第四十五話 おじいちゃん、まだ見ぬ強敵に胸躍る
街を出る朝、正門の周辺ではすでに修復作業が始まっていた。
壊された門はまだ仮の木組みで塞がれていたが、衛兵たちは通常より多く配置され、防壁の上にも弓兵が立っている。襲撃から数日しか経っていないことを考えれば、街は驚くほど早く立ち直ろうとしていた。
「もう出るんですね」
見送りに来たセレナが少し寂しそうに言う。
「ああ。王都で話をせねばならんからの」
剣一郎の横では、悠真と美咲も旅支度を整えていた。クラウスたち三人も今回は同じ方向へ向かう。セレナの護衛依頼自体はすでに終わっていたが、街で起きたことを受命ギルドや騎士団へ報告する必要があるためだ。
「美咲さん」
「はい」
「無理して治癒魔法を使わないこと」
セレナに念を押され、美咲が苦笑する。
「分かってます」
「本当に?」
「……たぶん」
「そこは『はい』って言うところじゃない?」
悠真が横から口を挟む。
「悠真君も、人のこと言えないでしょ」
「俺?」
「危険を無視して、無茶し過ぎだよ」
「それは……気をつけるよ」
「勇気と無謀は違うぞ」
剣一郎が言う。
「もっと冷静に周りを見るんじゃな」
セレナが小さく笑った。
「皆さん、本当に変わりませんね」
「そう簡単には変わらん」
剣一郎はそう答えると、セレナへ軽く頭を下げた。
「世話になったの」
「こちらこそです。また来てください」
「うむ」
別れを済ませ、一行は王都へ向かって街道を進み始めた。
◇
帰路は思っていたより静かだった。
襲撃の影響で周辺の街道には騎士の巡回が増えていたが、大きな魔物の群れと遭遇することはない。途中で見かけたのも、遠くを移動する小型の魔物が数体だけだった。
「ザイルがいなくなったからかな」
悠真が歩きながら言う。
「例の魔道具が影響していた可能性は高いね」
フィアが答える。
「あいつが逃げた直後から群れはバラバラになったよ」
「でも、その魔道具は見つからなかったんですよね」
美咲が尋ねる。
「ああ」
クラウスが頷く。
「ザイルが持ったまま逃げたんだろう。後から探したけど、戦場には残ってなかった」
フィアが付け加える。
「他の誰かが騒ぎに紛れて回収した可能性もあるね」
その言葉に、悠真の表情が少し曇った。
「森にあった足跡の人たち?」
「分からない」
クラウスは即答した。
「ただ、可能性としては考えておいた方がいい」
剣一郎は会話を聞きながら、黙って歩いていた。
「おじいちゃんはどう思う?」
悠真が尋ねる。
「分からん」
「またそれ?」
「分からぬものは分からん」
剣一郎は前を向いたまま答える。
「ただ、ザイル一人で全てを用意したとは考えにくい。それだけじゃ」
「やっぱり黒幕がいると思う?」
「黒幕という言葉が正しいかどうかも分からん。じゃが、あやつへ街を襲えと言った者はおる」
美咲も頷く。
「ザイル自身が言ってましたもんね」
「そうじゃ」
クラウスが剣一郎を見る。
「神崎さんは、ザイルと戦っていて何か気づきませんでしたか?」
「手強かったのう」
「それは見れば分かります」
「なら、それ以上は特にないのう」
クラウスが苦笑する。
「本当に必要なことしか言わないですね」
「余計なことを言っても仕方なかろう」
剣一郎は少し考えてから続けた。
「ただ」
「はい?」
「あやつは、わしの魔力がないことにかなり驚いておった」
「魔力を?」
「感じ取れるらしい」
フィアが眉を上げる。
「魔族ってそんなことまでできるのってか、剣一郎さん魔力が無いの!?」
「やはり魔力が無いのは珍しいのかのう」
クラウスの表情が変わる。
「魔力が無くて、あの強さは信じられない。一体どうなっているのですか?」
質問され、剣一郎は僅かに肩をすくめた。
◇
王都へ戻ったのは、その日の夕方だった。
城門を抜けると、見慣れた王都の街並みが広がる。市場はいつも通り賑わい、通りには荷車や人が行き交っていた。
「なんか、帰ってきたって感じするな」
悠真が言う。
「異世界なのに?」
美咲が笑う。
「だって、こっちに来てから一番長くいる場所じゃん」
「それはそうかも」
剣一郎も周囲を見回した。
「慣れるものじゃな」
「おじいちゃん、この前『ようやく身体が馴染んできた』って言ってたよね」
「ああ」
「街にも馴染んできた?」
「まあ、そうじゃな」
三人はそのまま王城へ向かった。
◇
アルフレッドたちは、すでに会議室で待っていた。
小さな会議室へ入ると、王のほかにガレス、エルドも揃っている。クラウスたちも同席し、今回の襲撃について改めて説明することになった。
「まずは無事に戻って何よりだ」
アルフレッドが言う。
「街の状況は?」
「復旧は進んでいます」
クラウスが答える。
「門は仮修復ですが、防備は増強されています。魔物の大規模な再襲撃も今のところありません」
「そうか」
アルフレッドは頷き、今度は剣一郎へ目を向けた。
「剣一郎殿。ザイルという男と直接戦ったと聞いている」
「ああ」
「どの程度の相手だった?」
剣一郎は少し考えた。
「強かった」
ガレスの眉が僅かに動く。
「神崎殿がそう言うなら、相当ですな」
「少なくとも、これまで戦った相手では一番じゃ」
「騎士団員と比べても?」
