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九尾の狐がニヤリと笑って、再び脇息に身を預けた。
「まぁ、冗談はここまでにして……。つまり、その娘がまだ還り道を見つけられぬから、我の力を借りたいということだな?」
「そうだ。無垢なままじゃ危ない。――言い値でいい」
「……ふむ?」
蘇芳の言葉に、九尾の狐が傍らに置いていた扇を手に取り、何やら考える。
そして、再び唇の端を持ち上げると、扇でパシンと膝を叩いて蘇芳を指し示した。
「よし、では引き受けてやろう。お前は今すぐ店に戻って、おいなりさんを作ってまいれ。お重で、そうさな……三十個だ。もちろん、関西の五目いなりだぞ? そして形は三角だ。それで手を打とう」
「はっ!?」
予想だにしていなかった言葉だったのか、蘇芳が目を剥く。
そして私の手を離すと、九尾の狐の前に膝をついて身を乗り出した。
「待て。いつもの報酬じゃないのか!?」
「今回はいなりずしだ。それ以外では引き受けぬ」
「っ……どうして! 彼女のそばを離れるわけにはいかない!」
「どうして、だと?」
蘇芳の勢いに、九尾の狐がなんだか意外そうにピクンと耳を動かす。
「無垢な魂に直接呪術を施すのは、いつものそれとは勝手が違う。特別な報酬が必要だ。それがそんなにおかしなことか?」
「っ……それは……」
「それに、何を心配することがある? ここには我がおるのだぞ? 悪鬼あやかしどもにいったい何ができようか」
「お前自身が、なにかするかもしれないじゃないか!」
九尾の狐の言葉を遮って、蘇芳が噛みつくように叫ぶ。
そんな蘇芳を見るのははじめてで、私は思わず息を呑んだ。
驚いたのは私だけではなかったらしい。九尾の狐もパチパチと目を瞬く。
「そんなことはせんよ」
「どうだか! わかったもんじゃない!」
「……どうした? 酒呑童子よ。ずいぶんと余裕がないではないか。貴様らしくない」
びっくり眼の九尾の狐に言われて、ようやく蘇芳がハッとした様子で身を震わせる。
そして、ぐっと奥歯を噛み締めると、九尾の狐から視線をそらした。
「……こんなことは、はじめてだから……」
「それだけか?」
「っ……もちろんだ」
蘇芳が顔を背けたまま、小さな声で言う。
九尾の狐は、そんな彼を見つめたまま少し考えると、扇でトントンと胸を叩いた。
「ならば、名に誓ってやろう」
その言葉に、蘇芳が目を見開いて九尾の狐を見る。
「え……?」
「それならば、安心できよう?」
「そりゃ、そうだけど……でも……」
九尾の狐はニヤリと口角を上げると、胸の合わせから細い筆と白紙の札のようなものを取り出した。
「――我が名において誓う。この無垢な魂を傷つける真似は決してしない」
そう言うと、長い爪で手の甲を傷つけ、溢れ出た血に筆を浸し、札に何やら書きつけた。
「我は、この魂を全力で守ろう」
それを宙に放り投げて、パンと手を打つ。
すると、札は溶けてビー玉ぐらいの大きさの紅玉となり、ストンと蘇芳の前に落ちた。
「そら、これでよかろう?」
「……」
蘇芳がその美しい紅玉を拾い上げ、握り締める。
「――わかった」
「うむ、よい。これで交渉成立だ」
九尾の狐は満足げに頷くと、「そら、娘よ。こっちに来い」と私を手招きする。
蘇芳を見ると――彼は今度は止めず、それどころか脇に退いて場所を空けてくれる。
私はおずおずと近づき、九尾の狐の前に座った。
ええと……? 今のは……なんだったんだろう?
わけがわからず内心首を傾げていると、九尾の狐は立ち上がった蘇芳にシッシッと手を振った。
「お前はもう行け。あまり長く待たせるでないぞ。我は腹が減っている」
「……わかった。じゃあ……」
蘇芳が頷いて――それから私を見る。
きっと私が不安そうにしていたからだろう。蘇芳は綺麗な笑みを浮かべて、ポンポンと優しく私の頭を叩いた。
「性悪狐への報酬を用意してくるよ。すぐに戻るから、待ってて」
「は、い……」
安心してとばかりに頷いて、蘇芳が素早く身を翻す。
そして、そのまま足早に部屋を出て行った。
「では――娘よ」
玄関扉が閉まる音が室内に響くと同時に、九尾の狐がまっすぐ私を見つめる。
これから何がはじまるのだろう? 正直、怖い。なにもわからないから。
でも、蘇芳は私のためを思って、ここに連れて来てくれたのだ。そして、独り残しても危険がないと判断したから、報酬を用意するために店に戻った。
それだけは、なんの憂いもなく信じられる。
私は深呼吸を一つすると、お腹に力を込めて気を引き締めた。
「は、はい。なんでしょうか?」
返事をした瞬間、九尾の狐がサッと素早く手を伸ばして、扇で私の額をペシンと叩く。
「っ!?」
い、痛ぁ!
ええっ!? ちょっと待って! 今、私を傷つける真似はしないって誓ってなかった!? その舌の根も乾かないうちに、この狐!
額を両手で押さえて悶絶していると、性悪狐が悪びれる様子もなく「痛いか?」などと訊いてくる。私は涙目でキッとにらみつけた。
「そりゃ、痛いですよ! 何するんですか!」
「なぜ痛い?」




