第三十一話 おじいちゃんと行商人
翌日。
剣一郎たちは、昨日受命ギルドで得た報酬の一部を使うため、昼前から王都の街へ出ていた。王城での生活に不自由はないものの、自分たちで稼いだ金を自分たちで使うというのは、やはり少し特別な気分がする。
「せっかくだし、何か美味しいもの食べたいな」
悠真が通りに並ぶ店を見ながら言う。
「お前は昨日から食うことばかりじゃな」
「だって、自分で稼いだお金だよ?」
「使い切る必要はないぞ」
「分かってるって。一枚はちゃんと取ってあるから」
美咲はそんな二人のやり取りを聞きながら、露店に並ぶ焼き菓子へ目を向けていた。以前なら王城の外へ出るだけでも異世界を観光しているような感覚があったが、受命ギルドに登録し、実際に働いたことで、街の見え方も少し変わってきている。
通りには商人や職人、荷運び人、買い物客が行き交っている。誰もが仕事を持ち、その日の暮らしを営んでいる。剣一郎たちも、ようやくその中へほんの少し足を踏み入れたところだった。
「今日はどこで食べる?」
「昨日言った通り、わしが出す」
「本当にいいの?」
「二枚で足りる店にせよ」
「分かってるよ」
悠真が笑った、その時だった。
少し先の通りから、荒っぽい声が聞こえてきた。
「だからよ、話を聞けって言ってんだろ!」
周囲を歩いていた人々が、ちらちらとそちらへ視線を向けている。剣一郎も足を止め、声のする方を見ると、道端に一台の荷車が止まり、その横で三人の男が一人の中年男性を取り囲んでいた。
囲まれている男は四十歳ほどで、日に焼けた顔に丈夫そうな外套を身につけている。荷車には布袋や木箱、小さな樽が積まれており、どうやら各地を回る行商人らしい。
一方、取り囲んでいる三人は腰に武器を下げ、胸元には受命ギルドの登録札があった。
「受命士……?」
美咲が小さく呟く。
「みたいだね」
悠真も眉をひそめた。
三人は酔っている様子こそないものの、態度は明らかに横柄だった。周囲の人々も気にはしているようだが、余計な揉め事に巻き込まれたくないのか、少し距離を取って見ているだけだった。
「何度言われても同じです」
行商人が困ったように答える。
「護衛は必要ありません。帰りに必要になれば、正式に受命ギルドへ依頼します」
「だから、その護衛を俺たちがやってやるって言ってるんだよ」
「頼んでいません」
「固いこと言うなよ。最近は街道だって物騒なんだぜ?」
男の一人が荷車へ手を置いた。
「これだけ商品積んで歩くんだ。何かあってからじゃ遅いだろ?」
「必要なら、こちらで人を選びます。それに、受命ギルドを通さない護衛を頼むつもりはありません」
行商人がはっきり拒絶すると、先頭の男の表情が険しくなる。
「……随分偉そうだな、商人さんよ」
「そういうつもりではありません」
「じゃあ雇えよ」
「お断りします」
男が苛立ったように舌打ちし、行商人の胸元へ手を伸ばした。
その前に、低い声が割って入る。
「そこまでにしておけ」
三人が振り返る。
そこには剣一郎が立っていた。
「なんだ、爺さん」
「嫌がっておる者に無理を言うのは感心せんな」
「爺さんには関係ねえだろ」
「そうじゃな」
「なら引っ込んでろ」
「じゃが、困っておる者を見て見ぬふりするのも、あまり性に合わん」
剣一郎が静かに答えると、男は露骨に顔をしかめた。
「俺たちは受命士だぞ」
「それがどうした」
「こいつの護衛をしてやろうって言ってんだよ」
「本人は断っておる」
「だから話を――」
「もう終わっておるように見えるがの」
周囲から小さな笑い声が漏れた。
男の顔が赤くなる。
「爺さん、調子に乗るなよ」
「別に乗ってはおらん」
「てめえ……!」
一人が剣一郎の胸倉へ手を伸ばす。
「おじいちゃん」
悠真が動こうとしたが、剣一郎は片手で制した。
「待て」
次の瞬間、男の身体が崩れた。
「がっ!?」
剣一郎は伸びてきた腕を取り、手首を返しながら半歩身体をずらしただけだった。力任せに投げたわけではない。それでも男は自分の勢いを利用され、その場へ膝をつく。
「いっ……!」
「暴れるでない。余計に痛むぞ」
「この……放せ!」
男が力を込めるが、腕は動かない。
もう一人が腰の剣へ手を掛けた。
「やめろ!」
「抜くな」
剣一郎の声が低くなる。
大声ではない。
それなのに、男の手が止まった。
剣を抜けばどうなるのか。それを頭で考えるより先に、身体が危険を感じ取ったかのようだった。
その時、通りの向こうから声が飛んでくる。
「何をしている!」
巡回中らしい二人の騎士と、受命ギルドの職員が駆け寄ってきた。
「またお前たちか!」
職員は三人の顔を見るなり、険しい表情になる。
「また?」
悠真が聞き返す。
「以前から、依頼主への強引な勧誘について苦情が出ている者たちです」
「俺たちはただ仕事を――」
「ギルドを通さず護衛を押し売りすることを仕事とは言いません!」
ぴしゃりと言われ、三人は黙った。
剣一郎も男の腕を放す。
「騒ぎを大きくしてすまんかったの」
「いえ。こちらこそ申し訳ありません。あとは我々で対応します」
