魔王がキャッチ&リリースに至るまで
じっ、と一斉に視線を向けられた魔王はそれでも平然としていた。ユーリたちにポチを含めて合計十八の目が向けられているというのに動じる様子は一切ない。
「穴に落ちた先にそんなのがあるっていう話を報告として聞いてないってさっき言ったばっかだよね?」
「報告としては。自分が体験したものを報告する間もなくこうしているのだから、報告例に存在しないのは当然では?」
「屁理屈かな。というか、その後は?」
吐き捨てるように呟いて、テロスはシュウへ先を促すが彼は小さく首を横に振った。
「そこまでだ。その後は目の前で彼が消えて、少ししてから私もこうしてこの通り」
「成程、つまり先輩は重要な情報っぽいものは特に入手すらしていない、と。カリンが幻滅しますよ」
「ぐぅっ、何故そこでカリンが!?」
「だって彼女もあの場所に行ったわけでしょう? もしまたあの穴に落ちてもろくな情報がないのであればまた自然に出られるのを待つとか受け身でいるしかないわけです。ただでさえカリンは治癒魔術しか使えないのに、先輩が遭遇したような魔物とカリンが一人で戦えるとでも?
一度落ちてそのわけわからない世界に行ったら二度目の来訪はないって断言できないでしょう。
先輩はもっと情報を集めておくべきだったんですよ、カリンのために!」
「そ、それは……! 私とした事が迂闊だった。おい魔女よ、もう一度私を向こう側へ送り出す事はできるか?」
背後に雷鳴背負った感じの雰囲気でショックを受けているシュウだが、カリンのためっていうキーワードでクロフォードに良いように扱われてはいないだろうか。
そもそもクロフォードの言葉の、カリンのために、という部分はユーリには副音声でカリンを口実に僕たちにもっと有利な情報を寄越せ、というのが露骨なまでに滲み出て聞こえたくらいだ。
ゲームでの彼らを知っているからそう思えただけかもしれないが、レシェやアリスの表情を見る限り、彼女たちも感じ取った可能性がある。
「無理なのだわ。ここはあくまでも穴に落ちてしまった異物を引っ張り上げるための場であって、ここから穴へ落とすという事はできないのもの。
穴の発生場所を探すとか、無理矢理穴を作り出して向こう側へ、というのもお勧めはできませんわ。それをやろうとするのは第二の異界の門を作るようなものだもの。
かつて異界の門の被害に遭った魔族がそれを黙っているとは到底思えないし、何なら次は前回以上に被害を被る可能性を考えて天使だって出てくるかもしれない。
貴方の行動で無関係の多くの人間が不幸な目に遭うかもしれないのであれば、我は決してお勧めはしない。勿論、その不幸な目に巻き込まれる人間の中に貴方が大事にしている者もそうなる可能性は含まれているのよ。その覚悟はあって?」
翡翠色の瞳がじっとシュウを見据える。カリンの為に無茶をした結果、カリンが不幸な目に遭うかもしれない。そう言われてはシュウも強引に押し通す事はできない。
「すまない、私が浅慮だったな。流石にそれは本末転倒、どころか救いようのない結末にしかならない。無茶を言った、今のは聞かなかった事にしてくれ」
「それなら次はあんたに話を聞くしかないようだね。……何やらかしたの?」
魔王に向かってあんた呼びとはまたテロスも思い切ったなぁ、とのんきに思ったのはユーリくらいだった。
少なくとも話を聞きたいけれど相手は魔王だし、とどう対応するべきか悩んだクロフォードとシュウはさっと顔を青ざめさせたし、レシェに至っては小さな悲鳴を上げた程だ。
「遺跡にいた。そこに穴が出現した。けれどそれが危険なものである事は知っていたので近寄らないように距離をとった。放っておけば穴はそのうち消滅する事も知っていたから。だが――」
そこで魔王は一度言葉を切った。視線が一瞬だけどこを向いていいかわからないというように少しだけ彷徨い、結局彼自身の中で上手くまとまらなかったのだろう。
「穴から黒い腕……いや、炎? 熱くはなかったが確かにあれは燃えていた……すまない、理解できない。とにかくそれが伸びてきて捕まった。本来の異界の門であれば魂だけが引きずり込まれるとの話だったが、穴の被害に遭う同胞たちは魂だけが引きずり込まれる事もあれば身体ごと、という事もあったと報告で聞いてはいた……だがこのパターンは初めてだった。
だからこそ対処が遅れたのは事実だ。俺は穴の向こう側にまんまと引きずり込まれ――落ちた先は町だったように思う」
「町? 人が住んでたって事? でも魔物がおかしな姿してるのを考えるとそこ人間ってちゃんと人間だった?」
ユーリが考え付くよりも先にテロスができれば想像したくなかった事を問いかけた。
そうだ、シュウの話では魔物もどこか歪んでいたのだから、そこにいる人間だってそういう歪みがあったとしてもおかしな話ではない。えっ、やめて? 唐突にホラーぶっこんでくるのやめて?
