第四十四話 おじいちゃんと魔族の噂
襲撃から二日が過ぎ、街は少しずつ普段の姿を取り戻し始めていた。
破壊された正門には仮の門が組まれ、防壁の周辺では衛兵が普段より多く配置されている。焼けた荷車や壊れた建物の撤去も進み、市場では半分ほどの店が営業を再開していた。まだ傷跡は残っているものの、人々は立ち止まってばかりもいられない。
「思ってたより、もう店が開いてるんだな」
悠真が通りを見ながら言った。
「生活せねばならんからの」
剣一郎は隣を歩きながら答える。
「家が壊れても腹は減る。商人も物を売らねば暮らしていけん」
「それはそうなんだけど……」
悠真は露店で野菜を並べている女性へ目を向けた。店先の一部には焦げた跡が残っている。それでも女性は客と値段の交渉をし、時折笑っていた。
「人って強いね」
「そうじゃな」
美咲は少し後ろを歩いていた。昨日まで教会で負傷者の治療を手伝っていたが、セレナから半ば強引に休むよう言われ、今日は三人で街を見ることになった。
「美咲、大丈夫?」
悠真が振り返る。
「うん。魔力もだいぶ戻ったよ」
「本当に?」
「セレナさんにも確認してもらったから」
「ならよい」
剣一郎が頷いた。
「使えるからといって使い続ければよいというものでもない」
「はい」
「おじいちゃんも美咲に同じこと言われてたけどね」
「何の話じゃ」
「傷が塞がったからって動き回るなって」
「もう治っておる」
「そういうところだと思う」
美咲が笑った。
通りを進むと、街の中央に小さな広場が見えてきた。王都ほど大きくはないが、人の行き来は多い。周辺の村から届いた野菜や穀物、日用品が並び、旅人向けの宿や食堂も軒を連ねている。
「ダリオさんが言ってた通り、結構にぎやかだな」
「この辺りでは大きな街らしいからの」
「王都とは全然違うね」
美咲が周囲を見回す。
王都の市場は人も店も桁違いだったが、こちらは商人と客の距離が近い。店主同士が声を掛け合い、買い物に来た者の多くも顔見知りらしい。
三人が歩いていると、何人かが剣一郎へ視線を向けた。
「あの人じゃないか?」
「白髪の……」
「魔族と戦ったっていう……」
小さな声が聞こえる。
剣一郎は気にする様子もなく歩き続けた。
「おじいちゃん、有名人になってる」
「困ったものじゃ」
「ちょっと嬉しそうじゃない?」
「どこを見たらそう見える」
「なんとなく」
悠真が笑う。
しかし、聞こえてくる話は剣一郎についてだけではなかった。
「魔族がまた来るんじゃないか」
「魔王領が攻めてくるって話もあるぞ」
「昨日、宿で聞いたんだが、もう別の街も襲われたらしい」
「そんな話、誰が言ってた?」
「知らねえよ。旅商人だ」
美咲が足を止めた。
「別の街も襲われたって……本当ですか?」
「分からん」
剣一郎は即答した。
「ハルト村のことと混同しておるのかもしれん」
「でも、あんなふうに広がるんですね」
「噂とはそういうものじゃ」
悠真も先ほどまでの笑顔を消している。
「ザイルが魔族だって名乗ったから……」
「ああ」
「みんな魔族全部が敵だって思っちゃうのかな」
剣一郎は少し考えた。
「そう思う者もおるじゃろう」
「おじいちゃんは?」
「わしは魔族を一人しか知らん」
「ザイル?」
「ああ。あやつはろくでもない男じゃった」
「それは俺も思う」
「じゃが」
剣一郎は市場を行き交う人々を見る。
「一人を見て、同じ魔族すべてを知ったことにはならん」
悠真は少し黙ったあと、頷いた。
「そうだよね」
◇
昼前には、三人は光輪教団の教会へ戻っていた。
建物そのものへの大きな被害はなかったが、中庭にはまだ負傷者のための簡易寝台が並んでいる。怪我の軽い者の多くはすでに自宅へ帰り、残っているのは治療に時間がかかる者や、家が被害を受けて帰れない者だった。
「お帰りなさい」
セレナが水桶を運びながら声をかける。
「少しは街を見られましたか?」
「はい」
美咲が答える。
「思ったより、みんな普通に生活していて驚きました」
「ずっと怖がっているわけにもいきませんから」
セレナは桶を置き、額の汗を拭った。
「それに、街の外から食料も運ばれてきます。商売を止めてしまえば、今度は別の問題が起きますからね」
「教会もずっと忙しそうですね」
「もう少ししたら落ち着くと思います」
悠真が周囲を見る。
「ここって、こういう時はいつも避難所みたいになるんですか?」
「そうですね。火事や洪水、大きな魔物被害が起きた時は、人を受け入れることがあります」
「王都の教会も?」
「場所によりますが、基本的には同じです」
剣一郎が尋ねる。
「国から命じられておるのか?」
「いいえ」
セレナは首を振った。
