第四十二話 おじいちゃんと踊らない捜査線
襲撃から一夜が明けても、街にはまだ焦げた木材と土埃の匂いが残っていた。破壊された正門では衛兵や職人たちが仮の柵を組み、騎士たちは交代で周囲を警戒している。幸いにも魔物の大半はザイルが逃げた後に統率を失い、討ち取られるか森へ散っていた。
剣一郎たちは街に留まり、復旧を手伝っていた。悠真は崩れた荷車や木材を運び、美咲は負傷者の治療を続けている。セレナも教会へ戻ると、休む間もなく仲間たちと共に怪我人の受け入れを始めていた。
「こちらへ寝かせてください。歩ける方は奥の部屋へ。重傷の方を先に診ます」
セレナの声が教会の中を飛び交う。床には毛布が敷かれ、負傷した衛兵や住民が横になっていた。光輪教団の者たちは水を運び、包帯を替え、食事を用意している。
「美咲さん、少し休んでください」
「まだ大丈夫です」
「昨日から何度も治癒魔法を使っています。魔力が尽きてからでは遅いですよ」
セレナに言われ、美咲は少し迷ってから頷いた。
「……分かりました。少しだけ休みます」
「それでいいんです」
セレナはいつもの穏やかな笑みを浮かべた。その顔には疲れが見えていたが、自分も休もうとはしない。
美咲は椅子へ腰を下ろしながら、教会の中を見回した。昨日、街を襲ったザイルは魔族を名乗った。そのザイルが狙っていた街で、今こうして光輪教団の者たちが人々を助けている。
「……どうして、あんなことを」
思わず漏れた言葉に、セレナが振り返った。
「ザイルのことですか?」
「はい」
美咲は小さく頷く。
「自分が楽しむためだけに、こんなに大勢を巻き込んで……」
「私にも理解できません」
セレナは少しだけ表情を曇らせた。
「でも今は、助かった人たちのことを考えましょう」
「……はい」
◇
街の正門では、クラウスたちが騎士と状況を確認していた。
「魔物の死骸は?」
「確認できた分は三十七。森へ逃げたものもかなりいる」
「追跡は?」
「深追いしていない。門の修復と街の警備を優先した」
「それでいいと思う」
クラウスは頷いた。
少し離れたところでは、剣一郎が破壊された門を眺めている。二度の魔法攻撃を受けた門は中央部分が大きく砕け、今は太い木材を何本も組んで応急的に塞いであった。
「すごい威力だったな」
悠真が横に立つ。
「あれを人に直接撃たれたら、洒落にならないよ」
「そうじゃな」
「じいちゃん、よくあんなの相手に戦ったね」
「当たらなければどうということはない」
「簡単に言うなあ」
悠真は呆れたように笑った。
「それより、肩は?」
「もう問題ない」
「美咲に聞いたら怒られるよ」
「なぜじゃ」
「『傷が塞がったからって治ったわけじゃない』って言ってた」
「……余計なことを覚えておるの」
悠真が笑う。
その時、街道の方から馬の蹄の音が聞こえた。
「戻ったぞ!」
騎士が二人、馬に乗って戻ってくる。
クラウスがすぐにそちらへ向かった。
「どうだった?」
二人のうち一人が馬から降りる。
「血痕は見つかった。かなりの量だ」
「ザイルのもの?」
「断定はできない。ただ、逃げた方向と一致しているし、途中には大柄な男が木へ手をついたような血の跡もあった」
剣一郎も近づく。
「どこまで続いておった?」
「森の奥までです」
「その先は?」
騎士は少し困ったような顔をした。
「途切れていました」
「途切れた?」
「はい」
クラウスの眉が僅かに動く。
「死体は?」
「見つかっていません」
悠真が首を傾げる。
「じゃあ、どこかに逃げたってこと?」
「それが分からない」
もう一人の騎士が答えた。
「血痕が途切れた辺りを調べたんだが、妙な跡があった」
「妙な跡?」
「人の足跡だ」
クラウスの表情が変わる。
「ザイルのものではなく?」
「あいつの足跡は大きい。それとは違う。少なくとも二人分はあったと思う」
「いつのものだ?」
「新しい。雨も降っていないから断定は難しいが、ザイルが通った前後だろう」
フィアも話を聞きつけてやってきた。
「見せてもらえる?」
「場所まで案内する」
「足跡はどっちへ?」
「森のさらに奥。ただ、途中から硬い地面に入って追えなくなった」
クラウスが腕を組んだ。
「ザイルに仲間がいたのか」
「それとも」
フィアが続ける。
「誰かが、ザイルを待ってた」
悠真の顔から笑みが消えた。
「それって……」
剣一郎が静かに口を開く。
「本人が言っておったの」
「何を?」
「顔も名も知らぬ者から、街を襲えと言われたとな」
クラウスが頷く。
「もしその依頼主か、その仲間がいたとしたら……」
「逃げたザイルと接触した可能性がある」
