第四十三話 事件後の会議室
王都へ届いた報せを受け、その日のうちに王城の会議室に主要な人物が集められた。
机の上には、街から届いた報告書が数枚並べられている。正門の被害、魔物の数、負傷者の状況、そして魔物を率いていた男――ザイルについて分かっていること。その中でも、ひときわ重く受け止められていたのは、本人が「魔王領から来た魔族」と名乗ったという記述だった。
「……魔族、か」
アルフレッドが低く呟く。
向かいにはガレス、その隣にはエルドが座っていた。普段なら穏やかな老魔導士も、今日は報告書へ目を落としたまま表情が硬い。
「まず確認しておきたい」
アルフレッドは顔を上げた。
「この報告だけをもって、魔王領が人間側へ攻撃を始めたとは判断しない」
「私も同意見です」
ガレスがすぐに答える。
「ザイル本人が、正体不明の者から街を襲うよう依頼されたと話しています。それが事実なら、少なくとも今回の襲撃を魔王領の意思と断定する材料にはなりません」
「ただし」
エルドが指先で報告書の一節を示す。
「魔族であるザイルが魔物を率いて人間の街を襲った、という事実そのものは残りますな」
「そこが厄介だ」
アルフレッドは眉間へ指を当てた。
「人々は報告書のように一つ一つ条件を分けて考えてはくれない」
魔族が現れた。
魔物を率いていた。
街を襲った。
門を破壊した。
それだけ聞けば、魔王領への恐怖が広がるには十分だった。
「すでに噂は動いているでしょう」
ガレスが言う。
「街には目撃者が多すぎます。完全に止めるのは不可能です」
「止める必要もない」
アルフレッドは首を振る。
「事実まで隠せば、後で余計な憶測を呼ぶ。ただし、こちらが確認していないことまで広がるのは避けたい」
「つまり」
「『魔族が街を襲った』までは事実。『魔王が命じた』『魔王領が侵攻を始めた』は未確認。それを徹底させる」
「承知しました」
ガレスが頷く。
エルドはまだ報告書を見ていた。
「もう一つ、気になる点があります」
「魔物を率いていた道具か?」
「はい」
黒い魔道具らしきものをザイルが持っていた。
その記述をアルフレッドも読み返す。
「異なる種類の魔物を、操る魔道具……」
「もし本当にそのようなものが存在するなら、ハルト村の襲撃とも無関係とは言い切れません」
ガレスの表情がさらに険しくなる。
ハルト村では、普段ならまとまって行動しない複数種の魔物が、一つの村へ向かっていた。今回も同じだ。
「同じ物が使われた可能性はある」
「ただし」
エルドがすぐに付け加える。
「まだ可能性に過ぎません。ハルト村では、そのような魔道具そのものは確認されていない」
「分かっている」
アルフレッドも頷く。
「似ているから同じ犯人だ、と決めつけるわけにはいかない」
「その通りです」
ガレスが腕を組む。
「同時に、関連性を調べる必要はあります」
しばらく沈黙が落ちた。
机の上にある報告書には、ザイルの逃走後についても書かれている。森の中に血痕が続き、その先で別人と思われる足跡が複数確認されたこと。死体は見つかっていないこと。
「ザイルは生きていると思うか?」
アルフレッドの問いに、ガレスは少し考えてから答えた。
「分かりません。神崎殿との戦いでかなりの傷を負っていたようです。ですが、遺体を確認していない以上、生存を前提に警戒すべきです」
「私もそう思いますな」
エルドが頷く。
「魔族の生命力が人間とどの程度違うのか、我々には十分な知識がありません」
「長く交流が途絶えているからか」
「はい」
人間側に残る魔族の記録は古い。しかも、その多くは伝聞や昔話に近く、今の魔族にも当てはまるとは限らない。
「ならば、知らないことを知らないままにしておくのは危険だな」
アルフレッドが言う。
「エルド。古い資料をもう一度洗ってくれ。魔族そのものについてだ。寿命、身体能力、魔力感知、文化、過去の交流。確実なものと、伝承の域を出ないものを分けてほしい」
