↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
37/47

第三十六話 魔王と叛逆者

 時間は、ハルト村が魔物の群れに襲われるよりも前へ遡る。


 人間たちが魔王領についてほとんど何も知らず、魔王という存在そのものを恐れていた頃。その魔王領では、一人の男が追われる身となっていた。


 男の名は、ザイル。


 魔族の中でもかなりの腕を持つ戦士でありながら、その力を己の欲望のために使い続けてきた男だった。


 ◇


「封印そのものに大きな異常はないのじゃ。じゃが……やはり以前よりマナの流れが乱れておる気がするのう」


 レオノーラは山道を歩きながら、小さく首を傾げた。見た目だけなら小柄な少女だが、その真紅の髪と瞳を持つ彼女こそ、現在の魔王である。


 魔王領のさらに奥には、古くから立ち入りを厳しく制限されている場所があった。レオノーラは定期的にそこを訪れ、封印の状態を自ら確かめている。今日も数名の護衛を伴って巡回を終え、魔王城へ戻る途中だった。


「魔王様。念のため次回は魔導士も同行させますか?」


「そうじゃな。それがよいかもしれぬ。ただ、今すぐ何か起こるような状態ではないのじゃ。あまり大騒ぎをして皆を不安にさせる必要も――」


 レオノーラの言葉が途中で止まった。


 先頭を歩いていた護衛の一人が、突然横へ吹き飛ばされたからだ。


「ぐあっ!」


「敵襲!」


 声が響くより早く、木々の間から大柄な男が飛び出した。二本の短い角を持ち、身体のあちこちに古傷を刻んだ魔族の男。その手には幅広の剣が握られている。


「――死ね、レオノーラ!」


 ザイルの剣が少女の首を狙った。


「な、何をするのじゃ!?」


 レオノーラの眼前に魔力の壁が生まれ、刃を受け止める。鈍い衝撃音とともに魔力の膜が揺れ、ザイルは舌打ちして大きく後ろへ跳んだ。


「ちっ。今ので終わらせるつもりだったんだがな」


「ザイル……!?」


 護衛の一人が驚愕の声を上げた。


「貴様、何をしている!」


「見りゃ分かんだろ。魔王殺しだよ」


 ザイルは悪びれる様子もなく笑った。


 彼は魔王領でも知られた戦士だった。辺境の魔物討伐にも幾度となく参加し、その戦闘力だけなら並の兵士が数人束になっても敵わない。それほどの腕を持ちながら、金になるなら密輸も強盗も厭わず、邪魔をする者には平然と暴力を振るう男でもあった。


