第四十話 おじいちゃんと勝負の行方
二人の刃が激突した。耳を打つような金属音が響き、剣一郎の身体が大きく後ろへ押される。踏みしめた足が地面を削り、そのまま数歩下がった。
「じいちゃん!」
悠真の声が飛ぶ。
だが、剣一郎は倒れない。刀を握る手には僅かな痺れが残っていたものの、その表情に焦りはなかった。
「……なるほどの」
ザイルが限界を超えて魔力を身体へ流し込んだことで、速さも力も先ほどまでとは明らかに違っている。皮膚のあちこちから血を滲ませながら、それでもザイルは楽しそうに笑っていた。
「どうしたジジィ! 俺の動きが読めるんじゃなかったのかよ!」
地面を蹴ったザイルが一瞬で間合いを詰める。首を狙う横薙ぎを剣一郎が刀で受けると、凄まじい衝撃が腕を伝った。そのままザイルは身体を回転させ、強烈な蹴りを放つ。
剣一郎は左腕を上げて受けたが、身体ごと横へ弾かれた。着地した瞬間には、すでにザイルが追いついている。
「遅え!」
振り下ろされた剣を身体を沈めてかわす。刃が地面を深く抉り、土が跳ね上がった。その一瞬を逃さず、剣一郎の刀がザイルの脇腹へ走る。
「ちっ!」
ザイルは身を捻り、紙一重で急所を外す。浅く斬られた脇腹から血が滲んだが、動きは止まらない。
「そんなもんか!」
左手に炎が生まれる。剣一郎はすぐに後ろへ跳び、直後に爆発が起きた。熱風が頬を撫で、作務衣の袖が僅かに焦げる。
「逃がすか!」
炎の向こうからザイルが飛び出した。剣一郎は刀を横に構え、真正面から受ける。さらに一撃、二撃、三撃。今度は剣一郎の方が少しずつ下がった。
「……すげえ」
魔物を相手にしながら、悠真は思わず呟いた。これまで祖父の戦いを何度も見てきたが、これほど長く攻撃を受け続けている姿はほとんど記憶にない。
「悠真君! 前!」
美咲の声で我に返る。
「うわっ!」
迫ってきたゴブリンの剣を慌てて弾く。
「ごめん!」
「剣一郎さんのことは気になるけど、こっちもまだ終わってないよ!」
「分かってる!」
破壊された門では、衛兵たちが必死に魔物を押し返している。クラウス、フィア、ボルグも加わり、先ほどより魔物の数は確実に減っていた。だが、剣一郎とザイルの戦いだけは、周囲とは別の速度で進んでいるように見えた。
◇
ザイルは笑っていた。しかし、その笑みは少しずつ歪み始めていた。
(何でだ)
確実に押している。力はこちらが上で、速度も今なら負けていない。剣一郎にも傷が増えている。それなのに、倒れない。
何より理解できないのは、やはり魔力だった。
(何で何も感じねえ)
剣一郎からは、魔力がほとんど感じられない。身体強化を使っている気配もない。それでも自分の剣を避け、受け、流し、隙を見つければ必ず斬り返してくる。
「くそっ!」
ザイルが剣を大きく振るう。剣一郎が半歩下がる。
「逃げんな!」
「逃げてはおらん」
「じゃあ何してやがる!」
「確かめておる」
「何をだよ!」
炎、剣、蹴り、さらに剣。ザイルは休むことなく攻め続ける。だが、剣一郎の目は先ほどまでとは違っていた。
迷いがない。
むしろ、攻撃を受けるたびに動きが滑らかになっている。
「……ふむ」
剣一郎が小さく呟いた。
「何だ!」
「いやなに」
ザイルの剣を受け流し、その勢いのまま一歩踏み込む。刀の切っ先がザイルの頬を掠めた。
「ようやくこちらの世界に身体が馴染んできたわい」
「……は?」
ザイルが思わず動きを止めかける。
「何言ってやがる」
「こちらへ来てから、どうにも身体の感覚が僅かに違っておってな。地面の踏み応えも、空気も、元の世界とは少し違う」
剣一郎は刀を構え直した。
「じゃが、やっとつかめて来た」
「……」
「今なら、もう少し動けそうじゃの」
ザイルの表情から笑みが消えた。
「ふざけんなよ」
「何がじゃ」
「今まで本調子じゃなかったってのか?」
「そういうことになるかの」
次の瞬間、剣一郎の姿が消えたように見えた。
「なっ――!」
ザイルが反射的に剣を上げる。金属音が鳴り、腕へ衝撃が走る。
だが、剣一郎はすでにそこにはいない。
「どこ――」
右。
ザイルが振り向くより早く、刀が肩口を浅く斬った。
「ぐっ!」
さらに左。
「ちっ!」
今度は受けた。
だが、受けた瞬間には次の一撃が来る。
(速くなってやがる)
違う。
単純に速度だけが上がったわけではない。踏み込みが小さくなり、無駄な動きが減り、攻撃と回避がつながっている。
(何だ、これ)
ザイルの感覚では、剣一郎の魔力量は変わっていない。
