第六話 勝敗
余裕の笑みを携えながらも、飄々と話をする神官さんは、やはりどこか不思議な存在のようで、全く以てつかみどころがない。
先ほどから、兄に加勢する気も、魔物を倒そうとする風にも見えないけれど、一体何をしにきたのか。
僕はちらりと神官さんを見ると、思わず目が合ってしまう。
「ほら、よそ見せんと。魔物来るで」
「けど……っ」
「いやしかしこいつら、いつもなら大群で襲い掛かってくるのに、二体だけとは」
「……!?」
「ほらぁ、こっちこっち」
話しているのにもお構いなしに、魔物はバシャァンと飛沫をあげながら、大波を伴って襲い掛かってくる。
『ギイィアァアアッッ!!』
耳障りな奇声が頭に響く。二体のうち一体は神官さんの方へ向かったようだが、もう一体は僕の方に突撃してくる。
……速い……ッ!
加速の衝撃でビュンッと空気が爆ぜる。ピラニアのようなでかい口を開き、むきだしとなったその鋭い牙で、今にも噛みつこうとしてくる。
僕は咄嗟に竹刀を盾に防ごうとするが、竹刀ではこの顎には敵わな――……っ、
「晃っ!!」
水を吸った袴が重たく、鉛のように動かない。が、この重みを利用するんだ……! 僕は腰を低く構え、脚にぐっと力を入れて踏ん張る。
「ふっ、……!」
竹刀を真横に思い切り振り切ると、魔物が竹刀にガキンッ! と食らいつく。刹那、ギギ、と押し合いになるもその強靭な顎の前に細い竹刀では太刀打ちできず、数秒と持たずに僕の竹刀はバキンと真っ二つに折れた。
「――……っ」
その勢いで突っ込んでくる魔物を、僕はギリギリで躱す。ひゅっ、と冷たい息を飲むも、恐怖よりも先立つ反応。なぜか思考だけはクリアで、すべてがスローモーションに見える。武器はもう、ない。考えろ、今、僕にできることは……
「!」
突如、今まで以上の速さで反転する魔物に、思わず恐怖が走る。
重い袴、折れた竹刀。
……っ、動きが、間に合わない……っ!
最悪……死を覚悟したその時。視界の端に、こちらに走り込んでくる兄が視える。
「晃ぁああッ!!!」
ガキンッ!
寸でのところ兄は僕と魔物の間に入り込み、刀で魔物を食い止める。
その光景を目の当たりにする僕は、恐怖と息が上がって声すら出ない。
兄ちゃんがいなかったら……僕は。
……折れた竹刀では、きっと敵わなかった。
腕でも足でも引きちぎられてしまいそうなほどに太くて鋭利な歯を間近で見て、改めて魔物の恐ろしさを実感する。
「兄ちゃ……」
「俺がこいつをひきつけとる間に、晃は逃げろ……っ!」
「……っ」
そう言う兄は僕を連れて魔物と一度距離を取り、態勢を立て直す。息が上がっているのが後ろからでも見て取れる。
遊びではない、本物の戦闘。
足手纏い。今の僕は、まさしくそれだ。
重たい袴にふらりとよろめきながら、その戦場から一度距離をとる。
……情けない。僕に、魔物と戦えるだけの力があれば。
僕も、兄と同じように、太刀を佩く覚悟を以て魔物と戦えたならば。
兄の大きな背中を見る。ずっと、追い続けてきた背中。身体の弱かった僕が、剣道を始めたのだって、こうしてずっと続けてきたのだって、兄に憧れたからだ。
ここで、心が折れてしまうのはだめだ……っ
今僕に、できることは
「大丈夫かぁ」
先ほどのもう一体を余裕そうにひらりと躱した神官さんは、この場に不釣り合いなのんびりした声で尋ねてくる。その顔を見て、情けなさに涙がこぼれそうになるのを、ぐっと堪えた。
だけどさっきのもう一体は……
はっと辺りを見回す僕のその疑問に気が付いたのか、神官さんは遠くを指さす。随分遠くにいるのか、米粒くらいの大きさにしか見えない。……神官さん、何をした……?