 やがて禁制品の取引を見咎めた兵を殺し、追われる身となった。魔王領に居場所はなくなり、捕まれば重罪人として裁かれる。


 そこでザイルが考えたのが、魔王を殺すことだった。


「お主が何をしたかは聞いておるのじゃ。密輸だけではない。捕らえようとした兵まで殺したそうではないか!」


「だから何だ?」


「だから何だ、ではないのじゃ!」


 レオノーラが怒鳴る。


 ザイルは肩をすくめた。


「俺は牢に入る気なんざねえんだよ。だが、このままじゃどこへ逃げても追っ手が来る」


「それと、わらわを襲うことに何の関係があるのじゃ!」


「てめえが死ねば国中ひっくり返るだろ?」


 ザイルの口元が吊り上がる。


「魔王が殺されたとなりゃ、俺一人を追い回してる場合じゃなくなる。その隙に消えりゃいい」


「……そのためだけに、わらわを殺そうというのか?」


「十分な理由だろ」


 レオノーラが呆れたように目を見開く。


「お主、本当にどうしようもないのじゃ……」


「褒め言葉として受け取っとくぜ」


 ザイルが地面を蹴った。身体を覆う魔力が一気に膨れ上がり、その姿が視界から消えたかと思うほどの速度で護衛たちへ迫る。


 一人が剣を構える。しかしザイルは真正面から打ち合わず、身体を沈めて刃をかわすと、脇腹へ蹴りを叩き込んだ。鎧を着た男の身体が浮き、木の幹へ激突する。


「一人!」


「囲め!」


 左右から二人が同時に斬りかかった。


 ザイルは片方の剣を自らの刃で弾き、その勢いを利用して身体を回転させる。もう一人の手首を蹴り上げ、武器を落とさせると、そのまま柄頭を顔面へ叩き込んだ。


 数度の攻防で、護衛たちが次々と退けられていく。


「ははっ!弱えな!」


「下がるのじゃ!」


 レオノーラが護衛たちの前へ出た。


「魔王様!」


「こやつの狙いはわらわじゃ。無理に近づくでない!」


「ようやくやる気になったか?」


 ザイルは嬉しそうに笑う。


「見た目がガキだからよ。大したことねえんじゃねえかと思ってたんだ」


「……お主、後悔するぞ」


「やってみろよ!」


 ザイルが再び踏み込む。


 横薙ぎの一撃をレオノーラが魔力の障壁で受け止める。すぐさまザイルは剣を引き、空いた左手を向けた。


「燃えろ!」


 炎が至近距離で炸裂した。


 護衛たちが思わず目を覆う。


「魔王様!」


「はっ!」


 ザイルが笑った。


「その程度かよ!」


 しかし炎が消えると、その笑みも消えた。


 レオノーラは同じ場所に立っていた。服の裾すら焦げていない。


「……何だと?」


「もう……」


 レオノーラが俯く。


「本当に怒ったのじゃ」


 空気が変わった。


 森の木々が風もないのにざわめき、周囲のマナが少女を中心に渦を巻く。目に見えるほど濃密な魔力がレオノーラの身体を覆い、ザイルの顔から余裕が消えていった。


「なんだ……この魔力……」


「安心せよ、お主を殺すつもりはない」


 レオノーラが右手を上げる。


「捕らえて、犯した罪をきちんと裁かせるのじゃ」


「ふざけるな!」


 ザイルが吠えた。


 再び全身へ魔力を巡らせ、今度は左右の木々へ炎を放つ。爆ぜた火と煙で視界を塞ぎ、その陰から一気に回り込んだ。


 ただ力が強いだけではない。長い実戦経験の中で、相手の視界を奪い、死角を作り、一瞬の隙を狙う術を身につけている。


「もらった!」


 背後から剣が振り下ろされた。


