第三十三話 おじいちゃん行商人のお話を聞く
翌朝、剣一郎が日課の千回の素振りを終えて王城へ戻ると、食堂にはすでに悠真と美咲の姿があった。その少し離れた席には、昨夜から王城に滞在することになったダリオと、レオ、リナの三人も座っている。
久しぶりに父親と一緒に朝を迎えられたことが嬉しいのだろう。リナは食事をしながら何度もダリオへ話しかけ、レオも普段より口数が多かった。
「それでね、王城のお部屋、すっごく広いの!」
「そうかそうか」
「ベッドもふかふかなの!」
「よかったな」
「でも、お母さんのところにも早く帰りたい」
リナの言葉に、ダリオは優しく頭を撫でた。
「ああ。父さんも同じだ。村が安全になったら一緒に帰ろう」
「うん!」
剣一郎はその様子を眺めてから、悠真たちのいる席へ腰を下ろした。
「おじいちゃん、おはよう。今日も千回?」
「当然じゃ」
「昨日あれだけ歩いたのに元気だね……」
「歩いたくらいで何を言っておる」
悠真が呆れたようにパンを口へ運んでいると、ダリオが席を立って近づいてきた。
「剣一郎さん。昨日は本当にありがとうございました」
「もう礼は聞いた」
「分かっています。でも、どうしても」
「なら、これで最後にせい」
ダリオは苦笑して頷き、向かい側へ座った。
「実は昨夜、レオから森でのことを詳しく聞きまして。ブラックファングが出たそうですね」
「ああ」
「ハルト村の近くで出たなんて、今まで一度も聞いたことがありません」
悠真と美咲も顔を上げる。
「やっぱり珍しいんですか?」
「珍しいどころじゃありません。私は行商で各地を回りますから魔物の話もよく耳にしますが、ブラックファングが出るのはもっと北の深い森や山の辺りです。ハルト村まで来るような魔物じゃないはずです」
「ガレスさんたちも同じこと言ってたね」
美咲が言うと、ダリオは少し考え込んだ。
「そういえば……今回の行商の途中でも、少し気になる話を聞きました」
「どんな話じゃ」
「王都の北東にある村や宿場で、最近、森から魔物が減ったという話を何度か耳にしたんです」
「減った?」
悠真が首を傾げる。
「ええ。ゴブリンやウルフの痕跡さえ、急にほとんど見なくなった場所があるとか。十日ほど前に聞いた話ですし、私自身が確認したわけではありませんから、ただの噂かもしれませんが」
剣一郎は腕を組んだ。
「魔物が消えた場所があり、その後にハルト村へ多数の魔物が現れた、か」
「関係あるのかな」
「分からん。場所も時期も詳しく確かめておらんからの」
剣一郎はそう言ったあと、ダリオを見る。
「じゃが、ガレスには伝えておいた方がよかろう」
「私もそう思います」
◇
朝食の後、ダリオを交えてガレスとエルドへ話を伝えることになった。
執務室の机には王都周辺の地図が広げられ、ダリオは自分が通ってきた街道や、噂を耳にした村と宿場を順に示していく。各地を歩く行商人だけあって、道筋はかなり正確に覚えていた。
「この辺りです。ここでは猟師から、その二日前にはもう少し北の村で旅人から似た話を聞きました」
ガレスは地図を見つめた。
「魔物を見かけなくなった、と」
「はい。ただ、私自身が森へ入ったわけではありません」
「それで十分です。確認すべき情報が一つ増えました」
エルドも地図を覗き込みながら髭を撫でる。
「魔物が減る理由そのものは珍しくありません。餌場の変化、縄張り争い、より強い魔物の出現など、いくつも考えられます」
「やっぱりハルト村とは関係ない可能性もあるんですね」
悠真が尋ねる。
「もちろんです。ただし、今の状況では無視する理由もありませんな」
ガレスも頷いた。
「少人数で確認させましょう。ただ、今回は騎士だけではなく受命士も雇います」
「受命士を?」
「森の調査なら、騎士より慣れている者も多いです。足跡や糞、食べ残し、折れた枝などから魔物の種類や移動方向を読むことを得意とする者もいます」
「そんなことまで分かるんだ」
悠真が感心する。
「経験のある者ならな」
ガレスは控えていた騎士へ向き直った。
「受命ギルドへ使いを。北東部の森に詳しく、探索や追跡を得意とする受命士を二、三名頼む。第三騎士団からも数名同行させる」
「はっ」
「今回は討伐ではなく調査が優先だ。魔物が本当に減っているのか、減っているならどちらへ移動したのかを確認する。報酬は王国から出す」
騎士が一礼して部屋を出ていく。
「騎士団が受命士を雇うこともあるんですね」
美咲が尋ねると、ガレスは頷いた。
「珍しいことではありません。騎士団だけで、すべての分野に精通することはできませんから」
「適材適所というやつですな」
エルドが言う。
「餅は餅屋じゃ」
剣一郎が何気なく口にすると、ガレスが首を傾げた。
「モチ……?」
「ああ、こちらには通じんか」
「おじいちゃん、たまに日本のことわざそのまま使うよね」
「意味は分かるじゃろう」
「今のは分かってないよ」
悠真の言葉に、美咲がくすりと笑った。
◇
話を終えて部屋を出ると、ダリオは少し申し訳なさそうな顔をしていた。
「私が話したことで、騎士や受命士の方々まで調査へ行くことになってしまいましたね」
「何もなければ、それでよい」
剣一郎は歩きながら答える。
「何かあるなら、早く分かった方がよい。調べると決めたのはガレスじゃ。お前さんが気にすることではない」
「……そうですね」
ダリオは少し肩の力を抜いた。
「行商人というのも、色々知っておるものじゃな」
「道を歩くのが仕事ですから。魔物だけでなく、橋が壊れたとか、どこの村で何が不足しているとか、そういうことも知らなければ商売になりません」
「情報も商売道具なんだ」
悠真が言う。
「そういうことです」
ダリオが笑った。
剣を握る者には、剣を握る者の見方がある。騎士には騎士の、魔導士には魔導士の、そして各地を歩く商人には商人だからこそ見えるものがある。剣一郎は、世界を知る方法も一つではないのだと改めて感じていた。
そこへ、廊下の先からレオとリナが走ってくる。
「父さん!」
「お父さん!」
「走るな。転ぶぞ」
ダリオはそう言いながらも、駆け寄ってきた二人を笑顔で迎えた。
「父さん、今日はどこ行くの?」
「王都で預けてある荷物の確認だ」
「僕も行っていい?」
「駄目だ。周囲の安全が確認されるまでは、王城から勝手に出るな」
「えー」
「えー、じゃない」
そのやり取りを見ながら、悠真が剣一郎へ小声で言う。
「なんか、おじいちゃんと似てない?」
「誰がじゃ」
「叱り方」
「知らん」
隣で美咲が笑う。
ダリオが戻ってきたことで、レオとリナの表情は昨日までよりずっと明るくなっていた。村へ帰れる日はまだ決まっていない。それでも今は、父親がそばにいる。
剣一郎は楽しそうに父親を囲む二人を眺めながら、静かに目を細めた。