「あー、何か言われてみれば皮膚が裏返ってるとかあってもおかしくないよな」
「思わぬ伏兵!」
ぽそりと呟いたアリスに、ついうっかり想像してしまってユーリは膝から崩れ落ちた。
そういう人間がうじゃうじゃいて、うっかり迷い込んだ人間に、
「どうして君の姿は違うの? その皮膚がおかしいんだね。治してあげるよ」
などと親切心たっぷりに皮膚を剥がそうとしてこられたら、怖い以外の何を口にしろというのか。
悪意たっぷりに襲い掛かって来るならまだしも親切で襲い掛かって来るとかどういう状況だろうか。あれ、前世で何かそんな感じのホラーゲームなかったっけ……?
ただでさえ暖かいとは言い難い室内の気温が更に下がった気がして、ユーリは立ち上がりつつも思わず肩のあたりを抱きしめるようにしながら二の腕をさすった。この程度の摩擦熱で暖まったりはしなかったし、何の気休めにもならなかったけれど。
「町、だとは思う。思った。石を組んで造られた箱のような建物を家と呼んでいいのなら。俺は最初あれは石窯を並べているのだと思ったくらいだ。窯にしては四角いな、と思って手近な一つを覗き込んだ。
人がいた。話はできなかったが。隣の家を覗き込んだ。人がいた。やはり話はできなかった。その隣も、その隣も人がいたけれど、誰とも話はできなかった」
フォンセがその光景を思い出しているのか、そっと目が伏せられる。
「何それ意味わかんないんだけど。何? 人見知りでも発動させたの? 何で話ができなかったの。言葉が通じなかった?」
「いやあのテロスさん、そこ確かに気になるけど、なんでそこまでぐいぐいいくかな……」
ちょっと落ち着こう? と宥めてみるが、ボクは落ち着いてるけど? とあっさり返された挙句確かに普段通り過ぎたのでこれ以上はユーリも何とも言えなかった。
「魔族であってもそうだが。人間とて喉を潰されていれば話はできないし、手を斬り落とされていれば筆談もできない。頷くための頭もなければ質問に答えてもくれないだろう。耳がなければこちらの声が聞こえず、目がなければこちらに気付いてもくれない。
そもそも、俺が見た人間はどれも死んでいた。一つの家に一つずつ、身体の一部が欠けた人間が寝かされていただけだった。死体の状態からして死んでそう時間は経過していない、俺にわかったのはそれだけだ」
「ひぇっ、何それ怖い」
ユーリは思わずメルに抱き着いていた。それが穴に落ちて戻ってこれなかった人間なのか、それとも元々そこにいた人間なのかで怖さの度合いがかなり違ってくる。それ以前に何でそんな死体を一つ一つ丁寧に寝かせたままなの。何故埋葬しない。放置か。その家っぽいそれは実は墓なのか。
メルも予想外だったのか、少しばかり動揺しているようだがユーリよりは落ち着いているのか、ぽんぽんと抱き着いてきたユーリの背中を優しく叩いてくる。
小さくなっても女神様マジ女神様。とユーリが危うく心の幼女を覚醒させてうっかり口から「ふぇぇ……」などと鳴き声を発しそうになる前に、フォンセは言葉を続けた。
「この場で俺にわかる事は何もなく、得られる情報も視覚から得られる以上のものはない。町、と最初に言ったがあれは墓だったのかもしれないし、もしかしたらいずれ誰かがやってきて埋葬する予定だったのかもしれない。けれど誰かが来る気配は少なくともあの時点で感じ取れなかった。周辺の気配を探っても、生物の気配は何一つ。
