第三十七話 おじいちゃん街へ行く
ハルト村を襲った魔物たちが討伐されてから、村には少しずつ日常が戻り始めていた。
壊れた家々が完全に元通りになったわけではない。森の警戒も続いており、村の周囲には騎士や受命士の姿が見える。それでも、朝になれば畑へ向かう者がいて、広場では子供たちの声が聞こえるようになっていた。
「よいしょっと!」
悠真が木材を肩から下ろす。
「そこじゃ。もう少し右へ寄せろ」
「ここらへん?」
「もっと右じゃ」
「あれ?」
「悠真君、相変わらず不器用だね」
美咲に指摘され、悠真は苦笑しながら木材を抱え直した。
「異世界に来ても不器用とは思わなかった……」
「異世界は関係ないと思うよ」
少し離れたところで剣一郎が柱の傾きを確認していた。
「話しておらんで手を動かせ」
「はーい」
「返事だけはよいの」
そんなやり取りをしながら、三人はこの日も村の復旧を手伝っていた。
数日前までは、村中に緊張した空気が漂っていた。しかし周辺の巡回でも大きな魔物の群れは確認されておらず、村人たちの表情にも少しずつ余裕が戻ってきている。
もっとも、東側から流れてきた魔物の痕跡については、まだ調査が続いていた。
クラウスたちは何度か森へ入り、その移動経路を調べていたが、今のところ明確な原因は分かっていない。小型の魔物が東から西へ移動した痕跡はいくつか見つかっているものの、それが一つの原因によるものなのか、それとも偶然重なっただけなのかも判断できない状態だった。
「神崎さん」
声をかけられ、剣一郎が振り返る。
「む?」
そこに立っていたのはセレナだった。
いつもの穏やかな表情を浮かべているが、今日は村で支援活動をする時とは少し違う格好をしている。荷物をまとめた小さな鞄を持ち、旅支度を整えていた。
「どこかへ行くのか?」
「はい。そろそろ街の教会へ戻ろうと思っています」
「もうよいのか?」
剣一郎が村を見渡す。
「まだ手は必要であろう」
「もちろん、支援そのものは続きますよ」
セレナが微笑む。
「私たち全員が引き上げるわけではありません。何人かはこのまま村に残ります。ただ、教会の方にも仕事がありますし、こちらで必要な物資も追加で手配しなければなりませんから」
「なるほど」
美咲も近くへやってきた。
「セレナさんが戻る教会って、どこにあるんですか?」
「ここから街道を進んだ先にあるベルクスという街です。歩けば一日ほどでしょうか。途中で休憩しながらなら、もう少しかかるかもしれません」
「結構遠いんですね」
「ハルト村は王都からも街からも少し離れていますから」
そこへ悠真も顔を出す。
「一人で戻るんですか?」
「まさか」
セレナは小さく笑った。
「この辺りはまだ魔物の動きが落ち着いていませんから、受命ギルドを通して護衛をお願いするつもりです」
「護衛?」
「はい。ちょうどクラウスさんたちが村にいらっしゃるので、お願いできないか相談しているところです」
その名前を聞き、悠真が少し驚いた顔をする。
「クラウスさんたちが?」
◇
「俺たちとしては問題ありません」
少し後、村の広場ではクラウス、フィア、ボルグがセレナと話をしていた。
「村の周辺調査も一区切りついていますし、東側の痕跡については騎士団へ報告済みです。今後は騎士団側でも調べるそうです」
「では、お願いできますか?」
「正式に受命ギルドを通した依頼なら」
「もちろんです。事後承諾になりますが、街へ戻ったら教会から手続きをします」
クラウスは頷いた。
「人数は?」
「私を含めて三人です」
「荷物は?」
「馬車一台です。支援に使った道具と、空になった薬箱などを持ち帰ります」
「なら問題ないでしょう」
フィアが横から口を挟む。
「最近この辺りで魔物の動きが変なのは気になるけど、街道そのものは昨日見た限りじゃ荒れてなかったしね」
「油断はできんけどな」
ボルグが腕を組む。
「まあ、馬車一台なら守りやすい」
剣一郎たちは少し離れたところでその会話を聞いていた。
「街かあ」
悠真が呟く。
「どうした?」
美咲が尋ねる。
「いや、考えてみたら俺たち、この世界に来てから王都とハルト村くらいしか見てないなと思って」
「確かに」
美咲も頷いた。
王都では訓練や受命ギルドの仕事を経験し、ハルト村では魔物の襲撃と復旧を目の当たりにした。それでも、この世界のことを知っているかと問われれば、ほんの一部に過ぎない。
悠真が剣一郎を見る。
「おじいちゃん」
「何じゃ」
「俺たちも街まで行ってみない?」
「街へ?」
「うん。この世界のことをもっと知っておきたい」
剣一郎はすぐには答えず、悠真の顔を見る。
「遊びに行きたいわけではないのじゃな?」
「それも少しくらいはあるけど」
「あるのか」
「でも、本当に見てみたいんだよ。王都じゃない他の街がどんな感じなのか」
美咲も続ける。
「私も行ってみたいです。教会のことも、もう少し知りたいですし」
セレナたちと一緒に村人を助ける中で、美咲はこの世界における教会の役割を少しずつ知り始めていた。祈りを捧げるだけではなく、孤児の世話や病人への支援、災害時の救援まで行っている。
「ふむ」
剣一郎は腕を組んだ。
「知らぬ土地を自分の目で見ることは悪くない」
「じゃあ」
「ただし、わしらだけで決めるわけにはいかんじゃろう」
悠真の表情が少し萎む。
「あ、そっか」
「王城に戻る予定もあるからの。勝手に寄り道をして、ガレス殿に怒られても知らんぞ」