三人の受命士は不満そうだったが、騎士まで来てしまえば抵抗はできない。そのまま連れていかれ、周囲に集まっていた人々も少しずつ散っていった。
◇
「助かりました」
騒ぎが収まると、行商人は剣一郎たちへ深く頭を下げた。
「本当にありがとうございます」
「礼はいらん。怪我はないか」
「はい。おかげさまで」
男は乱れた外套を整え、苦笑する。
「まったく、王都まで無事に着いたと思ったら、こんなところで絡まれるとは思いませんでした」
「受命士には、よくああいう者がおるのか?」
美咲が尋ねると、男はすぐに首を横へ振った。
「いえ。護衛では何度も受命ギルドのお世話になっていますが、ああいう方たちは初めてです。ほとんどの受命士は、きちんとした方ですよ」
「ならよかった」
剣一郎もそれ以上は気にしなかった。
「これからどちらへ?」
「王都で少し買い付けをしてから、村へ戻るつもりです」
「村?」
「ええ。私は行商で各地を回っていますが、家族はハルト村で暮らしていまして」
「え?」
悠真と美咲の声が重なった。
剣一郎も男を見た。
「ハルト村とな」
「はい。ご存じなのですか?」
「少し前に行った」
男の表情が変わる。
「では……村が魔物に襲われたことも?」
「知っておる」
行商人は唇を噛んだ。
「やはり本当だったんですね……」
「詳しくは知らなかったの?」
悠真が尋ねる。
「街道の宿で噂を聞いただけです。ハルト村が大勢の魔物に襲われたと。それから急いで戻ろうとしたのですが、街道で騎士団に止められました。まだ村の周辺は警戒中で、出入りも制限されていると」
「それで王都へ?」
「はい。ここなら何か詳しい情報が入るかもしれないと思って」
男は荷車の縁を強く握った。
「妻が体調を崩していたんです。私が行商へ出た時には軽い風邪程度だったのですが、薬代も必要でしたし、数日で戻るつもりで……」
剣一郎の目が僅かに細くなる。
「妻の名は?」
「マリエルです」
「……子供は?」
剣一郎が続ける。
「二人います。息子と娘が」
「息子はレオ。娘はリナではないか?」
男の目が大きく見開かれた。
「……どうして」
一歩、剣一郎へ近づく。
「どうして、うちの子供たちの名前を知っているんです?」
悠真と美咲が顔を見合わせる。
「レオとリナなら無事じゃ」
剣一郎が静かに告げた。
「……!」
「今は王城で保護されておる」
男の身体から、一気に力が抜けた。
「無事……なんですか?」
「ああ」
「マリエルは?」
「薬も届いておる。わしらが村を出た時には、熱も少し下がっておった」
男は何か言おうとしたが、声にならなかった。
しばらく俯いたまま動かず、やがて大きく息を吐く。
「よかった……」
掠れた声だった。
「本当に……よかった……」
悠真と美咲も、何も言わずその姿を見ていた。
少しして落ち着きを取り戻した男は、改めて剣一郎たちを見る。
「申し遅れました。私はダリオと申します」
「神崎剣一郎じゃ」
「神崎悠真です」
「朝倉美咲です」
「それで……どうして皆さんが、家族のことを?」
「レオとリナには森で会った」
「森で?」
「母親のために薬草を採りに来ておった」
「……あの子たち」
ダリオは頭を抱えた。
「何をしてるんだ……!」
「その件なら、マリエルさんから帰ってきたらきっちり話をすると手紙が来てたよ」
悠真が苦笑する。
「そうですか……」
ダリオは深くため息を吐いた。
「それなら、私からも話をしないといけませんね」
そう言いながらも、その顔にはようやく僅かな笑みが戻っていた。
そして、ふと何かに気付いたように剣一郎を見る。
「もしかして……子供たちを助けてくださったのは」
「成り行きじゃ」
「あなたが……」
ダリオは再び深く頭を下げた。
「ありがとうございます。妻も、子供たちも……家族を助けてくださって」
「礼はもうよい」
「それでも言わせてください」
剣一郎は少し困ったように頭を掻いた。
「ならば、無事に帰って顔を見せてやれ。それが一番じゃろう」
「……はい」
◇
王城で保護されているレオとリナに会えるかもしれないと聞いたダリオは、落ち着いているつもりでも、何度も王城の方角へ視線を向けていた。
「おじいちゃん。一緒に連れて行ってあげようよ」
「うむ」
「よろしいんですか?」
ダリオが驚く。
「王城へ勝手に入れるかどうかは知らん」
「え?」
「じゃが、事情を話すくらいはできるじゃろう」
「あ、ありがとうございます!」
三人はダリオとともに歩き始めた。
「お昼ご飯食べ損ねたね」
悠真がぼやく。
「また次の機会じゃな」
美咲が笑う。
少し前を歩くダリオは、遠くに王城が見えるたびに歩調を速めていた。何日も離れていた子供たちが、もうあの中にいる。そのことを思えば、自然と足が前へ出るのだろう。
剣一郎はそんな背中を見ながら、静かに歩いた。
「さて」
「何?」
悠真が尋ねる。
「これでレオとリナは、母親だけでなく父親からも叱られることになったの」
美咲が吹き出す。
その声を聞いたダリオも振り返り、少し困ったような、それでも心から嬉しそうな笑みを浮かべた。
王城の門は、もうすぐそこだった。




