王子は必要なかった
それは呪いで祝福だった。確かに彼女が孤独であった事は魔女の仕掛けた呪いのせいに他ならない。けれども、荊は決して呪いの象徴ではなかった。時として魔物や賊から彼女を守ってきたものでもあるのだ。
童話の世界であるならばセシルにかけられた呪いを解くのは王子様のキスなのかもしれないが、生憎童話モチーフのキャラデザはゲームで用いられていてもセシルは実際姫ではないし、ならば王子のキスが必須というわけでもないのだろう。それ以前に彼女はゲームでの時間軸では既に死んでしまっている。
そもそも蒼碧のパラミシアで仲間になる王子キャラとかいたっけか、とユーリは思い浮かべたが、いたけどなんかあれ王子って言って大丈夫? となったため即刻脳内からその情報はデリートした。
それは祝福で呪いだった。確かに荊が出現した時、荊は彼女の周囲の人間を傷付けた。けれど、その時点では誰一人死んでなどいないのだ。襲い掛かってきた賊や魔物は容赦なく仕留めた荊が、彼女の周囲の人間に対しては傷つける事はあっても殺しはしていなかったのだ。
圧倒的な存在感とその威力で荊は呪いのせいだと思っていたが、荊は祝福を象ったものでもあった。
呪いと祝福を受けた結果、荊がすぐに出現しなかったのは恐らく、セシルの年齢を考えての事だろう。生まれてすぐの赤ん坊が誰からも触れられる事がなければすぐに死んでしまうのは当然の事で。
対して荊が出現したのはそろそろ成人になろうという年齢に近づいてからだ。それくらいの――大人になりきれない年齢のうちに食い物にしようという悪い奴らはそれなりに存在する。
だからこそ、きっとそのくらいの年齢で荊は現れたのだろう。
ゲームで知ってるパトリシアに関して思い浮かべると、何となくこの荊をどうするべきかは想像がついた。
下手にセシルに動き回られると面倒なので、その場から決して動かない事、と言えばわけがわかっていないようではあったがセシルは確かに頷いてくれた。
だからこそ。
あとは簡単な話だった。
荊は近づく者に襲い掛かる。ならば襲われる前に接近しきってしまえばいいだけの話。
襲い来る荊は障壁で受け止め、時に受け流し荊の軌道を弾く事で直撃だけは避けた。アルマのように悠長にしていたら、力負けするのは目に見えているのでとにかく時間との勝負でもあった。
強引に向かってくるユーリにセシルは狼狽していたが、言われた通りその場に留まる。咄嗟に距離を取ろうとした直後に、
「逃げるな立ち向かえ!」
とメルが声高に告げたのもあって、状況を把握しきれていないが動いてはいけないというのだけはしっかり認識したらしく、気を抜いたら距離を取ろうとする足を必死に縫い留めていた。
「あ、あの、ユーリ!? 何で……っ!?」
「顕現せよ守護の盾!」
ばんっ!!
