第三十八話 おじいちゃんと魔物を率いる男
街へ近づくにつれ、フィアの表情は険しくなっていった。
「……やっぱり、全て街の方へ向かってる」
彼女は街道の脇にしゃがみ込み、土に残された跡を確かめる。ゴブリン、ウルフ、それ以外にも何種類かの魔物の足跡が入り混じり、街へ近づくほどその数は増えていた。
「どのくらい前じゃ?」
剣一郎が尋ねる。
「新しい。数時間も経ってないと思う。しかも、かなり急いで進んでる」
クラウスが街道の先へ目を向けた。
「急ぎましょう」
その時、遠くから鐘の音が聞こえた。
一度ではない。
何度も激しく打ち鳴らされている。
セレナの顔色が変わる。
「……警鐘です」
全員が街の方角を見る。
木々の向こうから、灰色の煙が空へ上がっていた。
「街で何か起きています!」
「走れるか!」
クラウスの声に、御者が馬を急がせる。
一行は街道を駆けた。
街へ近づくにつれ、人の姿が消えていく。本来なら農作業をしているはずの畑にも誰もおらず、道端には荷物を積んだままの荷車が放置されていた。慌てて街へ避難したのだろう。
「みんな、中へ逃げたみたいですね」
美咲が言う。
「それならよい」
剣一郎は走りながら答えた。
「少なくとも、外に残っておる者は少ないはずじゃ」
さらに進む。
やがて魔物の咆哮と、金属同士がぶつかる音が聞こえ始めた。
「戦ってる」
悠真が剣の柄へ手を掛ける。
クラウスの表情が引き締まった。
「もう始まってます」
◇
街の姿が見えた瞬間、悠真は息を呑んだ。
「……なんだよ、これ」
石造りの防壁に囲まれた街。その正門前は、すでに戦場と化していた。
門は固く閉ざされ、防壁の上では弓を持った衛兵たちが次々と矢を放っている。門の内側にも多くの衛兵が待機しているらしく、怒号が途切れることなく聞こえていた。
一方、正門の外では数人の騎士が魔物の群れへ斬り込んでいた。
「右から来るぞ!」
「ウルフを先に落とせ!」
「門へ近づけるな!」
騎士たちは無秩序に戦っているわけではない。
素早いウルフが門へ回り込もうとすれば数人で進路を塞ぎ、ゴブリンの群れが集まれば防壁上からの矢で数を減らす。大型の魔物が門へ向かえば、騎士が前へ出て食い止める。
街を守る者たちは、確実に役目を果たしていた。
それでも魔物の数が多い。
そして何より――。
「ははっ! もっと来いよ!」
一際大きな笑い声が戦場に響いた。
騎士の一人が地面を転がる。
その前に立っていたのは、大柄な男だった。
額には二本の短い角。身体には幾つもの古傷があり、片手には幅広の剣を握っている。
「くっ……!」
倒れた騎士が立ち上がろうとする。
「まだやるか?」
男は楽しそうに笑った。
別の騎士が横から斬りかかる。
「貴様!」
男は片手で剣を受け止めた。
鋭い金属音。
そのまま力任せに押し返す。
「ぐっ!」
騎士の身体が数歩後退した。
「悪くねえ!」
男は一気に距離を詰める。
幅広の剣が横薙ぎに振るわれ、騎士は剣で受け止めたものの、身体ごと弾き飛ばされた。
「次!」
まるで戦いそのものを楽しんでいる。
悠真が顔をしかめた。
「……あいつ、笑ってる」
美咲は男の額を見る。
「角がある……」
「人間なのか?」
「分からん」
剣一郎は短く答えた。
見ているのは角ではない。
足運び。
重心。
剣の握り。
相手との距離を測る視線。
「じゃが、相当戦い慣れておる」
クラウスも男を見ていた。
「……あの男が厄介そうですね」
その時。
「クラウス!」
門前で戦っていた騎士の一人がこちらに気づいた。
「お前たちまで来たのか!」
「状況は!」
「魔物だけなら押し返せる! だが、あの男が強すぎる!」
答えを聞いたクラウスはすぐに剣を抜く。
「フィア! 防壁へ向かう魔物を狙え!」
「了解!」
「ボルグはセレナさんたちを守れ!」
「任せろ!」
ボルグが馬車の前へ出て、大盾を構えた。