外に出て、遠目に魔物の姿を確認した。そこの男が言うように、確かにどこかが捻じれていたり歪んでいた。違った点は、こちらに襲い掛かるような事はなく、ただ一心不乱に共食いをしていたくらいか。距離もあったので襲ってこないなら放置でいいと考えて進んだ。
俺をここに引きずり込んだあの黒い腕はあの町に落ちた時点で消えていたし、気配もない。何らかの目的があって引きずり込んだなら、奴の目的とやらは、と考えながら歩いていたがよくわからない。
どうせなら『この世界を救って下さい勇者様』くらい言われたら俺もちょっとはやる気を出したのだが」
「いやそなた魔王じゃろ」
「なに? 勇者に憧れ抱いちゃってるとかそういう?」
テロスよりもメルのツッコミが早かった。
「一度くらいやってみたい気はする、というのは冗談だ」
「魔王の冗談わかりにくいな。真顔で言うなよ」
アリスの言葉に流石に口に出してまで言えなかったクロフォードとシュウ、レシェがそっと頷いていた。
「正直見るべきものはあまりなかったし、どうせなら遺跡に落としてくれればなと思ったがそもそもあの場所にそういう物がありそうな気がしなかった。どうにかして戻る方法を探した方が建設的だなと思い始めたあたりで、男と遭遇した。男は言った。
『お前さんは今ここにいるのはちっとばかし不都合だ。しばらく大人しくしててくれや』
言われるなり、俺は男に捕まえられていた。こっちが反応するよりも早く、俺の手と足はこうして鎖で拘束されて動きを封じられてしまった。俺を軽々と抱え上げた男はそのまま来た道を戻るように進んで、建物の中に俺を置いていなくなってしまった。
鎖を破壊しようにも、何故かどうにもできないまま時間だけが経過して、新たに別の人間がやってきた。そして今に至る」
淡々と語り終えた魔王は、もう話す事はないとばかりに口を閉じた。
「謎が増えただけじゃないですか」
「全くだな。これ私が戻ったとして、何をどう報告すればいいというんだ?」
「もういっそ穴に落ちて気が付いたらボレアース大陸にいましたでいいんじゃないですか?」
「そうだな、アカデミーに報告するにしても、色々と問題しかない気がしてきたぞ」
お互いに頭を抱えてしまったクロフォードとシュウに、確かにこれは報告するにしてもなぁ、という感想しかユーリは抱けなかった。いやだってこれ、魔王様が語るちょっとした怖い話ですよね? 報告っていうか、穴に落ちたらヤバいっていう結論しか出ませんよね? 怪しい穴には近づくな、としか言えないのでは?
調査に行こう、という事を誰かは言うかもしれないが、正直誰も行きたがらないと思うしそもそも行く方法も限られていない。どこかに唐突に発生するかもしれない穴を探すところから始めるとなると、下手をすれば穴を見つける事ができないまま時間が過ぎる事だってある。
「アカデミーの上の方には私から上手く言っておくが、これはもうお触り禁止案件だろうなぁ」
怪我の調子は少し良くなったとはいえ、精神的な疲労がどっとやってきたのだろう。彼の声は、とても疲れ果てていた。