セシルの疑問には答えられそうになかった。荊を弾くために術を発動させる方を優先させなければ、荊の一撃を食らえども死んだりはしないと思うがそれこそボールのように盛大に弾き飛ばされるだろう。死にはしないだろうけれど、確実に痛い。それから、タイミングを間違うと障壁ごと吹っ飛ばされそうなので目的を達成するまでは余計なお喋りは不可能だった。
流石に魔力を大量消費して無詠唱かつ発動も無音でとなると、セシルへ辿り着く前に力尽きそうなのでそんな命知らずチャレンジはできるはずもない。
ただ駆け寄るだけの行為が荊のせいでとんでもない難易度になってしまったが。
それでもどうにか近づく事はできた。ここまで来れば荊はセシルとの距離が近すぎて、ユーリを薙ぎ払おうものならセシルすら傷付けてしまう。祝福である荊は当然セシルを傷付ける事は望んでいないし、呪いである荊もセシルを傷付けるのは良しとしない。呪いの荊はセシルを精神的に苦しめたいのであって、荊による自傷は下手をすればあっさりセシルを殺してしまいかねないし、そこで終わらせるのを望んではいないのだから。
勢いを殺す事なくセシルに向かって飛び込んだ。伸ばされた手はどうしていいかわからないままのセシルをしっかりと捕まえた。勢いが良すぎて押し倒すような形になってしまったが――
「ここで会ったのも何かの縁。私たちの事情に巻き込まれてくれないか」
後から思い返しても、この勧誘文句はなかったなと思ったものではあるが。言葉を口にする直前にふいに思い出してしまった白い猫のようなキャラクターのセリフに近い言葉よりはマシだと思っている。
「ボクと契約してお友達になってよ!」
なんて、そっちの方がいかがなものか。素直に魔法少女を勧誘した方がいいような気がする。そんな、元ネタを知るユーリにとって流石にこれはないと思ったセリフを強制的に却下して別の言葉を、と思った結果がアレだったわけだが。
勢い余って倒れ込んだセシルにとってそれは些細な事だったらしい。
荊が小さな光の粒子となって溶けるように消えていく。空に溶けるようにして薄れていく荊と空とを信じられないものを見るようにしていたセシルだったが、視線を少し落とすとそこには自分に抱き着いている少女の姿。
恐る恐るどうしていいかわからなかったままの腕を少女へと触れさせて。
「……いいの? ワタシ役に立つような何かなんてなんにもないよ……?」
一体何年振りだろう。人に触れられたのも触れるのも。視界が滲む。
「いいよ。私もそんな仰々しいもの持ってないし。セシルが良ければ私たちに手を貸して欲しい」
幼い頃はただそこにいるだけで良かった。両親が必要としてくれた。友人だってそうだった。荊が現れるまでは。今となっては必要とされる事などもうないとすら思っていた。
「うん、うん、ワタシで良ければ喜んで」
途中で鼻声になって思わず鼻をすすってしまったし声も震えてしまったけれど。それでもユーリにはちゃんと伝わったらしい。
「ありがとう」
「こっちこそ、ありがとう……っ」
「……とりあえず、使うか?」
荊は既に消え去っていた。見えていたのは涙のせいで歪んではいたが青い空だけ……だったが唐突にそこに幼女が現れる。そっと差し出してきた手にはハンカチがあった。
「ひぇっ、かたじけない……!」
泣くつもりはなかったけれどボロ泣きしてしまったのを見られてしまったという事実に気付いたセシルの動きはそれはもう早かった。即座に起き上がりハンカチを受け取ると顔を隠すようにしながら涙を拭く。流石に鼻をかむことはなかったが、起き上がった拍子に離れたユーリから見るとセシルは相当焦っていた事だけは確かだ。
「――つまるところ、荊は呪いと祝福両方を果たすために動いてた。パトリシアのかけた祝福が良縁に恵まれるというのであれば、あの荊は悪い人が近づかないように牽制するだけの役割を果たしていたに過ぎない。その祝福に絡むように他の魔女の、というかアルマの呪いが便乗した結果ああなってしまった。実際荊が出た時、周囲の人が傷ついたけど死んではいなかったんでしょう? 魔物や盗賊あたりなんかは容赦なく攻撃したくせに。
荊が消えるかはわからなかったけど、要は良縁に恵まれたと判断されれば荊は落ち着いたんだと思う。傷つくことを恐れずにセシルに接する事ができる人、それが荊をどうにかする条件だった……んだと思う。
まぁ、概ね上手くいったようで良かったよ」
結局のところどうして荊が消えたのかとセシルに聞かれたため、ほぼ推測しかなかったがそうこたえる。