「甘いのじゃ!」


 レオノーラが振り向きざまに腕を払う。


 轟音とともに衝撃が炸裂した。


「がっ――!」


 ザイルの身体が吹き飛び、地面を何度も転がった。太い木へ背中から叩きつけられ、それでも剣を杖代わりにして立ち上がる。


「まだだ……!」


「まだ立つのか?」


「舐めんなよ……!」


 口元から血を流しながら、ザイルは笑った。


「俺は、そこらの雑魚とは違うんだよ!」


 限界を超える勢いで身体強化を高める。腕の血管が浮き上がり、皮膚の一部が裂けるほど魔力を無理やり全身へ流し込んだ。


「うおおおっ!」


 地面が抉れる。


 今までで最も速い踏み込みだった。


 ザイルは全身の力を乗せて剣を振り下ろす。護衛の誰も割り込めないほどの速度と威力だった。


 だが、その剣はレオノーラの目前で止まった。


「……嘘だろ」


 レオノーラの小さな手が、魔力越しに剣身を受け止めている。


「お主が強いのは認めるのじゃ」


「くっ……!」


「じゃが」


 真紅の瞳がザイルを見据えた。


「わらわを殺すには、全然足りぬ」


 次の瞬間、ザイルの身体が地面へ叩きつけられた。


「がはっ!」


 肺から空気が抜け、剣が手を離れる。


 右腕は動かず、肋骨にも何本かひびが入った感覚がある。それでもザイルは地面へ手をつき、立ち上がろうとした。


「捕らえるのじゃ!」


 レオノーラが護衛たちへ命じる。


「はっ!」


 護衛たちが慎重に近づく。


 ザイルは荒い息を吐きながら周囲を見た。


 勝てない。


 それだけは理解した。


「……くそったれ」


 ザイルの手が腰へ伸びる。


「気をつけるのじゃ!」


 地面へ小さな球体が叩きつけられた。


 直後、濃い黒煙が一気に広がった。


「煙幕だ!」


「逃がすな!」


 ザイルは煙の中を走った。


 まともに動かない身体へ無理やり魔力を流し込み、事前に確認していた山道を外れる。ここを襲撃場所に選んだのも、護衛が少ないという理由だけではない。


 逃げ道があることを知っていたからだ。


「ザイル!」


 背後からレオノーラの声が響く。


 木々を抜ける。


 その先には深い谷があった。


 濁った川が遥か下を流れている。


「止まるのじゃ! その傷で飛べば死ぬぞ!」


 レオノーラの声に、ザイルが振り返った。


「捕まるよりマシだ!」


 笑う。


 そして、そのまま崖から身を投げた。


「ザイル!」


 レオノーラが崖際へ駆け寄る。


 遥か下で水柱が上がった。


 すぐに姿は見えなくなる。


「……馬鹿者が」


 レオノーラは険しい表情で川を見下ろした。


「捜すのじゃ。生きておるかもしれぬ」


「はっ!」


「それと、負傷者を先に治療せよ。無理に追って怪我人を増やしてはならぬのじゃ」


 護衛たちが頷き、それぞれ動き始める。


 レオノーラはもう一度だけ濁流へ目を向けた。


「本当に……面倒な奴なのじゃ」


 ◇


 ザイルが次に意識を取り戻した時、冷たい雨が顔を打っていた。


「……ぐ……」


 川からどうやって這い上がったのか、ほとんど覚えていない。気がつけば見知らぬ森の中におり、全身が鉛のように重かった。


 左脚はまともに動かず、脇腹には深い傷がある。魔王との戦いで受けた傷に加え、崖から川へ落ちたことで身体のあちこちを痛めていた。川に流される間に魔王領の境を越えたのか、周囲の景色にも見覚えがない。


