しかし貴様、ひどくまっすぐな性格なようだな。目を開けなんだか」
「え……? だって、まだ許可をいただいてません。開けてもよかったですか?」
「よいぞ。ああ、手も離してよい。らくにせい」
私はホッと息をついて目を開けると、居住まいを正した。
「ええと……それで……」
記憶がなぜ戻らないのか調べるって話だったはず。結局、わかったのだろうか?
おそるおそる尋ねると、九尾の狐が扇を口もとに当て、ニィっと唇の端を持ち上げた。
「もちろん、わかったとも。いいか? 娘よ。貴様の記憶が戻らぬのは、魂の一部に鍵がかかっておるからだ」
「え……? 鍵、ですか?」
「そうだ。貴様は、魂の一部を封じられておる」
「はっ!? ふ、封じられてる!?」
予想だにしていなかった言葉に、愕然とする。
「えっ!? ちょっと待ってください! それってよくあることなんですか!?」
「そんなわけがなかろう。間違いなく、稀だ」
「じゃあ、どうして! なんで封印なんか……」
さっきから、本当に理解できない不思議が多すぎて、もういったい何がなんだか……
思わず頭を抱えていると、九尾の狐が「なんだなんだ。情けないのぅ」と息をついて、その私の頭を扇でペンと叩いた。
「三途の川のほとり――この生と死の狭間に来ておいて、今さら不思議もくそもなかろう。見たものを見たままに受け入れよ」
――無茶を言わないでほしい。
「順応するための時間ぐらいください……」
しかし、九尾の狐は冷たい。「冗談ではないわ。待っていたら日が暮れてしまう。我もそこまで酔狂ではないのでな」とぴしゃりと言うと、勝手に話を続けた。
「とにかく、転生時にそういう措置をされる魂があると聞く」
「措置……ですか?」
「そうさな、貴様もどこかで聞いたことがあるのではないか? 男女の双子は、前世にて心中した恋人という言い伝えが現世にはあるらしいのだが」
「なんか、聞いたことがあるような、ないような……?」
「それはおおむね正しい。それも、魂に施される措置の一つだな」
私は首を傾げた。
「そういう罰を与えられるってことですか?」
「お前はそう受け取ったか。だが、それはおかしくないか? 地獄で罪の禊は終えているのだぞ? それなのに、転生後――来世の生にも罰を与えられるのか?」
「あ、そっか。でも、またお互い『決して結ばれることのできない相手』に生まれたってことですよね? それはやっぱり罰なんじゃ……」
「何を言う。『決して結ばれることのできない相手』なら男女の双子でなくともよかろう。親子でも、兄弟でも、姉妹でも、犬と馬でもよいではないか」
「犬と馬って……」
でも、言われてみれば、たしかにそのとおりだ。
「じゃあ……?」
「二人は、現世では死ぬ以外の救いを見つけられなかった。そして、自死と愛しいものを道連れにするという罪を犯したのだ。そこまで傷つき、疲弊した者に、はたしてさらなる罰が必要か? ――否。与えるべきは、今度こそ生をまっとうできる『希望』であろう」
「希望……? 男女の双子に生まれることが、希望なんですか?」
「希望だろう。お互いがお互いの唯一無二なのだ。親子より、兄弟より、姉妹よりも強い絆で結ばれながら、もう二度と恋慕に、劣情に、欲望に、嫉妬に苦しめられることなく、ともにただ穏やかに、平凡に生きられるのだから」
「あ……!」
なるほど、そう考えれば、希望や救いというのも頷ける。
「理解できたか? そのように、今回の生や犯した罪を鑑みて、転生先を調整するなどの措置を行うことが多々あるのだ。魂の一部に封印を施すのも、その一つだ」
九尾の狐はそう言って、扇の先でトンと畳を突いた。
「おそらく、酒呑童子も輪廻に戻る際にはそれを受けることだろう」
「え? それって……魂の一部を封印されるんですか? 蘇芳も? どうして……?」