「承知しました」
「ガレス」
「はっ」
「街の防備を一時的に増強する。ただし王都の守りを薄くしすぎるな」
「第三騎士団から必要数を回します。現地の騎士と受命士も活用します」
「頼む」
アルフレッドはそこで一度言葉を切った。
「それと、ザイルの依頼主だ」
「はい」
「こちらを優先して調べたい」
ガレスの目が細くなる。
「ザイル本人が、顔も名も知らない者から依頼されたと言っている。さらに逃走先には第三者の足跡があった」
「偶然とは考えにくいですね」
「もちろん断定はしない。ただ、ザイル一人を追うより、背後にいる者を探す方が重要かもしれない」
「では、現場周辺の調査を続けます」
「大人数は出すな」
アルフレッドがすぐに言った。
「相手が何者か分からない以上、要らぬ不安を拡げるのも危険だ」
ガレスは少し考え、頷いた。
「追跡に慣れた受命士を数名。それに騎士を少数付けます」
「それでいい」
以前、北東方面の魔物の動きを調べるために受命士を雇った時と同じだった。森の中で痕跡を拾うなら、騎士だけで動くより専門の者を使う方がいい。
「ただし」
アルフレッドの声が低くなる。
「深追いは禁物だ。相手がザイルのような者を平然と使える組織なら、何をしてくるか分からん」
「承知しています」
◇
話し合いが一段落したところで、エルドが別の紙を手に取った。
「ところで」
「何だ?」
「神崎殿について、少々気になる記述があります」
ガレスもそちらを見る。
「ザイルとの戦闘か」
「ええ」
報告には、ザイルが極めて高い身体能力と魔力を持ち、騎士を何人も圧倒したことが書かれていた。その上で、剣一郎が一対一で戦い、最終的には勝ったことも。
「神崎殿は魔力を使えません」
「知っている」
「身体強化も使えません」
「それも知っている」
「それでも、魔族の強者を剣だけで退けた」
アルフレッドが僅かに口元を緩める。
「今さら驚くことか?」
「驚きますとも」
エルドは真顔だった。
「私の常識が何度壊されたと思っているのです」
ガレスが小さく咳払いする。
「私も同感です」
「お主まで言うか」
「トロールの時点で十分おかしいとは思っていました」
「本人が聞いたら怒るぞ」
「褒めているのですが」
ほんの僅かに空気が緩む。
「剣一郎殿たちには、いったん街に留まってもらうか?」
「現地の復旧が落ち着き次第、王都へ戻ってもらう予定です」
「そうしてくれ」
アルフレッドは報告書を閉じた。
「直接話を聞きたい」
「ザイルについてですか?」
「それもある」
王は机の上に指を置く。
「だが、剣一郎殿なら、我々が見落としていることに気づいているかもしれん」
「神崎殿は捜査官ではありませんよ」
「分かっている」
アルフレッドは苦笑した。
「だからこそだ。あの御仁は、分からないものを分かったふりで話さない」
ガレスも否定しなかった。
◇
会議が終わり、ガレスとエルドが部屋を出た後も、アルフレッドは一人残っていた。
窓の外には王都の街並みが広がっている。
人々はいつも通り行き交い、市場も開いている。遠くで子供たちの声も聞こえた。
この街に、まだ魔族襲撃の話は十分広がっていない。
だが、いずれ届く。
「魔族、か……」
アルフレッドは小さく呟いた。
古い物語では、魔族は恐ろしい存在として描かれることが多い。
だが今回のザイルは、自分自身で街を襲う理由を語っている。
面白いから。
暴れたいから。
それは、魔族だからではない。
ザイルという男がそういう者だっただけかもしれない。
「一人を見て、全てを決めるわけにはいかんな」
アルフレッドはそう呟くと、机の上の報告書をもう一度開いた。
その一方で、ザイルを使った何者かが存在する。
魔物を集める手段を持ち、正体を隠し、人間の街を襲わせた者たち。
そちらの方が、王にはよほど不気味に思えた。
窓の外では、夕暮れの鐘が鳴り始めていた。