「教会として、できる範囲で助けているだけです。もちろん国や街から支援を受けることもありますけど」
「なるほどの」
「神崎さんは、教会ってもっと別の場所だと思っていました?」
「わしのいた世界とは少し違うからの」
「剣一郎さんの世界にも教会があるんですか?」
「似たようなものはある」
「へえ」
セレナは興味を示したが、すぐに呼ばれて別の場所へ向かった。
その背中を見送りながら、美咲が言う。
「セレナさん、本当に休まないですね」
「お主も人のことは言えんじゃろう」
「昨日ちゃんと休みました」
「昨日だけじゃろう」
「……はい」
悠真が笑う。
「似てるんじゃない?」
「誰と?」
「セレナさんと美咲」
「そうかな」
「人の怪我見ると放っておけないところ」
美咲は少し困ったように笑った。
◇
午後になると、街の騎士詰所からクラウスが教会を訪れた。
「神崎さん。少しいいですか?」
「何か分かったか?」
「ザイルについては、まだ何も」
クラウスは首を振った。
「森の捜索を続けていますが、本人も死体も見つかっていません。血痕が途切れた辺りにあった足跡についても、フィアたちが調べていますが途中で追えなくなっています」
「そうか」
「ただ、王都から返答が来ました」
「早いね」
悠真が驚く。
「早馬を使っていますから」
クラウスは懐から紙を取り出した。
「現時点では、ザイル一人の行動を魔王領全体の意思と考えないこと。未確認の情報を不用意に広めないこと。街の防備を一時的に増強し、ザイルと依頼主について調査を続けること」
「王様らしい」
悠真が言う。
「慎重じゃな」
剣一郎も頷いた。
「それと、神崎さんたちには街が落ち着き次第、王都へ戻ってほしいとのことです」
「わしらに?」
「陛下とガレス団長が直接話を聞きたいそうです」
「分かった」
「明日には出発できますか?」
剣一郎は美咲を見る。
「身体は?」
「大丈夫です」
「悠真は?」
「俺も問題なし」
「ならよい」
クラウスが頷く。
「俺たちも同行します。今回の依頼はセレナさんを街まで送り届けるところまでですが、こちらも王都への報告がありますから」
そこへちょうどセレナが戻ってきた。
「明日、王都へ戻られるんですか?」
「その予定じゃ」
「そうですか」
セレナは少し寂しそうな表情を浮かべた。
「短い間でしたけど、美咲さんには本当に助けてもらいました」
「私の方こそ、色々教えてもらいました」
「またこちらへ来ることがあったら、教会に寄ってくださいね」
「はい」
悠真が横から顔を出す。
「俺も行っていいですか?」
「もちろんです」
「食事目当てではないじゃろうな」
「なんでそうなるんだよ」
「ハルト村でも食ってばかりおったからじゃ」
「働いてたって!」
セレナが思わず笑った。
「悠真さんなら、食事くらいいくらでも出しますよ」
「ほら!」
「調子に乗るでない」
◇
日が傾き始めた頃、剣一郎は一人で正門近くまで歩いていた。
修復作業は今日も続いている。大工たちが仮の門を補強し、衛兵が周囲を見回っていた。二日前まで戦場だった場所とは思えないほど、人の手が行き交っている。
「神崎殿」
声をかけてきたのは、襲撃時にザイルと戦っていた騎士の一人だった。
「肩はもうよろしいのですか?」
「問題ない」
「そうですか」
騎士は少し迷ってから頭を下げた。
「改めて礼を言わせてください。神崎殿がザイルを止めていなければ、もっと被害が出ていました」
「わし一人で守ったわけではない」
「それでもです」
剣一郎はしばらく騎士を見たあと、小さく頷いた。
「ならば受け取っておこう」
「ありがとうございます」
騎士は少し安心したように笑った。
「ただ……」
「何じゃ?」
「私は、魔族というものを初めて見ました」
「ああ」
「あんな者たちが魔王領には大勢いるのでしょうか」
剣一郎はすぐには答えなかった。
「分からん」
「……ですよね」
「じゃが」
騎士が顔を上げる。
「ザイルが悪人であったことと、魔族すべてが悪人であることは同じではなかろう」
「そう……なのでしょうか」
「知らぬ」
「え?」
「会ったことがないからの」
騎士が少し呆気に取られる。
「分からぬものを無理に決める必要はない。会ってから考えればよい」
「……神崎殿らしいですね」
「そうか?」
「はい」
剣一郎は正門の外へ目を向けた。
その先には街道が伸び、さらに遠くには森が広がっている。ザイルが消えたのも、その森だった。
生きているのか。
死んでいるのか。
それはまだ分からない。
だが、ザイルをこの街へ送り込んだ者がいる。
そのことだけは、頭の片隅に残っていた。
「さて」
剣一郎が踵を返す。
「明日は王都か」
人々の思惑をよそに、状況は刻一刻と変化する。
剣一郎は少しだけ歩みを速めた。