「単純な力と速さなら、かなり上じゃろう」
ガレスの表情が引き締まる。
「魔力による身体強化か」
「そうじゃと思う」
「思う?」
「わしには魔力が見えんからの」
エルドが口を挟む。
「その点ですが、報告に興味深い記述がありました。ザイルは神崎殿の魔力がないことに気づいていたとか」
「ああ」
「どのように?」
「知らん」
エルドが少し肩を落とす。
「神崎殿……」
「本人に聞く前に逃げられたからのう」
「それはそうですが」
クラウスが補足する。
「戦闘中、ザイルは神崎さんに『本当に魔力がないのか』と何度も確認していました。身体強化も使っていないのかと」
「なるほど」
エルドが顎へ手を当てる。
「やはり古い記録通り、魔族には他者の魔力を感じ取る感覚があるのかもしれませんな」
「古い記録?」
美咲が尋ねる。
「ええ。個体差はあるものの、魔族は近くにいる者の魔力量を大まかに感じられる、という記述があります。長く交流が途絶えているため、詳細は分かっていませんでしたが」
「ならザイルは、おじいちゃんを見て最初は弱いと思ったってこと?」
悠真が言う。
「おそらくは」
エルドが答える。
ガレスが剣一郎を見る。
「その相手を倒したと」
「逃げられたがのう」
「十分です」
「いや」
剣一郎は首を振った。
「またあやつのせいで被害が出るやもしれん」
悠真が横から言う。
「じいちゃん、あれは仕方がないよ」
「逃げられた」
「厳しいなあ」
アルフレッドが小さく笑う。
「剣一郎殿らしい」
それから表情を戻した。
「ザイルについて、もう一つお聞きしたい」
「何ですかな」
「魔王領全体が今回の襲撃に関わっていると思われますか?」
部屋が静かになった。
剣一郎はすぐには答えなかった。
「分かりませんのう」
「そうですか」
「わしが会った魔族はザイルだけ、あやつ一人を見て、魔王領すべてを知ったことにはなりませんからのう」
アルフレッドが静かに頷く。
「私も同じ考えです」
「それに」
剣一郎は続ける。
「ザイルは、誰かに街を襲えと言われたと話しておった」
「魔王領の者から命じられた可能性は?」
「どちらとも言えませんのう」
剣一郎の答えに、悠真が苦笑する。
「じいちゃん、徹底してるな」
「分からぬものを決めつけても仕方なかろう」
「その通りです」
アルフレッドは報告書へ目を落とした。
「今の段階では、魔王領が攻めて来たと考えるのは早計か」
ガレスも頷く。
「ただし警戒は強めます」
「当然、それは必要だ」
「ザイル本人の捜索も継続します」
「頼む」
エルドが口を開く。
「問題は、ザイルへ魔物を率いる手段を与えた者ですな」
「そこだ」
アルフレッドの声が低くなる。
「ハルト村の件と今回の襲撃。共通点が多すぎる」
「複数種の魔物がまとまって動いた」
「はい」
「だが、同一犯と決めつけるな」
「承知しました」
ガレスが答える。
「現場の痕跡を追います」
「そうしてくれ」
「受命士の方はどうだ」
ガレスはクラウスを見る。
「北東方面の調査についても継続します。以前から魔物が減っているという話がありました」
「街を襲った群れと関係があるか?」
「可能性はあります。だが、まだ確実ではありません」
エルドが答えた。
「今は一つずつ確認するしかありませんな」
剣一郎が小さく頷いた。
◇
話し合いが終わる頃には、窓の外がすっかり暗くなっていた。
「剣一郎殿」
席を立とうとしたところで、アルフレッドに呼び止められる。
「何ですかな」
「一つだけ、個人的に聞いても?」
「どうぞ」
「ザイルとの戦いは、危険でしたか?」
悠真と美咲も足を止める。
剣一郎は少し考えた。
「そうですな、かなりの猛者でしたのう」
「……それほどですか」
ガレスが言う。
「何がじゃ」
「神崎殿が素直に危険だったと認めるのは」
「危ないものは危ない」
剣一郎は自分の左肩へ目を向けた。傷はすでにほとんど塞がっている。
「じゃが」
口元が僅かに緩む。
「悪くない相手じゃった」
悠真が目を丸くする。
「じいちゃん、ちょっと楽しんでた?」
「何の話じゃ」
「絶対楽しんでたよね」
「知らん」
美咲まで笑う。
アルフレッドも小さく笑った。
「剣一郎殿らしいな」
「だから、それはどういう意味ですかな」
◇
部屋を出たあと、悠真は廊下を歩きながら剣一郎へ尋ねた。
「ねえ、じいちゃん」
「何じゃ」
「ザイルより強い魔族って、いると思う?」
「おるじゃろうな」
「即答?」
「ザイルが一番強いと誰が言った」
「それはそうだけど……」
「世界は広い」
剣一郎は窓の外を見た。
「わしらが知らんものなど、いくらでもおる」
「怖くないの?」
「なぜじゃ」
「もっと強い奴がいるかもしれないんだよ?」
剣一郎は悠真を見る。
「年甲斐もなく胸が躍るのう」
「……やっぱりじいちゃんだ」
「何じゃそれは」
美咲が横で笑った。
三人の足音が静かな廊下へ響く。
その頃、王城の別の場所では、ガレスの命を受けた騎士が新たな指示書を手にしていた。
ザイルの捜索。
正体不明の依頼主。
そして、北東方面で起きている魔物の減少。
それぞれは別々の点に過ぎない。
これら点が一本の線になるには、まだしばしの時間が必要であった。




