第三十四話 おじいちゃん再びハルト村へ
「帰れるの!?」
リナの弾んだ声が、王城の一室に響いた。
ハルト村周辺の安全がひとまず確認され、街道の通行制限も緩和された。北の森では引き続き警戒が続いているものの、村へ戻ること自体に問題はない――ガレスからそう伝えられた直後だった。
「ああ。ただし、父さんのそばを離れるなよ」
ダリオが念を押すと、リナは勢いよく頷いた。その隣ではレオも嬉しそうにしているが、妹ほど騒がず、ほっと息を吐いている。
「母さん、元気になってるかな」
「薬は効いていると報告が来ている。きっと大丈夫だ」
そう答えるダリオ自身が、誰より落ち着かない様子だった。
剣一郎はそんな親子をしばらく眺めてから、ガレスへ顔を向けた。
「ならば、わしらも一緒に行こう」
「神崎殿たちもですか?」
「ここまで関わったのじゃ。マリエルさんの様子も見ておきたい」
「僕も行くよ」
悠真がすぐに続く。
「私もです。病気の具合も気になりますから」
美咲も頷いた。
ガレスは少し考えたあと、了承した。
「分かりました。ただし、村の周囲では今も警戒が続いています。森へ勝手に入ることだけは避けてください」
「分かっておる」
「神崎殿の場合、その返事だけでは少し不安なのですが」
「信用がないの」
「必要があれば迷わず入られるでしょう」
「必要ならばな」
やはり、と言いたげにガレスが小さく息を吐き、悠真が横で笑った。
◇
王都を出た一行は、騎士数名の護衛を伴ってハルト村へ向かった。
以前は救援のため急いだ街道も、今日はずいぶん穏やかに見えた。荷車にはダリオが王都で買い付けた品の一部も積まれており、レオとリナはその隣に並んで座っている。
「母さん、びっくりするかな」
リナが尋ねる。
「お前たちを見れば喜ぶさ」
「父さんを見ても?」
「……たぶんな」
「たぶんなの?」
レオが笑う。
ダリオも困ったように笑い返した。
道中では大きな問題も起こらなかった。街道沿いでは何度か騎士の巡回隊とすれ違い、ハルト村周辺の警戒がまだ続いていることが分かる。
やがて見覚えのある村が見えてきた。
以前訪れた時には、煙と悲鳴に包まれていた場所。
今は違う。
壊れた柵は新しい木材で少しずつ補修され、焼けた家の周囲では村人や騎士たちが瓦礫を片付けている。完全に元通りには程遠いものの、村には再び人々の声が戻っていた。
「帰ってきた……」
レオが小さく呟く。
その隣でリナが身を乗り出した。
「あっ!」
村の入口近く。
一人の女性がこちらへ歩いてくる。
「お母さん!」
リナが叫んだ。
「リナ!」
マリエルもすぐに気付いた。
荷車が止まるより早く飛び降りそうになったリナを、ダリオが慌てて止める。
「待て。止まってからだ」
「でも!」
「転んだら母さんに叱られるぞ」
荷車が止まった瞬間、今度こそリナとレオが駆け出した。
「母さん!」
「お母さん!」
マリエルは二人をまとめて抱き締めた。
「二人とも……!」
その声は震えていた。
「よかった……本当に……」
何度も髪を撫で、顔を確かめる。二人も母親へしがみつき、しばらく離れようとしなかった。
やがてマリエルが顔を上げる。
その視線の先にはダリオがいた。
二人はしばらく黙って見つめ合う。
「……ただいま」
ダリオが先に言った。
マリエルはゆっくり立ち上がり、その前まで歩いていく。
「遅いわよ」
「悪かった」
「本当に……遅いんだから」
マリエルはそう言いながら、ダリオの胸を軽く叩いた。
次の瞬間には、そのまま額を押しつける。
ダリオは何も言わず、妻の背中へ腕を回した。
レオとリナも再び両親のそばへ寄っていく。
剣一郎たちは少し離れた場所から、その光景を静かに見守っていた。
「よかったね」
美咲が小さく呟く。
「ああ」
悠真も頷いた。
剣一郎は何も言わなかったが、その表情は少しだけ柔らかかった。
◇
再会が落ち着いた後、マリエルは剣一郎たちへ改めて頭を下げた。
「子供たちを守っていただいて、本当にありがとうございました」
「もうダリオからも十分に礼は聞いた」
「それでも、お礼を言わせてください」
「ふむ、そうか」
剣一郎が困ったように頭を掻くと、ダリオが苦笑する。
美咲はマリエルの顔色を確認した。
「体調はどうですか?」
