第三十話 おじいちゃんのアルバイト
西区のマルド商会では、朝から荷車がひっきりなしに出入りしていた。倉庫の前では荷運び人たちが声を掛け合い、穀物や乾物の入った木箱を次々と積み込んでいる。
「次はどれじゃ」
剣一郎が空いた両手を払って振り返る。
「じゃ、じゃあ、その横の箱を頼む」
商会の責任者が答えると、剣一郎は人の胴ほどもある木箱へ近づき、一人で持ち上げた。
「おい爺さん、それ二人で持つやつだぞ」
「そうなのか?」
「そうなのかって……」
「持てたから問題なかろう」
そのまま荷車へ向かう剣一郎を、周囲の男たちが呆然と見送る。
「本当に七十なのか?」
「登録書にはそう書いてあったらしいぞ」
そんな声が聞こえ、悠真は苦笑した。
「まあ、そうなるよな」
「私たちも慣れちゃってるだけかもね」
美咲も笑う。
剣一郎は魔力による身体強化を使っているわけではない。ただ長年鍛え続けた身体で運んでいるだけなのだが、それを知らない者からすれば十分に異常だった。
「二人とも、手が止まっておるぞ」
「分かってるよ!」
◇
仕事は、倉庫から指定された荷物を運び、荷車へ積み込むという単純なものだった。
だが実際にやってみると、力があればいいというわけではない。壊れやすい荷物を下へ置かないことや、荷車の左右で重さを偏らせないことなど、覚えるべきことはいくつもあった。
「若いの、それは後だ」
近くの荷運び人が声を掛ける。
「え?」
「乾物の箱だからな。上に重いのを載せたら潰れる」
「あ、なるほど」
悠真は言われた通りに置き直した。
「ありがとうございます」
「最初なんだから知らなくて当然だ。力だけあっても商品壊したら意味ないからな」
「確かに」
悠真は素直に頷いた。
戦いとはまったく違うが、この仕事にも経験と技術がある。そう思うと、ただの荷運びが少し面白く感じられた。
美咲も小さめの箱や布地を運びながら、荷札に書かれた王都の地区名や商店の名前を少しずつ覚えていた。王城の中にいるだけでは見えなかった街の暮らしが、働くことで少しだけ身近になっていく。
◇
昼になると作業は一度中断され、三人にもパンと干し肉、それに野菜のスープが出された。
「こういうご飯もいいね」
悠真がパンをかじる。
「腹が減れば大抵のものはうまい」
「それ、作った人に失礼じゃない?」
「まずいとは言っておらん」
近くの荷運び人たちが笑った。
「爺さん、孫と一緒に働いてるのか?」
「ああ」
「三人とも見ない顔だな。最近王都に来たのか?」
悠真と美咲が一瞬黙る。勇者召喚についてはまだ一般には秘匿されている。
剣一郎が代わりに答えた。
「少し前から王都で世話になっておる」
「どこから来たんだ?」
「遠いところじゃ」
「随分ざっくりだな」
「遠いものは遠い」
男はきょとんとした後、声を上げて笑った。それ以上詳しく聞かれることはなく、悠真は内心で安堵した。
◇
午後になる頃には、三人とも仕事の流れに慣れてきた。
剣一郎も力任せに荷物を運ぶだけではなく、周囲の動きを見て必要な場所へ手を貸している。分からないことは勝手に判断せず、その場で働いている者に確認していた。
「もっと扱いづらい爺さんかと思ってたんだがな」
責任者が呟く。
「聞こえておるぞ」
「うおっ!?」
離れた場所から返事が飛んできた。
「耳までいいのかよ……」
「普通じゃ」
「絶対普通じゃねえ」
周囲に笑い声が広がった。
そんな中、突然倉庫の外から声が上がる。
「危ない!」
積み込み中の荷車から木箱がずれ落ち、その下には商会の手伝いらしい少年が立っていた。
悠真が真っ先に駆け出す。
「ぐっ!」
少年の前へ滑り込み、落ちてきた箱を両腕で受け止める。
「悠真!」
「俺は大丈夫! その子を見て!」
美咲が少年へ駆け寄る。
「怪我してない?」
「う、うん……」
他の作業員も集まり、悠真が支えていた木箱を持ち上げた。
「兄ちゃん、ありがとう」
少年が小さな声で礼を言う。
「次から荷車の近くでは周りをちゃんと見てね」
「うん」
少し離れたところで、剣一郎はその様子を静かに見ていた。
ハルト村でもそうだった。
悠真は身につけた力を、ただ敵を倒すためだけでなく、人を助けるためにも使えるようになってきている。
剣一郎は何も言わず、僅かに頷いた。
◇
夕方、予定していた荷物の積み込みが終わった。
「いやあ、助かったよ」
責任者が完了証明に署名する。
「正直、爺さんが来た時は心配だったけどな」
「失礼な奴じゃ」
「悪かったって。次に人手が足りない時も頼みたいくらいだ」
「暇ならな」
三人は証明書を受け取り、受命ギルドへ戻った。
受付へ提出すると、報酬として大銅貨六枚が机に並べられる。
「こちらが今回の報酬です」
剣一郎は一枚を手に取り、しばらく眺めた。
この世界で初めて、自分で働いて得た金だった。
「これでどのくらい暮らせる?」
「食費だけなら、一人で数日分ほどですね」
「なるほど。簡単には稼げんものじゃな」
「危険な依頼ほど報酬は高くなりますが、その分命の危険も増えます」
「命あっての物種か」
「ギルドとしては、そう考えています」
「よい考えじゃ」
報酬は三人で二枚ずつ分けることになった。
悠真は掌の硬貨を眺めて笑う。
「なんか嬉しいな」
「分かる」
美咲も頷いた。
大金ではない。それでも、自分で働き、その対価を受け取ったことには、王国から与えられるものとは違った嬉しさがあった。
◇
王城へ戻る途中、悠真が早速何に使おうか考え始めた。
「一枚は取っておいて、もう一枚で何か食べようかな」
「結局食うのか」
「自分で稼いだお金だし」
美咲が笑いながら剣一郎を見る。
「剣一郎さんはどうします?」
「そうじゃな」
剣一郎は二枚の大銅貨を見て少し考える。
「三人で何か食うか」
「おじいちゃんが奢ってくれるの?」
「二枚で足りるものならな」
「やった!」
「私までいいんですか?」
「三人で働いたのじゃ。三人で使うのも悪くなかろう」
夕暮れの王都を歩きながら、美咲も嬉しそうに笑った。
◇
その夜。
王都の酒場では、仕事帰りの男たちが何気ない噂話をしていた。
「聞いたか? マルド商会に、とんでもなく元気な爺さんが来たらしいぞ」
「七十歳なのに、二人で運ぶ箱を一人で運んでたって話だろ?」
「白髪で剣を差してるらしいな」
「名前は?」
「確か……カンザキとか言ったかな」
酒場の隅で、一人の男が杯を持つ手を僅かに止めた。
男は会話へ加わることなく、静かに酒を飲み干すと席を立つ。
剣一郎たちにとっては、ただ初めて仕事をしただけの一日だった。
だが、王城の外で暮らし始めれば、それだけ多くの者の目に触れることになる。
その中には、ただ面白がって噂を聞く者だけではなく――彼らが何者なのかを知ろうとしている者も、確かに混じっていた。