「あいつならあっち。ほぉよな、君はまだ思い出しとらんしな」
「僕、は…………」
「その素質はあるんじゃがな」
「……」
「戦いたいか」
「……!」
その言葉にはっとする。『戦いたい』。
僕は脳で考えるよりも早く、力強く首肯していた。
「ほぉか。んなら、君の武器はそれだけではなかろう」
「……僕の、武器……」
「ここ」と言って神官さんは自分のこめかみをトントンと指でさす。
「君はもう既に、ずっと戦っとる。手持ちが何もないからと言って、何もできんわけではなかろうよ」
「……!」
そうだ、考えるんだ……あいつの弱点を。そう思った時に、僕の脳の奥の方で再び、何かに触れる感覚がした。
魔物への恐怖は拭いきれてはいないけれど、僕は目を大きく見開いて魔物を凝視する。魔物は低く唸りながらも、一定の距離を保って此方を窺っている。向こうも何かを考えている……? まさに、隙を推し量っているかのように。
刹那、沈黙を破り、兄が腹の奥から声をあげながら魔物に向かうのを見た。
「はあああぁっっ!」
魔物に向かって走る兄。直線に加速してくる魔物の正面で一気に姿勢を落とし、下から抉るような一閃を、心臓へと突き上げる。
『ギッ、ャアアアイアアアアッッ!!!』
魔物は痛みに悶絶するかのように、汚い叫び声をあげる。
「やったか!?」
……が、その希望とは裏腹に、陸に落ち、泥を跳ね上げた魔物はすぐさま態勢を立て直す。絶望と共に降り注ぐ雨は強さを増し、急速に体を冷やしていく。
「……なんで……生きとるん………?」
口から零れる絶望の言葉。刹那立ち止まる兄からも焦りが滲む。
「くそ、あいつの弱点はどこなん……っ」
「兄ちゃん……!」
「真横に真っ二つにしても、くっついて綺麗に再生しとったじゃろ。心臓を狙った攻撃も効かんし……あとは」
「……」
焦燥が雨に混じりゆく。……それもそうだ。切っても切っても再生し、心臓を貫いても、死なない。随分遠くに飛ばされていたもう一体も、凄まじい勢いでまたこちらに向かってきている。
時間がない。だけど今僕にできるのは、『考える』ことだけ……僕は必死に脳をフル回転させ、今までの魔物の行動からヒントを探す。
……なぜ、死なないのか。
横に真っ二つにしても心臓を突き刺しても仕留められんかったってことは。ほんまに不死身か? ……いや、でもきっとどこかに別の生命維持組織があるはずで……だけど何かを考えていたようにも見える、その行動の意味は。
「――脳か……!」
ぽつりと言う僕を、兄ははっとして見る。
「頭か」
「あいつ、頭で考えよったけぇ……真横でダメなら、頭から縦に」
「……やってみる」
兄は迷いを断ち切るように刀を持ち直し、ダダッ、と魔物に向かって走り出す。風雨が強い。
頼む、行ってくれえっ……!
それを見た神官さんは「ほぉ」と感心したような声を漏らし、静かに僕に近づく。兄と魔物との距離が縮まる。もう一体の魔物もすぐそこまで迫っていた。
「この勝負」
「えっ」
不意に声がして振り向いてしまったがために、その瞬間を僕は見逃すことになる。
「兄君の勝ち、じゃな」
「……!」
ズバッと切り裂く衝撃音。はっとして視線を兄に戻したときにはもう、一体は既に真っ二つに割れ、陸に転がっていた。
う、わぁ……!
息を飲む暇さえなかった。そして、もう一体を目掛け、兄はその勢いのままに走り出す。
「晃、多分、あたりじゃ」
助走をつけ、大きく跳ねた兄は、もう一体をも真上からズバァッ! と切り裂いていた。
ばたばたっ、ともう一体の魔物も陸に落ちる。二体ともぴく、ぴくりと動くだけで、そのまま果てていくようであった。
凄い。純粋な、感想だった。
僕の兄ちゃんて、やっぱりすごい人だったんだ。いつもはもっと優柔不断で……なんとなくこう……ぱっとしないっていうか……それが、正直な印象だけれども。
だけど、時折見せるこのかっこよさに、僕は憧れた。今目の前にいる兄は、強く猛々しく……まさに「かっこいい」。
陸に転がる、果てた魔物を見下ろす兄。まだ動くんじゃないかと思うと少し怖くて近づけないまま、「兄ちゃん、」と声をかける。すると、兄はこちらを見ずにぽつりと言った。
「やっぱり」
「……?」
「晃はすごいよなぁ」
「えっ?」
……なんで? すごいのは兄ちゃんじゃろ?
雨で濡れた前髪に隠れて表情はよく見えないけれど、どこか様子が変な気がする。
「お見事だったの、兄君の方も」
神官さんが近づいてくる。そして、兄と改めて向き合った。
……雨の中、暫し神妙な沈黙が下りる。微笑みを携えながらも真剣な目をした神官さんは、兄に言葉を放つ。
「お主、前世のこと引き摺っとるじゃろ」
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