「薬を飲み始めてから、かなり楽になりました。まだ少し身体は重いですけど」
「無理しないでくださいね」
「はい」
美咲は回復魔法を使おうとはしなかった。病気そのものは治療魔法で簡単に治せるものではないことを、すでに知っているからだ。
その代わり、休息と薬を続けるよう念を押す。
マリエルも素直に頷いた。
◇
村を歩いていると、以前とは違う顔ぶれが何人かいることに気付いた。
村の外周では、騎士とは装備の異なる男女が地面や柵の周囲を確認している。三人組で、その動きには無駄がない。
一人は三十代半ばほどの男で、剣を腰に差している。派手さはないが、立ち姿には隙が少ない。少し離れたところでは弓を背負った女性が地面にしゃがみ込み、何かの足跡を調べていた。もう一人の大柄な男は村人と一緒に壊れた柵を持ち上げている。
「騎士じゃないよね」
悠真が言う。
「あれは受命士の方ですね」
ダリオが答えた。
「かなり腕の立つ人たちだそうですよ」
「知ってるんですか?」
「顔と名前くらいは」
ちょうどその時、剣を差した男がこちらへ気付き、歩いてきた。
「王都から戻ってきた方々ですか?」
「そうです」
ダリオが答える。
「私はクラウス。受命ギルドから村周辺の警戒と森の調査を受けています」
男は簡潔に名乗った。
続いて弓を持つ女性も近づいてくる。
「フィアです。北側を見てきましたが、今のところ新しい魔物の痕跡はありません」
最後に大柄な男も手を上げる。
「ボルグだ。柵直しも依頼のうちだ」
「それも仕事なんだ」
悠真が少し驚く。
クラウスが僅かに笑った。
「村を守るなら、魔物を倒すだけが仕事じゃない」
その言葉に、剣一郎は小さく頷いた。
「よい考えじゃ」
クラウスも剣一郎の腰の剣へ一瞬だけ視線を向けたが、それ以上は何も聞かなかった。
「周辺はひとまず落ち着いています。ただ、北の森はまだ確認中です。村の人にも、しばらく一人では入らないよう伝えています」
「分かった」
剣一郎は素直に答えた。
悠真が小声で美咲へ言う。
「ちゃんとした受命士って、やっぱり雰囲気違うね」
「この前の人たちと比べちゃ駄目だよ」
「それもそうか」
フィアが二人の会話を聞いたのか、少しだけ笑っていた。
◇
さらに村の中央へ進むと、大きな鍋の周囲に人だかりができていた。
白を基調とした衣服を着た者たちが、村人へ温かいスープやパンを配っている。別の場所では、家を失った者へ毛布を渡し、幼い子供の相手をしている者もいた。
「あの人たちは?」
悠真が尋ねる。
「光輪教団の方々です」
マリエルが答えた。
「襲撃の後、食料や薬を持って来てくださったの。家を失った人たちのためにも色々手伝ってくれているわ」
「教団の人たち……」
美咲が広場を見る。
白い衣を着た若い女性が、大鍋からスープを木椀へ注いでいた。
「こちら、まだありますよ。遠慮なさらないでください」
年老いた村人へ笑顔で椀を渡し、今度は泣いている子供へしゃがんで話しかける。
特別なことをしているようには見えない。
ただ、困っている人々を助けている。
女性は剣一郎たちに気付くと、こちらへ歩いてきた。
「王都からいらした方々でしょうか?」
「そうじゃ」
「私は光輪教団のシスターでセレナと申します」
女性は穏やかに頭を下げた。
「移動でお疲れではありませんか? よろしければ皆さんもどうぞ。まだ十分にありますから」
悠真が大鍋を見る。
ちょうどその時。
ぐう。
小さく腹が鳴った。
美咲が悠真を見る。
「……今の聞こえた?」
「聞こえた」
「朝食食べたよね?」
「食べたけど、もう昼だし」
「お前は本当に食うことばかりじゃな」
剣一郎が呆れる。
セレナは口元に手を当てて笑った。
「元気な証拠です。どうぞ召し上がってください」
「……いただきます」
悠真が素直に椀を受け取る。
その横でレオとリナも嬉しそうに列へ並び、ダリオとマリエルも顔を見合わせて笑った。
壊れた家も、焼けた柵も、まだ村のあちこちに残っている。
それでも、人々は少しずつ日常を取り戻そうとしていた。
剣一郎は湯気の立つ大鍋と、その周りに集まる村人たちを眺めながら、差し出された木椀を受け取った。
「ありがたく頂こう」
温かなスープの匂いが、復旧途中の村の広場へゆっくりと広がっていた。