「……あのガキ……」


 木の幹へ手をつく。


「化け物じゃねえか……」


 口元から血がこぼれた。


 悔しい。


 腹が立つ。


 だが、それ以上に死にたくなかった。


「こんなところで……終われるかよ……」


 一歩進む。


 さらに一歩。


 やがて脚が完全に動かなくなり、泥の中へ倒れ込んだ。


「……くそ……」


 雨音だけが聞こえる。


 意識が遠のきかけた、その時だった。


「まだ生きています」


 声がした。


 ザイルが薄く目を開く。


 雨の向こうに、数人の人影が立っていた。


 全員が暗い外套をまとい、深く被ったフードで顔を隠している。衣服にも装備にも、これといった特徴はない。


「魔族ですね」


「かなり酷い傷だ」


「……てめえら……」


 ザイルは剣へ手を伸ばそうとした。


 だが、指すら満足に動かない。


「触るな……殺すぞ……」


「その状態では無理でしょう」


 男の声には嘲りも恐怖もなかった。


「治療します」


「……何?」


「死にたいのなら止めません」


 ザイルは男を睨む。


「何が……目的だ……」


「今は、生き延びることだけ考えればいい」


「てめえら……何者だ……」


 返事はなかった。


 ザイルの意識は、そこで再び暗闇へ沈んだ。


 ◇


 次に目覚めた時、ザイルは小さな石造りの部屋に横たわっていた。


 全身には包帯が巻かれ、脇腹の傷も塞がり始めている。枕元には水と食事があり、着替えまで用意されていた。


「……随分と親切じゃねえか」


「目を覚ましたか」


 部屋の隅に、あの外套姿の男が座っていた。


「ここはどこだ?」


「知らなくていい」


「てめえらは何者だ?」


「それも知らなくていい」


 ザイルの目が細くなる。


「気に入らねえな」


「それで構わない。我々も、お前に好かれたいわけではない」


「なら、何で助けた?」


 男が僅かに身体を前へ傾ける。


「魔王領との境界を生きて越えて来たお前に興味がある」


「……俺を知ってるのか?」


「大方あちらで犯罪でもして、こちら側に逃げて来たのだろう」


「俺を売るつもりなら、殺すぞ」


「そんなことはしない」


 男は動じなかった。


「その代わり、傷が治った後に一つ仕事を頼む」


「仕事?」


「ああ」


 ザイルはしばらく男を睨んだ。


「報酬は?」


「人族の地で身を隠せる場所を用意する。食料も、必要な物資もこちらで手配しよう」


 ザイルの表情が僅かに変わる。


 魔王領の貨幣なら多少持っていたが、逃走の途中でほとんど失っていた。そもそもこちらで魔族の自分が堂々と店へ入り、物を買えるとも思えない。


「追手が来ても?」


「簡単には見つからない場所だ」


「酒も出るんだろうな」


「お前が望むなら。我々の酒が口に合うかは知らないがな」


 ザイルが笑う。


「話くらいは聞いてやる」


「それで十分だ」


 ◇


 さらに数日が過ぎた。


 どうにか戦える程度まで回復したザイルは、外套の男に連れられ、森の奥へ来ていた。


「……何だ、こいつら」


 木々の間には何体もの魔物がいた。


 ゴブリン。


 ウルフ。


 さらに別種の小型魔物。


 奥にはそれらより大きな影までいる。


 本来なら異なる種類の魔物がこれほど近くに集まっていれば、争いが起きてもおかしくない。だが、どの魔物も互いに襲いかかる様子を見せず、不自然なほど同じ場所に留まっていた。


 外套の男が、小さな黒い魔道具を差し出す。


「これを持て」


「何だ?」


「魔物をある程度誘導できる道具だ」


 ザイルが眉を上げる。


「俺に魔物使いでもやれってのか?」


「完全に命令を聞かせることはできない。だが、持ち主を群れの中心として認識させ、進む方向くらいなら誘導できる」


 ザイルが受け取る。


 近くにいたウルフがザイルへ顔を向け、低く唸った。


 だが、襲ってはこない。


「……へえ」


 ザイルの口元が歪む。


「面白えな。それで、こいつらを使って何をしろって?」


「人間の街を一つ襲え」


 男は淡々と告げた。


 ザイルが黙る。


「……街を?」


「ああ」


「なんでそこなんだ?」


「お前が知る必要はない」


 数秒の沈黙。


 ザイルは肩をすくめた。


「まあ、どうでもいいか」


 周囲の魔物を見回す。


「好きにやっていいんだな?」


「構わない」


「壊しても?」


「ああ」


「奪っても?」


「好きにしろ」


「殺しても?」


 男は一瞬も迷わなかった。


「好きにしろ」


 ザイルはそこで、心底楽しそうに笑った。


「ははっ……最高じゃねえか」


 なぜその街を襲うのか。


 なぜ魔族である自分にやらせるのか。


 なぜ魔物を率いる必要があるのか。


 そんなことはどうでもよかった。


 暴れられる。


 奪える。


 抵抗する者を好きなだけ叩き潰せる。


 そして終われば、追手から身を隠せる場所まで手に入る。


「街の場所は?」


 男が地図を広げ、指を置いた。


「ここだ」


 そこには、ハルト村から街道を進んだ先にある一つの街が示されていた。


「分かった」


 ザイルは地図を受け取る。


「派手にやってやるよ」


「好きにしろ」


「終わったら、約束は守れよ。寝床と酒、それに追手の来ねえ場所だ」


「用意しておく」


「なら文句はねえ」


 ザイルは黒い魔道具を握り、魔物たちの間へ歩いていく。


「久しぶりに、楽しめそうだ」


 やがてザイルと魔物の群れが森の奥へ消えると、別の外套姿が木陰から現れた。


「本当に、あの男を使うのですか」


「ああ」


「制御できるとは思えません」


「制御する必要はない」


 最初の男は、ザイルが消えた方角を見たまま答えた。


「あれは、好きなだけ暴れればいい」


 それ以上の会話はなかった。


 二人の外套には最後まで何の紋章もなく、やがて彼らも森の奥へ消えていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。