「それはちょっと嫌だな……」
これまで何度も訓練を受けてきた騎士団長の顔を思い浮かべたのか、悠真の声が少し小さくなる。
そこへダリオがやってきた。
「街へ行くんですか?」
「まだ決まっておらんがな」
「セレナさんの戻る街なら、私も何度か行ったことがありますよ」
「どんなところ?」
悠真が尋ねる。
「王都よりは小さいですが、この辺りじゃ大きな街です。周辺の村から農作物が集まりますし、商人も多い。宿も市場もあります」
「へえ」
「受命ギルドの支部もありますよ」
「また仕事する?」
美咲が笑う。
悠真が首を振った。
「今度は観光したい」
「わしは働いてもよいぞ」
「おじいちゃん、旅行先でも働くタイプなんだ……」
「身体が動くのに何もせず飯だけ食う方が落ち着かん」
ダリオが苦笑する。
「神崎さんらしいですね」
その会話を聞いていたクラウスが近づいてきた。
「街まで同行するつもりですか?」
「許可が出ればな」
「俺たちは構いません。むしろ、神崎さんたちがいるなら護衛としては助かります」
「依頼人をわしらに守らせるつもりではなかろうな?」
「まさか」
クラウスも笑う。
「仕事は俺たちがします。ただ、何かあった時に戦える人間が多いのは悪いことじゃありません」
「そこは同感じゃ」
フィアもやってくる。
「ただし、森に変なものを見つけても勝手に追いかけないこと」
「それは悠真に言ってくれ」
「なんで俺だけ?」
「一番やりそうだから」
「否定しきれない……」
美咲が小さく笑った。
◇
その日の午後、村に残っていた騎士を通して王都へ確認が取られた。
結果は、条件付きで許可。
街までの移動はクラウスたちの護衛依頼に同行し、現地で長期間滞在せず、数日以内に王都へ戻ること。さらに、危険があると判断した場合には無理をせず撤退すること。
「やっぱり条件ついたね」
悠真が言う。
「当然じゃ」
「おじいちゃんは全然気にしてないよね」
「遊びに行くわけではないからの」
剣一郎は荷物を確認する。
必要最低限の着替えと旅用品。それに愛用の刀。悠真も剣を持ち、美咲は杖を用意していた。
翌日の出発に備え、村人たちもセレナたちの荷物を馬車へ積み込む。
「また来てね!」
リナが美咲の服を掴んだ。
「もちろん」
「今度は遊ぼうね!」
「うん。約束」
その隣では、レオが悠真を見上げていた。
「街で何か面白いものあったら教えてください」
「任せとけ」
マリエルが笑いながら子供たちの肩へ手を置いた。
「気をつけて行ってきてください」
「お主も無理はするな」
剣一郎が答える。
「薬は?」
「ちゃんと飲んでいます」
「ならよい」
ダリオは街へ戻る一行を見ながら、少し名残惜しそうな顔をしていた。
「本当なら私も一緒に行きたいところですが、今は家族と村にいます」
「それがよかろう」
「ええ」
ダリオは頷いた。
「街道については、さっき話した通りです。途中に古い分かれ道がありますが、馬車なら南側の道を進めば迷いません」
「覚えておこう」
◇
出発は翌朝だった。
村の門を出た一行は、ゆっくりと街道を進んでいく。
先頭にはクラウスとフィア。その少し後ろを馬車が進み、セレナたち教会の者が乗っている。ボルグは馬車の横を歩き、剣一郎たちはその後方についた。
街道の両側には畑が広がり、その先には低い森が続いている。
「王都の外って、こういうところが多いんですか?」
美咲がセレナへ尋ねた。
「地域によりますね。もっと山が多いところもありますし、南へ行けば大きな川沿いに街がいくつもあります」
「海は?」
悠真が聞く。
「もちろんありますよ。ただ、ここからはかなり遠いです」
「いつか行ってみたいな」
「まずは目の前の街じゃ」
剣一郎が言う。
「いきなり世界中を見るつもりか」
「だって異世界だよ? 見たいじゃん」
「気持ちは分からんでもない」
「おじいちゃんも?」
「わしとて、知らぬものを見るのは嫌いではない」
「意外」
「何がじゃ」
そんな会話をしながら、一行は進んでいく。
空は晴れていた。
風も穏やかで、街道を行き交う者も少ない。
少なくとも、今のところは何事もない。
「今日はこのまま進めば、夕方前には中継の休憩所へ着けそうですね」
クラウスが言った。
「そこで少し休んで、明日の昼前には街へ入れるでしょう」
「分かりました」
セレナが頷く。
その時だった。
先頭を歩いていたフィアが、突然片手を上げた。
「止まって」
全員の足が止まる。
フィアは街道の脇へしゃがみ込み、地面を見ていた。
「どうした?」
クラウスが近づく。
「……足跡」
「魔物か?」
「うん」
フィアは土に残った痕跡を指でなぞる。
「ゴブリン。ウルフもいる」
悠真の表情が変わった。
「また?」
「でも……」
フィアは立ち上がり、街道の先へ目を向けた。
「数が多い」
クラウスの顔から、先ほどまでの穏やかさが消えた。
「どっちへ向かっている?」
「街の方」
短い答えだった。
剣一郎も地面へ視線を落とす。
いくつもの足跡が、同じ方向へ続いている。
それは一匹や二匹のものではない。
フィアが言う。
「かなり新しい」
セレナが馬車から身を乗り出した。
「この先には……私たちの街しかありません」
誰も答えなかった。
街道の先には、静かな森が続いている。
剣一郎はその奥をしばらく見つめたあと、ゆっくりと刀の位置を確かめた。