「悠真君、美咲さん!」
「はい!」
「無理に前へ出ないでください。衛兵と騎士の援護を!」
「分かりました!」
悠真が剣を抜き、美咲も杖を握る。
その直後だった。
角のある男が、閉ざされた正門へ顔を向けた。
「ちっ」
不満そうに舌打ちする。
「せっかく来たってのに、いつまでそんなもんの中に隠れてんだよ」
男が剣を地面へ突き立てた。
右手を正門へ向ける。
掌の前に赤黒い光が集まり始めた。
「まずい!」
騎士の一人が叫ぶ。
「門から離れろ!」
防壁上でも衛兵たちがざわめく。
男の周囲で魔力が渦を巻き、赤黒い炎へ変わっていく。それは急速に膨れ上がり、やがて人の身体ほどもある巨大な火球となった。
「ほらよ!」
男が腕を突き出す。
火球が正門へ飛んだ。
轟音。
激しい炎と衝撃が門を包み込む。
分厚い木材が軋み、表面が砕けて木片が飛び散った。補強用の金具も大きく歪む。
門の内側から悲鳴が上がった。
「下がれ!」
「門から離れろ!」
それでも、門は耐えていた。
男は目を細める。
「へえ」
口元が吊り上がった。
「思ったより頑丈じゃねえか」
「させるか!」
騎士二人が同時に男へ迫る。
「邪魔すんな」
男が左手を横へ振った。
複数の炎が地面すれすれを走る。
「っ!」
騎士たちが咄嗟に横へ跳ぶ。
炎が地面へ着弾し、土と石を巻き上げて爆発した。
その隙に、男は再び門へ右手を向ける。
「一発で駄目なら――」
今度は先ほど以上の魔力が集まった。
「もう一発だ!」
「止めろ!」
クラウスも走る。
だが、間に数体のゴブリンが割り込んだ。
「どけ!」
一体を斬り倒す。
その間にも火球は膨れ上がっていく。
「吹っ飛べ!」
二発目が放たれた。
正門へ直撃。
爆発音が響き渡る。
木材が裂けた。
太い金具が弾け飛び、門の中央が大きく崩れる。
「門が破られた!」
防壁の上から声が上がる。
「衛兵! 内側で陣形を組め!」
すぐさま門の内側で盾が並べられる。
破壊された隙間へ、魔物たちが一斉に殺到した。
「ギャアアアッ!」
「通すな!」
門の内側から槍が突き出される。
一体のゴブリンが倒れる。
その後ろから別のゴブリン。
さらにウルフ。
防壁上から矢が降り、門へ集中する魔物を次々と射抜いていく。
「今だ!」
クラウスも魔物の背後へ斬り込んだ。
「門へ入れさせるな!」
フィアの矢が飛ぶ。
一体。
二体。
門へ飛び込もうとしたゴブリンが倒れる。
「悠真!」
「分かってる!」
剣一郎の声に、悠真も走り出した。
ウルフが横から飛びかかる。
悠真は慌てて受けるのではなく、一歩横へずれて牙をかわす。
「はっ!」
振り下ろした剣が首筋を捉えた。
「後ろ!」
美咲の声。
悠真が振り向く。
ゴブリンが迫っていた。
「ウインド!」
美咲の杖から風が放たれ、ゴブリンを横へ吹き飛ばす。
「助かった!」
「まだ来るよ!」
美咲はすぐに周囲を見回した。
門前で、一人の騎士が肩を押さえて膝をついている。
「怪我人がいます!」
美咲が駆け寄る。
「ヒール!」
柔らかな光が傷口を包んだ。
「動けますか?」
「ああ……助かった」
「無理しないでください」
「すまない」
剣一郎も刀を抜いていた。
門へ向かう魔物を一体。
さらに一体。
斬る。
必要以上に追わない。
自分の間合いへ入ったものだけを確実に仕留めていく。
その動きを、角のある男が見ていた。
「……ん?」
男の目が細くなる。
だが、すぐに別の騎士が斬りかかってきた。
「余所見をするな!」
「うるせえな!」
男が剣を振るう。
激しい金属音。
騎士が押し返される。
そこへクラウスが踏み込んだ。
「はあっ!」
剣と剣がぶつかる。
「ぐっ……!」
クラウスの身体が大きく後ろへ押された。
一歩。
二歩。
三歩。
靴底が土を削り、ようやく止まる。
「クラウス!」
フィアが叫ぶ。
「大丈夫だ!」
クラウスは剣を構え直した。
両腕が痺れている。
