第三十九話 おじいちゃんとザイル
「――神崎剣一郎、推して参る」
剣一郎が静かに刀を構えた。
それを見たザイルは、幅広の剣を肩に担いだまま口元を吊り上げる。
「自己紹介たぁ、ずいぶん余裕じゃねえか、爺さん」
周囲では、まだ戦いが続いている。
破壊された正門へ殺到するゴブリンやウルフを騎士と衛兵が食い止め、防壁の上から矢が降り注いでいる。クラウスたちも魔物の群れへ加わり、悠真は逃げ遅れた子供を安全な場所へ運んでいた。
その騒乱の中で、剣一郎とザイルだけが互いを見据えていた。
「どうした?」
ザイルが笑う。
「来ねえのか?」
「慌てる必要もなかろう」
「なら、こっちから行くぜ!」
ザイルの身体から魔力が噴き上がった。
脚へ集められた魔力が一気に身体を押し出す。
踏み込んだ地面が砕ける。
数歩あった距離が、一瞬で消えた。
「死ね!」
ザイルの剣が剣一郎の肩口へ振り下ろされる。
剣一郎の体がわずかに動いた。
刃が鼻先を通り過ぎる。
「なっ――」
ザイルが即座に剣を返す。
横薙ぎ。
今度は剣一郎が刀を合わせる。
甲高い音が響いた。
「ぐっ……!」
凄まじい力だった。
剣一郎の足が地面を滑る。
一歩。
僅かではあるが、後ろへ押された。
「じいちゃんが……!」
少し離れたところで悠真が目を見開く。
これまで剣一郎が真正面から力で押し込まれるところなど、ほとんど見たことがなかった。
だが剣一郎の表情に焦りはない。
「なるほど」
「何がなるほどだ!」
ザイルがさらに踏み込む。
右から。
左から。
斜め上から。
身体強化による速度と膂力を乗せた連撃が襲いかかる。
剣一郎は受ける。
流す。
かわす。
時には大きく身体を退かせながら、それでも決定的な一撃だけは許さない。
「ははっ!」
ザイルの笑い声が響く。
「どうした爺さん! さっきの威勢は!」
剣一郎は答えない。
ザイルの剣を見る。
肩を見る。
腰を見る。
足を見る。
一撃ごとに、何かを確かめるように。
その様子に、ザイルの笑みが僅かに薄れた。
(……妙だな)
ザイルには、生まれつき他者の魔力をある程度感じ取る感覚があった。
それ自体は、魔族にとって珍しい能力ではない。
個人差こそあるものの、多くの魔族は近くにいる相手から漏れる魔力を何となく察することができる。熟練した者なら、相手がどの程度の魔力を持っているのか、大まかに見当をつけることもできた。
だからこそ、ザイルには分かる。
目の前の老人からは――。
(何も感じねえ)
最初に見た時からそうだった。
魔力が弱いのではない。
ほとんど無い。
身体強化を使っている気配もない。
魔法を発動する兆候もない。
だからザイルは、最初は気にも留めなかった。
どれだけ剣の扱いに慣れていようが、魔力のない人間など、自分の敵になるはずがない。
そう思っていた。
「おらぁ!」
力任せの一撃。
剣一郎が刀を斜めに合わせる。
真正面から受けない。
僅かに刃を滑らせる。
「っ!」
ザイルの剣が横へ流された。
その瞬間。
剣一郎の刀が動く。
ザイルは反射的に身体を反らした。
胸元を白刃が走る。
服が裂けた。
「……!」
ザイルが大きく後ろへ跳ぶ。
胸へ手をやる。
浅い。
だが、皮膚が僅かに切れていた。
「てめえ……」
「今のは避けたか」
剣一郎は静かに言う。
「よい反応じゃ」
「……舐めてんのか?」
「褒めたつもりじゃが」
ザイルの額に青筋が浮かぶ。
「ジジィ」
「ああ」
「お前……何を使ってやがる」
「何の話じゃ?」
「とぼけんな!」
ザイルの身体から魔力が再び膨れ上がる。
「身体強化だ! 何かの魔道具か!? どこに隠してやがる!」
「使っておらん」
「は?」
「身体強化とやらは、わしには使えぬ」
ザイルが動きを止めた。
「……何?」
「魔道具も同じじゃ。魔力がないからの」
数秒。
ザイルは剣一郎を見つめた。
そして笑った。
「は……」
乾いた声だった。
「ははっ」
次第に大きくなる。
「くだらねえ冗談だ!」
ザイルが再び飛び出す。
「魔力もなしで、俺の動きについてこられるわけがねえだろ!」
先ほど以上の速度だった。
剣一郎の左側へ回り込み、死角から剣を振るう。
剣一郎が振り向く。
刃がぶつかる。
ザイルはそのまま押し込まず、すぐに離れた。
次は右。
さらに正面。
足を狙う。
剣一郎が下がる。
「逃げんな!」
ザイルが追う。
だが、剣一郎は逃げているのではなかった。
一歩ずつ。
必要なだけ距離を取っている。
ザイルが大きく踏み込む。
剣一郎の身体が沈む。
「――そこじゃ」
「何?」
刀の峰がザイルの手首へ当たった。
「ぐっ!」
一瞬、握力が緩む。
剣一郎はそのまま身体を回し、柄頭をザイルの脇腹へ叩き込んだ。
「がっ!」
ザイルがよろめく。
すぐさま肘を振るう。
剣一郎は頭を下げてかわした。
距離が開く。
「……」
ザイルは脇腹を押さえた。
骨は折れていない。
だが、痛い。
はっきりと痛みがある。
魔力をまとって身体を強化している自分に、ただの老人の打撃が通っている。
(どうなってやがる)
魔力を感じない。
何度確かめても同じだった。
剣一郎の身体からは、戦っている最中だというのに魔力の揺らぎすら感じられない。
(本当に……魔力がねえのか?)