フィアが言った。
しばらく誰も口を開かなかった。
「生きてると思う?」
悠真が剣一郎へ尋ねる。
「分からん」
「でも、かなり深く斬ったんでしょ?」
「ああ」
「なら……」
「生死を見ておらん以上、決めつけぬ方がよい」
剣一郎はそう言うと、森の方角を見た。
「生きておるなら、また現れるかもしれん。死んでおるなら、それまでじゃ」
「おじいちゃん、割り切ってるね」
「分からぬことを考え続けても答えは出ん」
悠真は少し考え、頷いた。
◇
その日の午後、街の騎士詰所では報告書がまとめられていた。正門の被害、負傷者数、討伐した魔物の種類、ザイルの容姿、使用した魔法、そして本人が語った内容。
クラウスも目撃者として呼ばれ、剣一郎たちも同席していた。
「確認します」
書記役の騎士が紙へ視線を落とす。
「襲撃者は自らをザイルと名乗り、魔王領から来た魔族だと発言した」
「間違いない」
クラウスが答える。
「さらに、正体不明の人物からこの街を襲うよう依頼されたと発言」
「ああ」
「依頼主の顔、名前、所属については知らないと」
「そう言っていた」
書記は筆を走らせる。
「神崎殿」
「何じゃ」
「ザイルとの戦闘中、他に何か聞いていませんか?」
剣一郎は少し考えた。
「わしが聞いたのも同じようなものじゃ。依頼を受けたこと、相手の顔も名も知らぬこと。その程度じゃな」
「街を襲う目的については?」
「本人は知らぬようじゃった」
「知らない?」
「知ろうともしておらなんだ、という方が正しいかもしれん」
剣一郎の表情が僅かに険しくなる。
「好きに暴れられれば、それでよいと言っておった」
騎士の一人が顔をしかめた。
「救いようがないな」
「あやつが悪人であることは間違いない」
剣一郎が静かに言う。
騎士が顔を上げる。
「じゃが、あやつを唆した者がおるなら、より危険な存在かもしれん」
「……確かに」
クラウスも頷いた。
「むしろ問題はそこです。魔物をまとめて動かす道具を誰が用意したのか」
「回収できなかったのか?」
「ザイルが逃走する際に持っていったらしい」
フィアが答える。
「戦場も調べたけど、それらしいものは見つからなかった」
「となると、調べられるのは足跡くらいか」
「今のところはね」
書記役の騎士が筆を置いた。
「この報告は最優先で王都へ送ります」
「そうしてくれ」
「魔族が魔物を率いて人間の街を襲った。しかも背後に別の者がいる可能性がある。こちらだけで判断できる話ではありません」
部屋の空気が重くなる。
悠真が小さな声で尋ねた。
「これで、人間と魔族が戦争になったりするのかな」
誰もすぐには答えなかった。
やがてクラウスが口を開く。
「ザイル一人が魔族だった。それは事実だ」
「ああ」
「だが、それだけで魔王領全体の意思だとは決められない」
剣一郎が続ける。
「本人も、誰かに頼まれたと言っておったからの」
「でも……」
美咲が不安そうに言う。
「街の人たちは、ザイルが魔族だって聞いていますよね」
「そうだね」
フィアが答える。
「噂は止められないと思う」
魔族が現れた。
魔物を率いていた。
街の門を破壊した。
人間を殺そうとした。
どれも嘘ではない。
だからこそ厄介だった。
「王都がどう判断するかじゃな」
剣一郎が言った。
◇
夕方。
王都へ向かう早馬が街を出た。
封をされた報告書には、今回の襲撃について分かっていることが可能な限り記されている。
剣一郎は街の防壁近くから、その馬が小さくなっていくのを見送っていた。
「王様、驚くだろうな」
悠真が隣で言う。
「そうじゃろうな」
「魔族なんて実際に見たことないんだよね?」
「人間と魔族の交流は長く途絶えておると聞いた」
「じゃあ、ザイルが久しぶりに現れた魔族ってこと?」
「少なくとも、この辺りの者にとってはそうなのじゃろう」
悠真は黙り込む。
「最悪の第一印象だな」
「そうじゃな」
剣一郎も否定しなかった。
ザイルは魔族というだけで恐れられるような男ではなかった。人を傷つけ、街を襲い、それを楽しんでいた。だが、人々がその違いを冷静に分けて考えられるかは別の話だった。
「おじいちゃん」
「何じゃ」
「魔族って、みんなザイルみたいなのかな」
剣一郎はすぐには答えなかった。
「知らん」
「……そっか」
「だからこそ」
剣一郎は悠真を見る。
「知らぬうちから決めつけるものではない」
悠真が少しだけ目を見開き、それから頷いた。
「うん」
街の外では、壊れた正門の修理が続いている。
その向こうには、ザイルが消えた森が広がっていた。
生きているのか。
死んでいるのか。