ツッコミどころが多いように思うがいかんせん魔女は人間とは違うルールで生きている部分もあるので、いくら人間と寄り添って生きていってるパトリシアであっても多少斜め上に突き抜ける事だってある。ゲームでの知識がなければ正直ユーリだって危険を冒してまで抱き着きチャレンジはしなかっただろう。
「あとは……多分だけど、パトリシアの祝福とアルマの呪い。これだけならもしかしたら上手くいかなかったかもしれないけど、パトリシアの弟子にあたる子も祝福をかけてくれていたから。ほんのちょっとの手助けだったかもしれないけど、その少しが祝福と呪いの均衡を崩したっていうのもあるかもしれない」
とはいえ、真相は本人たちにしかわからないだろう。どのみちここにパトリシアとその弟子がいない時点で何を言おうとも推測のままだ。
「そろそろ戻らぬと流石にテロスがブチ切れるのではないか?」
いい加減向こうで採取もとっくに終わっているだろう。そう思ってメルが声をかける。
「それもそうか。……大丈夫? セシル」
「ぐすっ、う、はい、正直まだちょっとアレですが、落ち着くまでとなると相当時間かかりそうなんでもういいですぅ」
メルが手渡したハンカチはとっくにぐしょぐしょになっていたし、目も赤くなっている。けどまぁ、荊が消えた今となっては泣いた理由もわかるだろうし、そういう事なら泣くのも無理はないとテロスやグラナダだってそう判断するだろう。
「じゃ、行こうか」
言いつつ手を差し出すと、セシルは戸惑いつつもその手を掴む。
「夢じゃ、ないんですね……」
「こんな壮大な夢落ちイヤだよ」
世界が滅ぶかもしれない、という部分は夢落ちであってくれて構わないが、ここまでの苦労全部夢落ちにされるのもそれはそれでいかがなものか。
とりあえず寝床にしていたあの家の付近まで来ればテロスたちと合流もできるだろう。そう思って戻ってきたのだが。
「……何があったか聞く気は今の所ないけど、概ね理解した。そっちは特に何もなかったんだね?」
やはり既に戻って来ていたテロスがやたらと難しい顔をしてこちらを見る。ユーリとセシルの繋がれた手を見れば呪いが解けた事は明白だが、テロスにとってそれは些事らしい。
「何もって、まぁ、テロスが難しい顔するような展開にはなってないかと」
何でそんな問題が発生したみたいな顔してるんだろう、と思ったがその事についてはすぐに気付く結果となった。
「面倒極まりないけど、まぁ仕方ないよね」
テロスが見ているのは地面だ。血だまりがあるだけの。
先程まで倒れていたアルマの姿はそこにない。ただ、夥しい量の血だけがそこにある。
「あの傷じゃ遠くには行ってないと思うけど……どうする? 探す?」
「いや、探してどうするの? トドメ刺す? っていうか、本当にまだ生きてるかどうかもわからないんだけど」
「…………そう、じゃあ放置でいいんだね。わかった」
そもそもそこにあるのは血だまりだけで、血の付いた足跡などは一切ない。最後の力を振り絞って転移したとして、グリシナ大森林を抜けていればともかくそうでなければ、森の魔物が襲うだろう。森を抜けていたとしても、生きている可能性は限りなく低い。ならばあえて探す必要はないだろう。
「それじゃああとは戻るだけですね。まーたあの大森林を行かなきゃならないとなるとうんざりですけど」
「その事なんじゃが、もう少しだけここを見ていってもいいだろうか……?」
「見るって言ってもあまり見るようなものなさそうだけど……あまり遅くならないならいいよ」
子どもの考える事ってわからないなぁ、と言いたげなテロスではあったが頭から拒絶する必要もなかったらしい。ユーリはというと、いやあの、貴方と同じでメルも見た目通りの年齢じゃないんですけどテロスさん、と言いたいのを堪えるだけだった。
「見るのはいいけどどこが見たいんですか? お城?」
グラナダが背負っていた籠は、半分程薬草が入っていたはずだが見るとこんもりと結晶樹の葉と枝が積もっていた。思わずテロスを見ると、彼もまたそっと首を横に振る。結晶樹の実は採取していないだろうから、深く突っ込む事もないだろう。
「城より手前じゃな。恐らくはあるはずじゃ」
「メル、それってもしかして」
ユーリに肯定するかのように頷いて、メルが先を進む。ゲームでは敵の強さに撤退して旧王都に来る事はできなかったから、旧王都に何があるかは当然知らない。けれど、メルの反応からするとここには存在しているのだろう。
――星見の館が。




