第二十九話 おじいちゃん働く
ハルト村から王都へ戻って、数日が経った。
朝の王城では、いつものように食堂に温かな朝食が並べられていた。焼きたてのパンに野菜のスープ、卵料理、それに季節の果物。異世界へ来たばかりの頃は、見慣れない食材や味付けにいちいち驚いていた悠真たちも、今ではすっかりこの世界の食事に馴染みつつある。
「いただきます」
悠真が手を合わせ、美咲もそれに続いた。剣一郎も静かに食事を始めたが、今朝はいつもより口数が少なかった。もともと饒舌な方ではないものの、湯気の立つスープを口へ運びながら、どこか別のことを考えているようにも見える。
「おじいちゃん?」
パンをちぎっていた悠真が、向かい側に座る祖父の顔を覗き込んだ。
「何じゃ」
「いや、なんか考えてる顔してたから」
「いつもの顔じゃ」
「そうかなあ」
悠真が美咲へ視線を向けると、美咲は困ったように笑って肩をすくめた。
だが、悠真の言う通り、剣一郎が考え事をしていたのは事実だった。
この世界へ来て以来、三人の衣食住はほとんど王国が用意してくれている。寝床も食事も衣服も、訓練に必要な場所や道具も、困ったことがあれば王城の者たちがすぐに手を貸してくれた。
もちろん、それを当然のことだと思っているわけではない。
勇者召喚に巻き込まれた自分たちの生活を保障することは王国の責任だと、アルフレッド自身が何度も口にしている。その心遣いについては、剣一郎もありがたく思っていた。
だが、それとこれとは別だった。
七十年も生きていれば、人の助けを借りることが恥ではないことくらい分かっている。できぬ時には頼ればよい。しかし、身体が動き、働こうと思えば働けるにもかかわらず、いつまでも何もせず養われ続けるというのは、どうにも剣一郎の性には合わなかった。
(いつまでも世話になりっぱなしというわけにもいかんの)
最後の一口を食べ終えると、剣一郎は茶を一口飲んだ。そして、すでに腹の中では決めていたことを二人へ告げる。
「悠真、朝倉さん。今日は街へ出るぞ」
「買い物?」
「違う」
剣一郎は湯呑みを置いた。
「仕事を探しに行く」
「……仕事?」
悠真の手が止まった。
「おじいちゃんが?」
「そうじゃ」
「なんで!?」
「何をそんなに驚いておる」
「いや、だって、おじいちゃん七十歳だよ!?」
「知っておる。自分の歳くらい覚えておるわ」
「そういう意味じゃなくて!」
思わず声を上げる悠真の隣で、美咲も目を丸くしていた。
「剣一郎さん、仕事って……どこで探すんですか?」
「受命ギルドじゃ」
「え?」
今度は二人の声が重なった。
以前、王都を案内された時に立ち寄ったことはある。だが、あの時はどのような場所なのか説明を受けただけで、自分たちが実際に仕事を受けることになるとは考えていなかった。
「おじいちゃん、受命士になるつもりなの?」
「別にそんなつもりはない」
「じゃあ、なんでギルド?」
「仕事を斡旋しておるのであろう。ならば使えばよい」
剣一郎にとっては、それだけのことらしい。
「自分の食い扶持くらいは、自分で稼いでみたいだけじゃ」
その言葉に、悠真と美咲は顔を見合わせた。
◇
「反対です」
きっぱりとした声が、国王の執務室に響いた。
声の主はガレスである。
朝食を終えた剣一郎がアルフレッドへ受命ギルドで仕事をしたいと申し出たところ、話を聞いた国王がガレスとエルドを呼び、簡単な話し合いが行われることになったのだ。
「なぜじゃ」
「なぜ、ではありません」
ガレスは眉間に深い皺を寄せている。
「ハルト村から戻られて、まだ数日しか経っていないのですよ」
「もう数日経ったとも言える」
「言いません」
即答だった。
「身体なら問題なく動くぞ」
「神崎殿の場合、身体が動くかどうかを基準に判断すると、いつまで経っても休んでいただけません」
その言葉に、悠真が小さく頷いた。
「それはちょっと分かる」
「悠真」
「何でもないです」
剣一郎に横目で睨まれ、悠真は姿勢を正した。
アルフレッドはそんなやり取りを見て、わずかに表情を緩めてから剣一郎へ向き直る。
「神崎殿。皆さんの生活については、どうかお気になさらないでください」
「分かっております」
「皆さんは我が国の召喚に巻き込まれ、この世界へ来ることになりました。本来なら、こちらの都合で故郷から引き離してしまったのです。滞在中の衣食住を用意するのは当然の責任だと考えています」
アルフレッドの言葉に、剣一郎は一度頭を下げた。
「陛下のお心遣いには感謝しております。じゃが、それに甘え続けるのも性に合いませぬ」