そんなはずはない。
そう思う。
だが、自分の感覚が間違っているとも思えない。
「おい」
ザイルの声から笑いが消えていた。
「本当に魔法が使えねえのか?」
「先ほどからそう言っておる」
「身体強化も?」
「使えぬ」
「じゃあ何で――」
ザイルが歯を食いしばる。
「何で俺についてこられる!」
剣一郎は少し首を傾げた。
「日頃の鍛錬のおかげかのう」
「……それだけ?」
「それだけじゃ」
「ふざけるな!」
炎がザイルの左手に生まれた。
「これならどうだ!」
火球が放たれる。
剣一郎は横へ走る。
一発目が地面で爆発した。
二発目。
三発目。
連続して炎が飛ぶ。
「じいちゃん!」
悠真が叫ぶ。
爆炎が剣一郎を包み込んだ。
「はっ!」
ザイルが笑う。
「魔力もねえ奴が魔法を喰らえば、ひとたまりも――」
炎の中から、人影が飛び出した。
「なっ!」
剣一郎だった。
衣服の袖が僅かに焦げている。
無傷ではない。
それでも走っている。
「嘘だろ!」
ザイルが剣を構える。
剣一郎が間合いへ入る。
刀が走る。
ザイルは剣で受けた。
金属音。
「ぐっ!」
今度はザイルが一歩下がった。
目が見開かれる。
「……俺が」
剣一郎がさらに踏み込む。
斬る。
受ける。
流す。
また斬る。
先ほどまでとは違う。
剣一郎の攻撃が増えていた。
「くそっ!」
ザイルが反撃する。
だが、そのたびに剣先が僅かにずれる。
剣一郎が一歩早く動いている。
「何でだ!」
剣。
「何でそこにいる!」
剣。
「どうして分かる!」
さらに剣。
ザイルの肩。
腕。
頬。
浅い傷が次々と増えていく。
「くそが!」
ザイルが距離を取った。
息が荒い。
対する剣一郎も無傷ではなかった。
頬に小さな切り傷。
左袖の一部は焦げている。
額には汗も浮かんでいる。
それでも構えは崩れていない。
ザイルが低く呟く。
「てめえ、俺の動きを読んでやがるな」
「ようやく気づいたか」
「最初からか?」
「いや」
剣一郎は首を振る。
「最初は分からなんだ」
ザイルが眉を寄せる。
「お主は速い。それに力もある。剣も我流ではない。かなりの場数を踏んでおる」
「……」
「じゃが、全力を出す時には僅かに癖が出る」
「癖?」
「普通の人間と骨格や筋肉のつき方が異なるから、それを把握するのに少しばかり時間がかかったがのう」
ザイルの表情が固まる。
自覚がなかった。
「そんなもん……戦いながら見てたってのか?」
「そうじゃ」
「……化け物が」
思わず言葉が漏れた。
直後、ザイル自身がその言葉に気づく。
目の前にいるのは老人だ。
魔力もない。
魔法も使えない。
身体強化さえできない。
それなのに。
魔王領でも上位の戦闘力を持つ自分が。
押され始めている。
「あり得ねえ……」
ザイルの声が震えた。
「魔力もねえ人間が……俺を……?」
剣一郎は刀を構え直す。
「魔力がないことと、剣を振れぬことは別じゃろう」
「そういう話じゃねえ!」
ザイルが叫んだ。
その表情には、もはや楽しそうな笑みはない。
苛立ち。
困惑。
そして僅かな恐れ。
「俺は魔族だぞ! 人間なんかより身体も強え! 魔力だって桁が違う!」
「そうか」
「そうかじゃねえ!」
「では」
剣一郎は一歩前へ出た。
「それが、お主の剣と何の関係がある?」
ザイルが息を呑む。
「力が強ければ勝てる。速ければ勝てる。魔力が多ければ勝てる」
剣一郎の刀が、静かに下がる。
「それだけで決まるほど、真剣勝負は甘くはないぞ」
「……!」
ザイルの顔が歪む。
「調子に乗るなあああ!」
全身から魔力が爆発した。
これまでとは比較にならない。
ザイルの身体を赤黒い魔力が包み、地面に細かな亀裂が走る。
周囲で戦っていた騎士たちまで振り返った。
「何だ、あれ……」
悠真も息を呑む。
ザイルの皮膚から血が滲んでいた。
限界を超えて身体を強化している。
「ジジィ……」
ザイルが低く笑った。
今度の笑みには余裕がない。
「ぶっ殺す」
剣一郎は静かに刀を握り直した。
「来い」
ザイルが地面を蹴る。
その姿が消えた。
剣一郎の目が僅かに細くなる。
そして。
二人の刃が激突した。




