第六話 おじいちゃんと魔力制御
翌朝。
剣一郎たち三人は、昨日に引き続き王城の学術室を訪れていた。
壁一面に並ぶ書物や標本はそのままだが、中央の長机には、昨日までなかった二つの水晶が置かれている。
人の頭より一回り小さな、透明な水晶だった。
内部には淡い霧のようなものが漂い、窓から差し込む光を受けて静かに輝いている。
「今日は、これを使うんですか?」
悠真が水晶を覗き込む。
「はい。こちらは感応水晶と呼ばれる、魔力訓練用の魔道具です」
宮廷魔導師長エルドが答えた。
「鑑定に使った宝珠とは違うんですか?」
美咲の問いに、エルドは頷いた。
「鑑定宝珠は、加護や属性適性、魔力量などを調べるための希少な魔道具です。対して感応水晶は、体内の魔力を感じ、外へ流す練習に使います」
「じゃあ、これで俺たちの魔力が見えるんですね」
「正確には、流し込まれた魔力へ水晶が反応し、光として示すのです」
エルドは水晶の一つへ手を触れた。
次の瞬間、透明だった水晶が青白く輝き始める。
光は揺らぐことなく、一定の強さを保っていた。
「このように、魔力を安定して流せば光も安定します。反対に制御が乱れれば、光は激しく明滅します」
エルドが手を離すと、水晶は再び透明へ戻った。
「まずは魔法を使おうとせず、ご自身の体内にある魔力を認識することから始めましょう」
悠真が緊張したように息を吐く。
「昨日聞いた、体の中にある力ですよね」
「はい。魔力は、生まれた時から身体にあるものです。この世界の者は幼い頃から少しずつ感覚を身につけますが、お二人にとっては初めての経験です」
「勇者と聖女でも、すぐには使えないんですか?」
「加護は、魔力の使い方まで教えてくれるものではありません」
エルドは穏やかに笑った。
「優れた剣を持っていても、振り方を知らなければ扱えない。それと同じです」
その説明を聞き、剣一郎が僅かに頷いた。
「道理じゃな」
「それでは、悠真様から始めましょう」
「はい!」
悠真は勢いよく返事をし、水晶の前へ立った。
「両手を添え、目を閉じてください。肩の力を抜き、呼吸を整えるのです」
悠真は両手で水晶を包むように触れた。
目を閉じる。
深く息を吸い、ゆっくりと吐く。
「胸の奥へ意識を向けてください。熱や水の流れのような感覚があるかもしれません」
「……」
しばらく待ったが、何も起こらなかった。
水晶は透明なままだ。
「分からないです」
悠真は目を閉じたまま、眉間に皺を寄せた。
「何も感じません」
「焦ってはいけません。力を探そうとしすぎると、かえって身体が緊張します」
「力を抜く……」
そう呟きながらも、悠真の肩にはますます力が入っていく。
数分が過ぎた。
水晶には、相変わらず変化がない。
「勇者なのに、全然駄目だな……」
悠真が悔しそうに唇を噛んだ。
「一度でできる必要はない」
剣一郎の声が届く。
悠真は片目を開け、祖父を見た。
「じいちゃん」
「できぬから稽古をする。最初からできるなら、教わる必要もあるまい」
「……それもそうか」
悠真は息を吐き、肩の力を抜いた。
今度は成功させようと考えず、ただ呼吸の音に意識を向ける。
吸う。
吐く。
何度も繰り返すうちに、胸の奥に小さな熱があることに気づいた。
心臓の鼓動とは違う。
もっと深い場所で、温かな何かが脈打っている。
「あ……」
「感じましたか?」
「多分。胸の奥に、熱いものがあります」
「それが魔力です。その熱を、腕から掌へ移すように意識してください」
悠真は慎重に、その熱へ意識を向けた。
胸から肩へ。
肩から腕へ。
しかし、熱は思うように動かない。
「ぐっ……」
額に汗が滲む。
「無理に押し出してはいけません。水が低い場所へ流れるように、自然に導くのです」
悠真はもう一度、呼吸を整えた。
熱が腕を通り、掌へ近づいていく。
「来た……!」
その瞬間。
バチンッ――!