「甘えているとは思いませんが」
「わしがそう思うのです」
剣一郎は淡々と答えた。
「もちろん、城を出て勝手に暮らそうという話ではありませぬ。必要な時には、今後も世話になることがあるでしょう。じゃが、働ける身体があるうちは、自分でできることくらいはしておきたい」
アルフレッドはしばらく黙って剣一郎を見つめた。そこに遠慮や建前ではなく、本当にそうしたいという意思があることを察したのだろう。
「エルドはどう思いますか?」
「よろしいのではありませんかな」
エルドの返答はあっさりしていた。
「エルド殿」
ガレスが不満そうに視線を向ける。
「神崎殿をここで止めたところで、いずれ一人で受命ギルドへ行かれる気がします」
「……」
ガレスは反論しなかった。
どうやら心当たりがあるらしい。
「それならば、こちらである程度条件を決めて認めた方がよいでしょう」
「条件?」
剣一郎が尋ねると、ガレスは待っていましたとばかりに指を折った。
「危険度の高い依頼は受けないこと。王都から遠く離れる依頼も、当面は禁止です。それから、何か異変を感じた場合は無理をせず帰還してください」
「……子ども扱いされておらんか?」
「神崎殿は、危険だと分かっていても必要なら前へ出るでしょう」
「必要ならばな」
「だからです」
再び即答だった。
悠真が口元を押さえ、美咲も笑いを堪えている。剣一郎は二人を見たものの、何も言わなかった。
アルフレッドも苦笑しながら頷く。
「では、その条件で認めることにしましょう」
「ありがとうございます」
「ただし、無理だけはなさらないでください」
「承知しました」
剣一郎が素直に頷くと、今度はアルフレッドが悠真と美咲へ視線を移した。
「お二人はどうされますか?」
「え?」
悠真が自分を指さす。
「俺たちも?」
「神崎殿だけ働くというのも、少し違うのではありませんか?」
言われてみれば、その通りだった。
王城の世話になっているのは剣一郎だけではない。悠真も美咲も、寝床から食事まで何不自由なく用意してもらっている。
悠真は少し考えた後、頷いた。
「じゃあ、俺もやります」
「私もです」
美咲も続く。
「お前たちは別に付き合わんでもよいぞ」
剣一郎が言うと、悠真は首を横へ振った。
「おじいちゃんだけ働いて、俺が王城でゴロゴロしてる方が嫌だよ」
「私も同じです。せっかくなら、この世界で普通の人たちがどうやって働いているのかも知りたいですし」
「そうか」
剣一郎はそれ以上止めなかった。
ただ、その口元がほんの僅かに緩んでいたことに、二人は気付かなかった。
◇
昼前。
三人は王城を出て、受命ギルドへ向かった。
王都の大通りは今日も人通りが多く、荷車が石畳を行き交い、店先では商人たちが威勢のいい声で客を呼び込んでいる。少し前にハルト村であれほどの戦いがあったとは思えないほど、王都にはいつもの日常が広がっていた。
「そういえばさ」
歩きながら悠真が口を開く。
「受命ギルドって、誰でも仕事を受けられるの?」
「さあの」
「知らないで行こうとしてたの!?」
「行けば分かる」
「相変わらずだなぁ……」
悠真が呆れた声を出す。
美咲も苦笑した。
「私も詳しい仕組みまでは知らないけどね。前に来た時は見学しただけだったし」
「そうだったね」
三人が以前受命ギルドを訪れたのは、王都の街を見て回った時だ。その時に、魔物討伐だけでなく、護衛や採取、運搬、人探しなど様々な依頼を扱う場所だという説明を受けている。
しばらく歩くと、見覚えのある大きな建物が見えてきた。
受命ギルドである。
入口には相変わらず様々な人間が出入りしていた。剣や槍を携えた者だけではなく、背負い籠を持つ女性や、荷車を引く若者、普段着のまま書類を抱えている者までいる。討伐を生業とする者だけが集まる場所ではなく、町のあらゆる仕事を仲介する場所なのだと、その光景を見るだけでも分かる。
三人が中へ入ると、広い室内には人々の話し声が満ちていた。正面にはいくつもの受付が並び、壁際の大きな掲示板には大小様々な依頼書が貼られている。奥では仕事を終えたらしい者たちが報告の順番を待っており、その隣では依頼主と思われる老人が受付係と真剣な顔で話をしていた。
「さて」
剣一郎は周囲を一通り見回してから受付へ向かった。
「こんにちは」
受付にいた若い女性が三人へ笑顔を向ける。
「ご依頼でしょうか?」
「いや。仕事を受けたい」
「受命をご希望ですね。ギルドへの登録はお済みでしょうか?」
「しておらん」
