トラブルがなくならない
――神の箱庭。
世界神がここに来る事は、同じ世界の空間を跳ぶよりも簡単な事だった。そういう風になっているのだと世界神の誰もが理解していた。例え仕組みを理解などしていなくとも。
調整神との連絡を取るにしても、他の世界神と出会うにしても、この場所がなければどうにもならない。
その場所に訪れたメルは、来て早々後悔していた。
以前のように意識だけを飛ばせば良かったのだ。そうすれば、意識だけなら本来の姿でいられる。
けれど直接身体ごとやって来たせいで、メルの身体は幼女そのままである。
見慣れたはずの場所が、幼女目線で見るとなんだかとても広く感じる。
相変わらず静かな場所だった。相当の世界が崩壊してしまった事は、果たして他の世界神は知っているのだろうか? 知っていたとしても、そもそも調整神は忙しく余計な事に手を差し伸べる余裕はないだろうし、そうなれば各々でどうにかするしかない。ここに来るのは本当に緊急事態であるか、事情を全く理解も把握もしていない者かのどちらかだろう。
メルはどちらに該当するだろうか、とぼんやりと考える。
邪神は倒した。これで終わりだというのであれば、自分の世界は他に何らかの厄介事が発生しない限りは安泰だ。
けれど、トリアの事を思い出すと仮に自分の世界が安泰であったとしても、他の世界の厄介事に巻き込まれたりするのではないだろうか、とほぼ有り得ないだろう展開を想像してしまう。
「調整神、いませんか? 少し聞きたい事があるのです。時間はそう取らせません」
呼びかける。静かな空間に、やけによく響いた気がする。
返事はない。聞いていないという事はないはずだ。
幼女の姿ではあるが、口調は本来のものに戻してもう一度呼びかける。けれどやはり返事はない。
幼女姿の時の口調はあくまでも本来の女神とは違う存在であると印象付けるためのものなので、ここであの口調を使う必要はない。とはいえ、何だかメル自身おかしな感じがしていた。
以前呼び出された時にあった石板らしき物も見当たらず、仕方なしに奥の方へと足を踏み入れる。
普段はあまり奥まで行かないのだが、呼びかけても返事がないのでは仕方がない。
「調整神、いませんか? もしかして休憩中でしょうか?」
呼びかけつつも進んで行く。しかしやはり返事が返ってくる事はない。
「……何か、あったんでしょうか……?」
ただ休憩中で眠っているだけであればいい。けれど、もし彼の身に何かがあってまともに動く事ができない状況に陥っているのであれば――悪い想像が駆け巡っていく。
奥へ奥へと進んで行って、本来ならば立ち入らないエリアにまで到達する。
知識としては知っている区画だが、世界神達がここまで来る事はないと言っていい。
ここから先は、調整神のプライベートエリアと言ってもいい場所だからだ。
かつて切羽詰まりすぎた世界神がここに乗り込んで助けを求めた事があった。
その時の調整神はトリアではない。今の調整神だ。
彼は、その世界神に事前に対応策を伝えておいたにも関わらずそれらを無視して更に事態を悪化させた世界神を容赦なく見捨てた。
対処したにも関わらずそれら全てを台無しにされて尚助けてくれというのは、確かに都合が良すぎる話であるし調整神が怒るのも無理はない。
けれど、その世界神も切羽詰まりすぎてテンパっていたというか、混乱していたのだろう。少なくともマトモな精神状態でない事は確実だった。
マトモじゃない、という事は何の免罪符にもならなかったようだが。
思えばあの一件以来、調整神は世界神と一線を引いた気がする。
それより前はもう少し、そうだ、トリアのように多少ならば会話もそれなりにしていたはずなのだ。
今では本当に必要最低限の会話しかしなくなってしまったけれど。
本来ならば足を踏み入れる事を良しとしない場所に入る。メルの姿を見るなり不機嫌な顔をされるだけで済めばいいのだが……
「すみません調整神、お邪魔します。一つ、確認してほしい事があるのです」
呼びかけながら進む。自分の声と足音しかしない空間に、メルはよく耳を澄ませながら移動していく。
もし体調を悪くして倒れているなら、小さな呻き声を聞き逃してはいけない。
世界神も調整神も神ではあるが、決して全能でも万能でもない。人間と同じように食事をしないと衰弱するし、睡眠だってとらないといけない。ただ、人間よりは食事も睡眠もしなかったからといって、即座に死ぬような事にならないだけで。
そうしてどんどん進んで行って、ほぼ最奥と思われる場所まで来てしまった。
ここまでやってきて何の反応もないというのもおかしな話だと思っている。本来ならばここに来る前には調整神が反応するはずなのだから。
調整神の部屋と思しきものがある場所だが、ドアは三つあった。
「調整神、いませんか?」
部屋の前で声をかける。
