第七話 前世の記憶
前世……? この神官さん、今、前世って言った?
兄も……前世の記憶があるとでも言うのだろうか。
兄はそれを聞いて一瞬ぴくり、と反応したかと思ったら、顔を上げてまっすぐに神官さんを見た。
「貴方、は」
「俺は、秋宮 伊織。何卒、よしなに」
「秋宮……さんは、どうして、ここに」
「俺は」
「……」
「内緒」
「!?」
兄は何か思う所があるようだけど、複雑な表情をしたまま『秋宮』と名乗る神官さんを見ている。雨は先ほどよりは小雨になっているものの、僕らの身体を冷たく打つ。
秋宮……伊織。僕は神官さんの名前を頭の中で反芻するも、何も思い浮かばない。秋宮と名乗る神官姿の彼は、僕が何も考えつかないことを見抜いているかのように「そぉじゃな」と悪戯っぽい笑みを此方に向ける。
「ただ、会いに来ただけじゃよ」
「……えっ?」
「まぁ、ええわ。時に兄君よ。お主は今でも思うところがあるんか」
秋宮くんは、じっと兄を見る。
先刻言っていた、「前世を引き摺っている」とは、一体どういうことなんだろう。
雨に濡れたまま硬い表情をしていた兄は、刀に遣った手に力が入っていたようにも見えたが……肩を落とし、観念したかのように小さく息をつく。
そして「えぇ……そうです。……俺の《前世の記憶》というものは―……」と話し始めたところで、僕に、僕のではない記憶が流れ込んでくる。
一瞬、僕の中の全ての時が、止まる。
……
…
* * *
…
……
合戦前。穏やかな瀬戸内の海と勇む闘志に、三月の生温い風が頬を撫ぜる。
目の前に居るのは、自分と血を分けた兄弟である。母上も同じであるために昔から共に行動することも多く、父上亡き後の傾いた平家を支えてきた。……が、一ノ谷、屋島、と続けざまに敗戦を喫し、今まさに壇ノ浦にて一族の存亡をかけた、重要な戦を目前にしている。
『兄上。壇ノ浦の合戦は間もなく開始の時を迎えますが、四国の水軍は先の一ノ谷の合戦で我らが敗北を喫してから、明らかに戦意の低下が見受けられます。彼らに重要な陣を任せるなど……良いのですか……!』
『――か。まぁ……案ずることなどなかろう』
『阿波民部重能は東国に寝返るかもしれないのですよ。兄上、私は……今、ここで切るべきかと』
『重能が? 大した根拠もなく切ると言うものでは無い。あれ程忠義を誓う者がそのようなことをするなど』
『ですが』
『良い。刀を納めよ、――。これ以上追及して何になる』
『……』
『東国は約八百艘に対し、平氏は五百艘。ただでさえ数では不利とみられる。海の戦には我らに利があるといえど、向こうは陸にも数千騎は構えておろう。これが、最後の戦となるやもしれぬのだ。重能も任せよと言うておったであろう』
『……兄上……』
『良いな』
『……。承知……仕りまする』
……
…
* * *
…
……
!???
なんだ、今の
「大丈夫か?」
「……???」
未だに混乱が収まらない。今話していたのは……誰、だ。
えっ、……なんだこれ。それで? その後どうなったの? あわのなんちゃらって人は……ほんとに、寝返ったの??
「良い。兄君よ、そのまま続けて」
秋宮くんに促されるように、兄は話を続ける。
「俺は漠然と……『私』はきっと、一人の人として、棟梁として、多くの判断をしてきたのだろうと思いました。……判断を誤って悔いたことも」
「……」
「その一つ一つがこうして記憶として残っているのではと、俺はそう感じました。壇ノ浦でのあの判断も……勿論、それがすべてではありません。あの時も進言を聞き入れたからと言って歴史が大きく変わった訳ではないと思います。それほどまでに……悔しいことではありますが、戦力にも差がありました」
兄は『前世』というものを思い出しているのか、心底悔しそうに顔を歪める。兄は……本当にいつもの兄なのだろうかと、僕は心配になる。兄は前世の記憶があるなんてことを、僕に話したことがない。僕が心配すると思ったからなのだろうか。
……だけど僕はこの話の続きが気になって仕方がない。僕は高揚した気持ちを胸に、黙ったまま兄の話を聞く。
「……ですが結末は弟の危惧していた通り、一部の味方が相手側へ寝返りました。こちらの作戦も、すべて筒抜けだった。今では潮の流れが勝敗を分けたとも言われることもあるが、あれは……そんなに単純な話ではない。海を知る我らも勿論潮の流れを利用しようとしたが、潮目が反転した時には既に……一部は寝返り、水夫が討たれた船は浪を漂うしかなく、内部は壊滅状態だった。当然ながら、そこには大きな戦力差という事実もある。ですが……あの惨状を思い返すと辛いのです……前世の記憶なのに」
「……捉え方は、色々よの」
「記憶は一部故に、「俺」の感想と混同している部分はありますが」
兄は複雑な表情で話している。
……やっぱりこれは……今の話の続き? 寝返ったって……いうのは、つまり。
僕は大人の話に突っ込んでいくような緊張を感じながら、思い切って尋ねてみる。
「ね、ねぇ……もしかしてその話って」
2人が同時にこちらを振り向く。
「……壇ノ浦?」