「では、最初に登録をお願いします。お三方ともでよろしいですか?」
「はい」
悠真が答える。
受付の女性は三枚の用紙を取り出すと、名前、年齢、得意分野など簡単な項目を説明していった。
悠真と美咲は用紙を前にして少し戸惑う。召喚時に得た《言語理解》のおかげで、この世界の文字の意味を読むことはできる。しかし、実際に自分で書くとなると別だった。文字の形を見れば意味は分かるが、筆を動かすのにはまだ慣れていない。
「私、結構時間かかりそう」
「俺も」
そんな二人の横で、剣一郎は用紙をじっと眺めた。
「筆を貸せ」
「書けるの?」
「読めるなら真似ればよい」
「そういうものかな……」
剣一郎は見本となる文字を確認しながら、ゆっくりと筆を動かした。決して美しい字ではないが、一文字ずつ丁寧に書かれており、少なくとも読むのに困るようなものではない。
やがて三人分の用紙が受付へ渡された。
「神崎剣一郎様、七十歳……」
受付の女性がそこまで読み上げたところで、動きが止まった。
そして、確認するように剣一郎を見上げる。
「……七十歳?」
「うむ」
女性の視線が、剣一郎の顔から首元、肩、腕へとゆっくり下がっていく。白髪だけを見れば年相応なのだが、背筋は真っ直ぐ伸び、衣服の上からでも鍛えられた身体であることが分かる。
「……失礼しました」
「何がじゃ」
「いえ、何でもありません」
女性は慌てて書類へ視線を戻した。
「神崎悠真様、朝倉美咲様……こちらも問題ありません」
確認を終えると、受付の女性は机の下から小さな木札を取り出した。
「登録そのものに難しい試験はありません。ただし、最初からどんな依頼でも受けられるわけではなく、危険度に応じて制限があります」
「危険度?」
悠真が尋ねる。
「はい。受命した実績や依頼の達成状況によって、少しずつ受けられる仕事が増えていきます。討伐のように命に関わる依頼は、基本的に一定以上の実績がある方しか受けられません」
「なるほど」
「力があるからといって、いきなり難しい仕事を受けて失敗すれば、本人だけでなく依頼主にも迷惑が掛かりますから」
その説明を聞いて、美咲が頷く。
「登録したら、定期的に依頼を受けないといけないんですか?」
「いいえ。受けたい時だけで構いませんよ。普段は別のお仕事をされていて、月に一度だけ利用される方もいます」
「それなら助かるの」
剣一郎が頷いた。
受命士として生活していくつもりはない。あくまで、手が空いている時に自分でできる仕事を受け、その分の対価を得る。それで十分だった。
◇
登録を終えた三人は、それぞれ簡素な登録札を受け取った。
「依頼を受ける場合は、掲示板から希望するものを選んで受付へお持ちください」
「分かった」
三人は早速、壁一面に貼られた依頼書を眺めることにした。
近くで見ると、想像以上に種類が多い。
薬草の採取。
倉庫での荷運び。
街道沿いの倒木撤去。
逃げた家畜探し。
農家の柵の修理。
屋根の補修を手伝う仕事。
中には文字を読めない者のために簡単な絵が添えられている依頼もあり、この世界で受命ギルドが日常生活に深く根付いていることが分かる。
「本当に何でもあるな」
悠真が感心したように呟く。
「魔物退治ばっかりだと思ってた」
「前にも討伐だけではないと聞いたじゃろう」
「聞いてたけど、ここまで普通の仕事があるとは思わなかったんだよ」
美咲も興味深そうに依頼書を一枚ずつ見ている。
「この薬草採取なら私たちでもできそうじゃない?」
「いや」
剣一郎が別の一枚を掲示板から外した。
「これにする」
「どれ?」
悠真が横から覗き込み、目を瞬く。
『西区マルド商会 荷運び手伝い募集』
「……荷運び?」
「うむ」
「おじいちゃん、もっとこう、森に行って薬草を取るとかさ」
「知らん草を採りに行って、違うものを持ち帰る方が面倒じゃろう」
「それは……そうだけど」
美咲が依頼書を確認する。
「倉庫から荷車へ商品を運ぶ仕事ですね。今日の夕方までで、三人合わせて大銅貨六枚……」
「それって多いの?」
悠真が尋ねる。
「分からん」
剣一郎が答える。
「そこも知らないんだ」
「これから知ればよい」
剣一郎は依頼書を受付へ持っていった。
先ほどの受付の女性は内容を確認したあと、一度剣一郎の顔を見て、さらに依頼書へ視線を戻した。
「こちらでよろしいですか?」
「うむ」
「あの……こちら、力仕事なのですが」
「見れば分かる」
「かなり重い荷物もあると聞いています」
「持てなければ断ればよかろう」
剣一郎の返答はあまりにも当然のものだった。
