第五話 神官さん
僕は神官さんを見ながらも、その神聖な空気に、何も言葉を続けることができない。
「ほらぁ、来るで」
だけどそのゆったりとした言葉に、現実を見る。
目の前には、嘘のような魔物が、凶悪な口を広げて襲い掛かってくる。
『ギヤアアアアァァアアアッ!!!』
僕は目を見開いて軌道を読み、襲いかかってくる魔物をなんとか避ける。
髪を掠ってゆく、ぎりぎりの感覚。
そこに刹那感じてしまった――恐怖。
理屈だけじゃない、中学生の僕としての生存本能が、目の前にいる魔物の存在に戦き、恐怖が顔を出す。
「……っ!」
先ほどまで会場で剣道の全国大会をしていたのなんか、それこそが全くの嘘のよう……それほどまでに、今のこの瞬間の現実味が薄い。実はあの警報から今この瞬間までの全てが夢なのではないかとすら、そんな風にも感じる。
だけど……肌を刺す冷たい雨も、目の前にいる質量を伴った魔物も、すべてが現実だ。
ドシュッ、と突っ込んでくる魔物を躱すと、魔物は勢いをそのままに陸に身体を打ち付けた。だが魔物はまた態勢を立て直し、ゆらりと浮遊する。
「は……っ」
雨を吸った重たい袴。恐怖に肺が痛くなるような、乱れた呼吸。命がけで魔物を回避するだけで、かなり体力を消耗していることに気が付く。
その様を一瞥した後、目の前にいる神官さんをちらりと見る。
この神官さんは見た目も言動も意味不明なのにどこか神妙でもあり、ずっと独特な雰囲気を発しているようでもある。平常時に見ていたならば、きっと僕の厨二心はぐさぐさと刺されていたことだろう。だが今は残念ながら、それどころではない。
そして……彼の独特なゆったりとしたしゃべり方と、この声。どこか聞き覚えがあるようだけど、思い出せない。
……声……?
一瞬、どこかの記憶の糸に触れそうになったその時、神官さんはゆるりと尋ねてくる。
「時に、お主はなぜここへ? 海から離れよと警報が出とったじゃろ」
警報。ここ、備後国は海から近いこともあり、海面が危険水準に達すると警報や避難勧告が出る。しかしここはそもそもが穏やかな地域であるため、そんな警報が出ること自体が稀なのだ。むしろ近年は魔物の出現による警報の方が多い。
だけど、今日ここには強い雨が降りしきり、波も珍しく大荒れに荒れており、さらに魔物まで現れたときた。最悪三重奏に、既に僕は肩で息をし、全身びしょ濡れになりながら答える。
「……っ、人を、探しに」
「危ないけん、警報出とる時にこんなところへ来たらいけんで」
「……」
返す言葉もなく、僕は反省に項垂れる。……兄をも、こんな危険な場面に巻き込んでしまったのだ。
至極尤もであることを突かれて自分の軽率さに苛立ちすら覚える僕に、神官さんは魔物を見据えながら続ける。
「……探しとったんは、眞城くんか?」
「……! 眞城くんを知っとるんですか……!?」
「まぁな。……ほら、危ないで」
「……!」
咄嗟にピラニアのような姿をした奇怪な魔物を避ける。同時に、またしても会話はとぎれた。ざあざあと大粒の雨が体を打ち、視界は白く霞む。先程から雨足も強くなっていた。
「眞城くんに関してはまぁ、ちょっとだけ。少々ぶっ飛んどるところもあるようじゃが、彼もなかなかに面白い子よ」
眞城くんを、知っている。
どんな、関係なのか。眞城くんは、どこへ行ってしまったのか。この神官さんも、『討伐隊』に関わりがあるのだろうか。
目の前に見えるものを現実と受け入れられないように、疑問は一向に収束しないまま、魔物をひらりと避けた神官さんは此方を向いて静かに話す。
「君ら友人か?」
「……いや、違います」
「?」
だけど、放っておけなかった。僕に向かって『前世』の話をした眞城くん。……迷うことなく海へ向かっていく彼の、その鋭い眼差しを。
そして彼を初めて見た時感じた、強烈な既視感。……その正体がなんなのかは、わからない。わからないけれど、眞城くんを見て、自分の意思よりも早くに身体が動いて動いていた……というのが正しい。
だけどその正体に、うっすらと気が付き始めている僕もいた。
『前世』の記憶。僕がずっと開きたかった、記憶の扉の鍵だ。
――不思議なことに、乱れていた呼吸は、落ち着きを取り戻す。
神官さんは少々不思議そうな顔をしながら「面白い因果もあることよの」と言って愉しそうに笑った。
『ギィッァアアアアッッ!!』
「はああああぁあっ!!」
襲い掛かってくる魔物に兄は太刀を突きつけるも、なかなか致命傷を与えることができない。僕は避けながらも、徐々にこの魔物の動きに目が慣れてきたようにも感じられる。
戦いの最中だというのに、神官さんはどうやら一向に手を出す気配がない。ただこの状況を見守っているだけ、という様子に近い。そんな神官さんは、世間話でもするかのように、徐に僕に話しかけてくる。
「なぁ伊月くん知っとるか。この世界には神様がおるんよ」
「……!?」
「ま、じゃけぇ元服する者には神勅が下るんじゃが」
からからと笑いながら話す神官さんは、どこか楽しそうでもある。
「……それって、どういう……」
「そのまんまの意味じゃよ。ほんまに神様は実在する。そして……時折、『前世の記憶を持つ者が生まれ落つる』世界」
「前、世……」
「……いや。いつの時代から、妖も神様も見えんなってしまったんじゃろうな。ずっと、ずっと昔からおったというのに」
「……?」
一瞬、寂しそうな顔をしたように見えた神官さんは、ぱっと視線を上げ、先ほどと同じようにからりと笑う。
「はは、ふぁんたじぃじゃろ」
「……!」
前世……元服と神勅……それから、妖に、神様。
これらはもしかすると、すべてが繋がっているのかもしれない。
「ふぁんたじぃじゃろ」と笑う神官さんの声が、再び脳の奥の奥の方の記憶に触れる。
『……時に、この世界の先のどこかには、ふぁんたじぃな世界があるようじゃが』
刹那過る、遠い記憶の中にある言葉。これは、『前世』の記憶だ。
この世界がふぁんたじぃ? まさか、そんな……
だけど。
神様も妖も見える世界に、前世の記憶が持つ者がいると考えると、まぁまぁ『ふぁんたじぃ』な世界じゃないか。
「だけどまぁ」
「……!」
「晃、避けろ! 魔物行ったで!」
思考を断ち切る兄の怒号で、急接近してくる魔物を間一髪のところで躱す。この時の僕は、自分でも驚くほどに冷静に、魔物を観察していた。この魔物はどうしたら斃せるのか、どこを断てばその致命傷を与えられるのだろうか。僕の脳は無意識に、魔物を討つことに意識が集中する。
「はは、さすがじゃ」と、神官さんは、ぽつりとつぶやく。
「前世の記憶に関しては、間もなく思い出すじゃろうな。なぁ、伊月くんよ。この魔物をどうやって倒すんか、お主らのお手並み拝見とさせて頂こうかの」
そう言う神官さんはどこか楽しそうでもあり、神妙で不思議な存在でありながらも、どことなくわくわくした子供のようでもあった。