感応水晶が爆発したかのように黄金色に輝いた。
「うわっ!」
光が部屋中へ溢れ、机の上に積まれていた紙が勢いよく舞い上がる。
水晶の表面を金色の稲妻が走り、激しく明滅した。
「手を離してはいけません!」
エルドが杖を掲げる。
淡い膜が水晶を包み、溢れた魔力を抑え込む。
「流す魔力の量を減らしてください!」
「減らすって、どうやって!」
「胸の奥に戻すよう意識するのです!」
悠真は必死に魔力を抑えようとする。
だが、ひとたび開いた流れは簡単には止まらない。
水晶の輝きはますます強くなった。
「悠真」
剣一郎の声が響く。
「息を吐け」
「え?」
「力むから止まらん。まず息を吐け」
悠真は言われた通り、長く息を吐いた。
強張っていた肩が下がる。
それに合わせるように、水晶の輝きも少しずつ弱まっていった。
やがて光は消え、室内に静けさが戻る。
「はあ……はあ……」
悠真は水晶から手を離し、その場で大きく息をついた。
「難しすぎる……」
「ですが、初めて魔力を外へ流すことには成功しました」
エルドは水晶に損傷がないことを確認し、安堵したように微笑んだ。
「ただし、流した量が多すぎます」
「やっぱり?」
「悠真様は魔力の総量が非常に多い。僅かに流したつもりでも、一般的な魔導師の全力に近い量が溢れる可能性があります」
「力が強すぎるから、扱いが難しいということか」
「その通りです」
エルドは悠真へ向き直る。
「今後の課題は、力を出すことではありません。抑えることです」
「勇者なのに、最初に覚えるのが力の出し惜しみか……」
悠真は疲れた顔で苦笑した。
「強い力ほど、慎重に扱わねばならん」
剣一郎が言う。
悠真は小さく頷いた。
「次は美咲殿です」
「はい」
美咲は悠真と入れ替わり、水晶の前へ立った。
「気をつけて。いきなりすごいのが来るかもしれないから」
「悠真君と私は違うと思うけど……」
美咲は困ったように笑い、両手を水晶へ添えた。
目を閉じ、ゆっくりと呼吸する。
悠真よりも落ち着いているように見えた。
しかし、しばらく待っても水晶は光らない。
「……分かりません」
美咲が不安そうに呟く。
「胸の奥に何かある気はするんです。でも、触れようとすると消えてしまって」
「追いかける必要はありません」
エルドが優しく言う。
「魔力へ命令するのではなく、寄り添うように意識してください」
「寄り添う……」
美咲は深く息を吸った。
胸の奥にある、柔らかな温もり。
それを掴もうとせず、ただそこにあるものとして受け入れる。
やがて、水晶の中心に小さな銀白色の光が灯った。
「光った!」
悠真が声を上げる。
しかし、その声に美咲が驚いた瞬間、光は消えてしまった。
「あっ……」
「ご、ごめん」
「大丈夫」
美咲は再び目を閉じる。
二度目。
光は灯ったが、今度は掌まで魔力を導けず、すぐに消える。
三度目。
水晶全体が薄く輝いたものの、光は不規則に揺れた。
美咲の額にも汗が浮かぶ。
「思ったより、難しいです」
「順調ですよ」
エルドは急かさなかった。
「今の感覚を忘れず、もう一度試してください」
美咲は小さく頷く。
焦りを捨て、温かな力が胸から腕へ流れていく様子を思い描いた。
今度は掴まない。
無理に押し出さない。
小川が地形に沿って流れるように、そっと道を作る。
すると、銀白色の光が再び灯った。
光は少しずつ広がり、水晶全体を柔らかく包んでいく。
強くはない。
だが、今度は揺らがなかった。
「そのままです」
エルドが静かに声を掛ける。
水晶から溢れた淡い光が、室内を満たした。
美咲が目を開く。
集中が途切れ、水晶の光は消えた。
「成功です」
エルドは満足そうに頷いた。
「何度も失敗してしまいましたけど……」
「最初の訓練で、これほど安定して流せる者は稀です」
「悠真殿が膨大な魔力を抑えることに長ける必要があるのに対し、美咲殿は魔力との調和に優れているようです」
美咲はほっと息をついた。
「でも、少し気を抜いただけで消えてしまいました」
「それが普通です。魔力制御には集中力と反復が必要です」
エルドは二人を見渡した。
「加護や才能があっても、魔法を自在に扱えるわけではありません」
「今日できたのは、魔力を感じて外へ流しただけ。魔法の習得という意味では、ようやく入口へ立ったところです」
悠真は自分の掌を見つめた。
「これを毎回、思い通りにしないといけないのか」
「しかも、戦いの最中でも行う必要があります」
エルドの言葉に、悠真の顔が引きつった。
「今ので精いっぱいなのに?」
「だからこそ訓練するのです」
続いてエルドは、剣一郎へ目を向ける。
「剣一郎様も、念のためお試しになりますか」
「うむ」
剣一郎は迷わず水晶の前へ立った。
鑑定では、魔力ゼロと判定されている。
結果は既に分かっているようなものだった。
それでも剣一郎は両手を水晶へ添え、目を閉じる。
静かに呼吸する。
一秒。
二秒。
三秒。
水晶は何の反応も示さなかった。
「やはり、魔力は確認できません」
エルドが申し訳なさそうに告げる。
「わしには、二人が感じたという熱も流れも分からん」
剣一郎は手を離した。
「剣一郎さん……」
美咲が心配そうに見つめる。
だが、剣一郎に落胆した様子はなかった。
「できぬものは、できぬ」
淡々とした言葉だった。
「できぬことを数えても始まらん。自分のできることをするしかあるまい」
エルドはその姿をじっと見つめていた。
魔力を持たぬことは、この世界では大きな不利となる。
魔法は使えない。
多くの魔道具も起動できない。
それでも、この老人の立ち姿には少しの弱さも感じられなかった。
「本日の訓練は、ここまでとしましょう」
エルドが告げる。
「悠真様と美咲様は、少し休んでください。魔力を初めて動かしたことで、ご自身が思う以上に疲れているはずで す」
言われてみれば、悠真は全身に重さを感じていた。
美咲も椅子へ腰を下ろし、疲れたように息を吐く。
「明日以降も、感応水晶を用いて魔力制御を続けます」
「魔法を使うのは、安定して魔力を流せるようになってからです」
「まだ魔法は使わせてもらえないんですか?」
「今の悠真殿が火を生み出せば、部屋ごと焼きかねませんので」
エルドが真顔で答える。
悠真は黙り込んだ。
美咲が思わず笑い、その笑いにつられて室内の緊張も少し和らいだ。
剣一郎は二人を見ながら、僅かに目を細める。
力を得ることよりも、扱い方を覚えることの方が難しい。
それは魔法も剣も変わらないらしい。
異なる世界の力であっても、鍛錬の本質は同じだった。
焦らず。
驕らず。
一つずつ積み重ねる。
二人がそのことを学べるなら、この日の失敗も決して無駄ではない。
そう考えながら、剣一郎は透明なままの水晶へ静かに目を向けた。