たった一合。
それだけで分かった。
強い。
「へえ」
角のある男が笑った。
「今のを受けて立ってんのか。人間にしちゃ悪くねえ」
「どうも」
クラウスは息を整える。
「一つ聞かせろ」
「あ?」
「お前は何者だ」
男の笑みが僅かに薄れる。
「なぜこの街を襲う、魔物の群れもお前の仕業か?」
「何者、ねえ」
男は周囲を見回した。
防壁の上から自分を見る衛兵。
門の内側で武器を構える者たち。
目の前のクラウス。
「そうか」
額の角へ指をやる。
「人間は俺たちをほとんど見たことがねえんだったな」
「何を言っている」
「覚えとけよ」
男は幅広の剣を肩へ担いだ。
「俺はザイル」
口元が大きく吊り上がる。
「魔王領から来た――魔族だ」
その言葉に、周囲の空気が変わった。
「魔族……?」
誰かが呟く。
「あれが……?」
「魔王領から……」
衛兵たちの間にざわめきが走る。
セレナも言葉を失ってザイルを見ていた。
悠真が剣を握ったまま振り返る。
「魔族って……あいつが?」
「本人がそう言っておる」
剣一郎が答えた。
ザイルは周囲の反応を見て、愉快そうに笑う。
「なんだよ。珍しい動物でも見るような顔しやがって」
「魔族がなぜ人間の街を襲う!」
クラウスが問い詰める。
「だから、別に大層な理由なんかねえよ」
「何?」
「この街を好きに壊していい。好きに殺していい。そう言われた」
クラウスの表情が変わる。
「……誰にだ」
「知らねえ、魔物を操る魔道具もそいつらにもらった」
「魔物を操る魔道具だと?」
ザイルは面倒そうに肩をすくめる。
「理由なんざどうでもいいんだよ。俺は好きに暴れられりゃ、それで満足だ」
「……最低だな」
悠真が吐き捨てる。
「褒めんなよ」
「褒めてねえ!」
ザイルが大声で笑った。
その時だった。
崩れた正門の近くから、幼い声が聞こえた。
「お母さん……!」
門の内側へ逃げ込む途中だったのか、壊れた荷車の陰に小さな子供がうずくまっている。
少し離れたところでは、母親らしき女性が倒れた木材に脚を挟まれていた。
「お願い! その子を!」
女性が叫ぶ。
ザイルも声に気づいた。
「……あ?」
子供が怯えた顔でザイルを見る。
ザイルの進路上だった。
それだけだった。
「邪魔だな」
幅広の剣が持ち上がる。
「やめろ!」
悠真が叫ぶ。
だが、間に魔物がいる。
クラウスもすぐには動けない。
ザイルの剣が振り下ろされた。
鋭い金属音。
「!?」
ザイルの目が見開かれる。
剣が途中で止まっていた。
目の前に、一人の老人が立っている。
剣一郎だった。
刀で、ザイルの一撃を受け止めている。
「何の真似だ、ジジィ……」
「子供に向ける刃ではないの」
「目障りだな、消えろ!」
「断る」
ザイルが腕へ力を込めた。
凄まじい圧力が刀へかかる。
剣一郎の足元の土が、僅かに沈んだ。
「へえ」
ザイルの目に興味が宿る。
「受け止めんのか」
「この程度ならな」
一瞬。
ザイルの笑みが消えた。
すぐに別の笑みが浮かぶ。
「……言うじゃねえか」
剣一郎は刀を僅かに滑らせ、ザイルの剣を外へ流した。
「悠真!」
「はい!」
「その子を頼む」
「分かった!」
悠真が魔物の隙を抜け、子供を抱き上げる。
ザイルは追わなかった。
もう子供には興味がない。
目の前の老人を見ている。
「名前は?」
「神崎剣一郎」
「カンザキ……ケンイチロウ」
ザイルは確かめるように繰り返した。
「俺はザイルだ」
「先ほど聞いたの」
「爺さん」
ザイルが剣を構える。
「お前、俺より強えのか?」
剣一郎も静かに刀を構えた。
「それは」
一歩。
前へ出る。
「やってみれば分かるじゃろう」
ザイルの口元が大きく吊り上がる。
「ははっ……!」
全身から魔力が噴き上がった。
「いいねえ! そういうのを待ってたんだよ!」
剣一郎は目の前の男を静かに見据える。
「――神崎剣一郎、推して参る」