やはり返事はない。
もし、もし部屋の中で倒れていたらどうしよう。それでなくとも転生者を送り出した世界のほとんどが滅んでしまった事に対しての事後処理や、それと同時に転生者を受け入れる事ができていない本来の世界の歪みを調整する仕事もしなければいけない状況だ。
それらを一人で行っている調整神の激務っぷりは、想像に難くない。
現に彼の顔は、常に疲れていた。目の下には濃い隈が常に浮かんでいるし、顔色だって常に悪いものだった。そんな状態で、たまに何故そんなミスを……というような世界神のやらかしのフォローまでしなければならないのだ。多分相当ストレスも溜まっている。
見捨てられたくはないが、しかし彼の忠告を聞かずにやらかして結果見捨てられる世界神に関しては、そりゃ見捨てられても仕方ないなと思ってしまう事もある。
調整神は多くの世界神を見捨てたかもしれないが、だからといってもし部屋の中で倒れているとしてもこちらが見捨てるわけにはいかない。
その心配に打算が含まれていないといえば嘘になる。
ほんの数秒考えて、意を決したようにメルはドアに手を伸ばした。
「――開けてはなりませんよ」
「っ!?」
背後からかけられた静かな声は、決してメルを咎めるものではなかった。けれど、誰もいないと思っていたメルにとって驚くには充分すぎるものだ。
弾かれたように振り向く。
聞き覚えのある声だからこそ、敵、などというわけではないがそれでもやはりここにいるには少々不自然な存在がいるのを目にして、メルは戸惑いを隠せなかった。
「忠告はしました。後はどうぞ、貴女の望むままに」
「……いえ、忠告、痛み入ります」
戸惑いつつもそれだけは何とか声に出した。
――世界神や調整神の姿は基本的に人間とそう大きな違いはない。男女の差異こそあれど、そして年齢の違いはあれど、だ。
けれどそこにいる存在は、世界神とも調整神とも少し違う存在だった。
背は高い。すらりとしている。
けれど女性にしては高く、男性にしては低い、という程度の背丈だ。これだけで性別は判断できない。身に纏うローブは体を覆い隠しているので、体型から判断ができない。
声。これも高すぎず低すぎず。男性のようでもあり女性のようでもある。
顔。中性的と言えばいいのだろうか。やはり男女どちらかわからない。
年齢……はどうだろうか。若くは見えると思う。
ヴェールをかぶっているため目元はあまり見えないが、見えたとしても常に閉じられているようにしか見えず、メルはこの褐色の肌と銀色の髪を持つ存在の事を正直あまりよくわかってはいない。
「……開けないのですか?」
「開けてはいけないんでしょう?」
目は閉じられたままだが、じっと見られているような気がする。不思議そうに問いかけられるが、忠告を無視してまで開けるつもりはない。
「ところで、その……こういった所で会うのは珍しいと思うのですが……貴方は一体ここで何を? シュタイム」
「覚えていましたか」
「それはまぁ、というか忘れようもないというか」
驚いた、とばかりに片眉を跳ね上げたシュタイムはやはり目を開ける事はない。器用なものだなとメルは内心で感心しつつも、本当になんでここにいるんだろうなぁと思う。
彼……彼女かもしれないが、シュタイムは世界神でも調整神でもない。世界神の創る世界に連れて行く精霊たちを管理する立場の存在だ。
精霊たちを連れて世界を創った後は、まず会う事がない。だからこそ、忘れられていても仕方ないと思ったのだろうか。
「ここで何を、という問いにはそうですね……対応が遅れてしまったので直々に迎えにきました」
「私を、ですか……? というか調整神は一体――!?」
メルの言葉を遮るように、警報のような音がけたたましく鳴り響いた。わかりやすく異常事態だとでもいうように、赤い光が明滅する。
「おや、これはこれは。遅かったようですね」
「いやあの、一体何事……? というか何でそんな落ち着いてるんですか……?」
警報は未だ鳴り響いている、どころか徐々に音が大きくなっている気がする。
「仕方がありません。こちらへ」
「あの、ちょっと? できれば説明もお願いしたいのですが!?」
「そう――か、ですが――ですから――まず――へ」
「うわぁぁぁあ、何この警報うるっさい!」
涼し気な様子でシュタイムが何かを言ったようだが、警報にかき消されてほとんど聞き取れなかった。メルが聞き取れていなかった事すらどうでもいいのか、シュタイムはすたすたと足早に進んで行ってしまう。
シュタイムは元々どこかへメルを案内しようとしていたようだし、ここで立ち往生していても何の解決にもなりそうにないなと判断すると、メルもまたシュタイムの後を追った。幼女の姿のままなので歩幅が違いすぎて、既に走らないと追いつけそうにない。
どこか遠い所で爆発音がしたような気がした。