何もない。
それなのに。
明らかに先ほどより強くなっている。
「あり得ねえ……」
ザイルが後ろへ下がる。
「魔力も増えてねえ。身体強化も使ってねえ。それなのに何で――」
剣一郎が一歩踏み込む。
「慣れただけじゃ」
「意味分かんねえよ!」
ザイルが怒鳴り、全身からさらに魔力を噴き上げる。地面に細かな亀裂が走り、腕や首の皮膚が裂けて血が滲んだ。
「俺は魔族だぞ! 人間より身体も強え! 魔力だって桁が違う!」
「そうか」
「そうかじゃねえ!」
剣一郎は静かに刀を構える。
ザイルが息を呑む。
「真剣勝負とはただの力比べにあらず――」
剣一郎の目が細くなる。
「……!」
「お主は確かに強い。力も速さも、わしより上じゃ」
剣一郎は一歩前へ出る。
「じゃが、それだけでは届かぬものもある」
「調子に乗るなあああ!」
ザイルが地面を蹴る。今までで最も速い踏み込みだった。
だが、剣一郎には見えていた。
右足へ寄る体重。腰の沈み。左肩の入り。これまで何度も見てきた動き。
「うおおおおっ!」
ザイルが剣を振り下ろす。
一歩、ザイルが間合いへ入る。
剣一郎が踏み込んだ。
「終いじゃ」
一閃。
ザイルの剣が宙を舞った。
「……え?」
幅広の剣が地面へ落ちる。続いてザイルの胸から血が噴き出した。
「が……」
ザイルが膝をつく。
剣一郎は首も心臓も狙っていなかった。斬ったのは胸から脇腹へかけて。深い傷ではあるが、即死する場所は外している。
「何で……」
ザイルが荒い息を吐く。
「何で……殺さねえ」
「聞きたいことがある」
剣一郎は刀を下ろさない。
「お主にこの街を襲えと言った者についてな」
ザイルの表情が僅かに変わった。
「知らねえよ……」
「顔も名も知らぬと言っておったな」
「本当だ」
「ならば、知っておることを話してもらう」
「……嫌だね」
ザイルが血の混じった笑いを浮かべた。
「負けたくせに、まだ強がるか」
「まだ負けちゃいねぇよ」
ザイルの左手が腰へ動く。
剣一郎の目が細くなった。
「何を――」
ザイルが小さな球体を地面へ叩きつける。
破裂音。
濃い煙が一気に広がった。
「煙!」
クラウスの声が響く。
剣一郎はすぐに前へ踏み込んで刀を振るったが、手応えがない。
「ちっ」
ザイルは走っていた。右腕はほとんど動かず、胸から血が流れ続けている。まともに身体強化を使える状態ではない。それでも逃げた。
「逃がすな!」
騎士の一人が追おうとする。
「待て!」
クラウスが止めた。
同時に、門の方から大きな叫び声が上がる。
「こっちを手伝ってくれ!」
まだ魔物が残っている。破壊された門、負傷した衛兵、逃げ遅れた人々。今は追跡より街を守る方が優先だった。
剣一郎も煙の向こうを見たまま、ゆっくり刀を下ろす。
「じいちゃん!」
悠真が駆け寄ってくる。
「怪我!」
「大した事はない」
「大した事あるよ!」
肩の作務衣が裂け、血が流れている。
「美咲!」
「はい!」
美咲もすぐに駆け寄った。
「動かないでください!」
「この程度なら――」
「動かないでください!」
「……うむ」
珍しく剣一郎が素直に従う。
悠真が思わず笑った。
「美咲には弱いんだ」
「黙っておれ」
「治療します」
柔らかな光が剣一郎の肩を包む。
少し離れた場所では、クラウスたちと騎士が残った魔物を追い詰めていた。ザイルがいなくなったことで群れの動きは明らかに乱れ、統一されていた進行方向も崩れている。
「押し返せ!」
「残りを門へ近づけるな!」
戦いの流れは、完全に街側へ傾き始めていた。
◇
ザイルは森の中を走っていた。
「はあ……はあ……!」
足元が何度もよろめく。胸の傷を左手で押さえているが、指の間から血が溢れてくる。
「くそ……」
頭から離れない。
あの老人。
「魔力も……ねえくせに……」
木へ肩をぶつける。
それでも止まらない。
「途中から……強くなりやがった……」
ザイルには理解できなかった。
魔力は増えていない。
身体強化も使っていない。
それなのに、戦いの途中から明らかに動きが変わった。
「何者だあのジジィ……」
やがて足が止まる。
木の幹へ手をつき、荒く息を吐く。
「……あいつらのところまで行けば」
自分を助けた者たち。寝床を用意し、魔物を率いるための道具を渡した連中。
仕事は失敗した。
だが、まだ利用価値があると言えばいい。
治療さえ受ければ。
「次は……」
ザイルの顔が歪む。
「次は絶対に殺す……」
血の跡を残しながら、再び森の奥へ歩き始めた。