受付の女性はしばらく言葉に詰まった後、諦めたように依頼書へ受付印を押した。
「分かりました。依頼先は西区のマルド商会です。こちらの札を依頼主へお渡しください」
「承知した」
◇
受命ギルドを出ると、悠真はまだ少し納得がいかないような顔をしていた。
「本当に荷運びするんだ」
「仕事に本当も嘘もあるか」
「いや、そうじゃないけど。てっきりおじいちゃんなら魔物討伐とか選ぶのかと思ってた」
「受けられんと言われたじゃろう」
「まあ、そうだけど」
「それにガレスとの約束もある」
「そこはちゃんと守るんだね」
「当たり前じゃ」
美咲は二人のやり取りを聞きながら笑った。
「でも、私はこういう仕事から始めるのもいいと思うな」
「なんで?」
「王城にいるだけだと、この世界の普通の人たちがどうやって生活してるのか、あまり分からないでしょ?」
言われて、悠真は少し考えた。
王城で暮らし、騎士と訓練し、魔物と戦う。
それだけを見ていると、この世界にはそういうものしか存在しないような気になってしまう。
だが、実際には大勢の人々が働き、物を売り買いし、毎日の食事や暮らしのために金を稼いでいる。
「確かに、それはあるかも」
「じゃろう」
「おじいちゃんはそこまで考えてたの?」
「いや」
「違うの!?」
「働くなら、できる仕事を選んだだけじゃ」
悠真は肩を落とした。
◇
西区のマルド商会は、受命ギルドから歩いて十五分ほどの場所にあった。
大通りから少し外れた一角には大きな倉庫がいくつも並び、その前を商品を積んだ荷車が頻繁に行き来している。倉庫では何人もの男たちが忙しそうに働いており、積み荷を運ぶ掛け声や木箱を置く音が絶え間なく響いていた。
三人が受付で受命ギルドから渡された札を見せると、商会の責任者らしい腹の出た中年の男が出てきた。
「おお、受命ギルドからか! 助かったよ。今日は荷が多くて人手が足りなくてな」
男はそう言いながら三人を見回し、最後に剣一郎のところで視線を止めた。
「……ん?」
「何じゃ」
「いや、その……依頼は荷運びなんだが」
「聞いておる」
「結構重いぞ?」
「だから人を募集したのであろう」
「まあ、そうなんだが……」
男は何とも言えない表情を浮かべたものの、本人がやると言う以上、追い返す理由もないらしい。そのまま三人を大きな倉庫の中へ案内した。
「運んでもらいたいのは、あそこにある荷箱だ。中身は穀物や乾物で、外の荷車まで運んでもらう。一人で無理なものは二人で持ってくれればいい」
示された先には、人の胴ほどもある木箱が何十個と積まれていた。
悠真が箱を見上げる。
「結構あるなあ」
「これ、全部ですか?」
美咲が尋ねると、商会の男が苦笑した。
「全部じゃない。今日は半分ほど運べれば十分だ。重い箱もあるから、無理はしないでくれ」
剣一郎は一番手前に置かれた木箱へ近づき、側面についた取っ手を掴んだ。
「おじいちゃん、反対側持つよ」
悠真が慌てて回り込もうとする。
「待て」
「え?」
次の瞬間。
剣一郎は箱を一人で持ち上げた。
特に力んだ様子もなく、腰を落として持ち上げ、そのまま身体の前で安定させる。
「……」
悠真の動きが止まった。
美咲も目を丸くする。
商会の男に至っては、しばらく何も言えずに口を半開きにしていた。
「これをどこへ運べばよい?」
「……え?」
「荷車じゃろう。どれじゃ」
「あ、ああ。外の右から二台目だ」
「分かった」
剣一郎は木箱を抱えたまま、倉庫の外へ歩き始めた。その足取りには危なっかしさもなく、まるで少し重い荷物を運んでいる程度にしか見えない。
商会の男は、その背中を呆然と見送った。
「……七十歳なんだよな?」
「はい」
悠真が答える。
「一応」
「一応とは何じゃ」
倉庫の外から剣一郎の声が飛んできた。
「聞こえてた!?」
悠真の声が倉庫に響き、美咲が笑い出す。
こうして。
剣一郎たちにとって、異世界で初めての「仕事」が始まった。
魔物と戦うわけでもなければ、世界を救うためのものでもない。
ただ荷物を運び、その対価として金を受け取る。
ごく普通の仕事だった。
だが、王城の中だけでは知ることのできなかった、この世界で生きる人々の日常へ足を踏み出したという意味では、三人にとって小さくない一歩でもあった。
そして彼らは、まだ知らない。
王都の片隅で「妙に元気な白髪の老人が受命ギルドで働き始めた」という、ごくささやかな話が少しずつ人の口に上り始めることを。
その噂を、ただ面白がって聞く者ばかりではないことも。




