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第二十八話 おじいちゃんと視線

 休養日から一夜明けた朝。


 王城の訓練場には、再び剣を打ち合わせる音が響いていた。


 カンッ!


「くっ!」


 悠真が一歩後ろへ下がる。


 間髪入れず、正面に立つ騎士が踏み込んだ。


 木剣が横薙ぎに迫る。


 悠真は身体を沈めた。


 頭上を木剣が通過する。


「そこです!」


 ガレスの声が飛ぶ。


「はい!」


 悠真は脚へ魔力を巡らせた。


 身体強化。


 一歩。


 以前なら勢いに任せて大きく踏み込みすぎていた。


 だが、今は違う。


 必要な分だけ前へ出る。


 木剣を振る。


 カァン!


 騎士が受け止めた。


 それでも悠真は止まらない。


 一度離れ。


 相手を観察する。


 ハルト村で戦った魔物とは違う。


 目の前の騎士は悠真の動きを読んでくる。


「はっ!」


 騎士の木剣が迫る。


 悠真は受けようとして――。


「……!」


 寸前で横に避け、木剣を空振りさせる。


 そのまま相手の側面へ回り込んだ。


「そこまで!」


 ガレスの声が響く。


 悠真は木剣を止めた。


 騎士も構えを解く。


「はぁ……はぁ……」


 悠真が大きく息を吐いた。


「今の、どうでした?」


 ガレスは少し考えてから頷いた。


「良くなりました」


「本当ですか?」


「ええ。少なくとも、身体強化に振り回されることは減りました」


 悠真の顔が明るくなる。


 しかし。


「ただし」


「やっぱり続くんですね」


「当然です」


 ガレスは悠真の足元を指した。


「最後の一歩が大きすぎます」


「え?」


「その一歩でわずかに体勢が崩れています」


「実戦では、その隙を別の相手に狙われる可能性があります」


「あ……」


 悠真の脳裏にハルト村での戦いが蘇る。


 目の前の敵へ集中しすぎれば、横から別の魔物が襲ってくる。


「一対一の模擬戦だからといって、周囲の警戒を怠らぬことです」


「はい」


 悠真は素直に頷いた。


 ◇


 少し離れた場所では、美咲が木杖を構えていた。


 相手を務める騎士が木剣を持って距離を詰める。


「始め!」


 開始の合図。


 騎士が走る。


 美咲は後ろへ下がらない。


 身体強化を脚へ集中させ、斜めに移動する。


 騎士の進行方向から外れる。


 そして杖を向けた。


「ウィンド!」


 圧縮された風が放たれる。


「おっと!」


 騎士が身体を捻る。


 直撃は避けた。


 だが、その瞬間。


 美咲はさらに距離を取っていた。


「そこまで!」


 審判役の騎士が手を上げる。


 美咲は安堵したように息を吐いた。


「前より落ち着いて動けるようになりましたね」


「ハルト村で、近づかれたら何もできないって思い知りましたから」


「その経験を忘れないことです」


「はい」


 美咲は杖を握り直した。


 ハルト村で、傷ついた衛兵や村人を自分の魔法で助けた。


 だからこそ、自分の身を守らなければならない。


 他の誰かを救うために。


 ◇


「二人とも、随分変わったの」


 訓練場の端から声がした。


「じいちゃん」


 悠真が振り返る。


 そこには剣一郎が立っていた。


 すでに日課の千回の素振りを終えたらしく、木剣を片手に持っている。


「どこが?」


「前より周りを見るようになった」


 悠真が少し嬉しそうな顔をする。


「まあ、実戦も経験したからね」


「そこで得意になるでない」


「分かってるって」


 剣一郎は美咲にも視線を向ける。


「朝倉さんもじゃ」


「私も?」


「以前なら、相手を傷つけることに躊躇いがあった」


「……はい」


「今はその先を見ておる」


 美咲は目を瞬いた。


 自分では意識していなかった。


「よいことじゃ」


 短い一言。


 それだけだった。


 だが、美咲は嬉しそうに笑った。


「ありがとうございます」


 悠真が口を尖らせる。


「俺の時より褒め方が優しくない?」


「気のせいじゃ」


「絶対違う」


「気のせいじゃ」


 美咲が吹き出す。


 ガレスも僅かに口元を緩めた。


 ハルト村で命を懸けた戦いを経験した。


 それでも、こうした時間が戻ってきたことを、誰も口にはしなかったが喜んでいた。


 ◇


 訓練を終えた昼過ぎ。


 剣一郎は一人、王都の街を歩いていた。


 特に目的があるわけではない。


 王城で暮らすようになってから、必要なものの多くは用意されている。


 それでも、「自分の足で歩かねば、分からんこともあるからの」


 そう言って城を出た。


 市場には今日も多くの人が行き交っている。


「安いよ! 今日は南の農村から入った新鮮な野菜だ!」


「焼きたてのパンはいかがですかー!」


「旅用の革袋! 丈夫だよ!」


 商人の声。


 子どもの笑い声。


 荷車の音。


 ハルト村での出来事が嘘のように、王都は平穏だった。


 だが、以前街を歩いた時とは少し違う。


 城門付近には騎士の姿が増えている。


 通りを巡回する者もいる。


 市民の多くは気にしていないようだが、剣一郎には分かった。


「警戒を増やしたか」


 ガレスの仕事だろう。


 剣一郎はそのまま市場を進む。


「おや」


 声を掛けられた。


 以前立ち寄った武器屋の店主だった。


「旦那じゃないですか」


「うむ」


「また見に来たんですか?」


「散歩の途中じゃ」


「散歩で武器屋に寄る人も珍しいですけどね」


 店主が笑う。


 そして剣一郎の腰へ目を向けた。


「その剣、随分馴染んできましたね」


「そうか?」


「剣を扱わない人間は、歩く時に鞘を邪魔そうにするんですよ」


 店主は腕を組む。


「旦那は最初からそうじゃなかったけど、今じゃ身体の一部みたいだ」


「長い付き合いじゃからの」


「昔少し、でしたっけ?」


「うむ。昔少しじゃ」


「絶対少しじゃないと思うんだけどなぁ……」


 店主のぼやきを聞き流し、剣一郎は店を出た。


 ◇


 その時。


 足が止まった。


「……」


 剣一郎は振り返らない。


 通りを人々が行き交う。


 商人。


 買い物客。


 荷物を運ぶ若者。


 子どもの手を引く母親。


 特に変わったものはない。


 先ほどから――。


(見られておるな)


 視線を感じる。殺気ではない。敵意でもない。


 ただ、こちらを観察する目。


 剣一郎は何事もなかったように歩き出した。


 露店の前で立ち止まる。


「爺さん、リンゴはどうだい?」


「一つもらおう」


「毎度!」


 銅貨を渡し、リンゴを受け取る。


 その間にも視線は消えない。


 剣一郎はリンゴを一口かじった。


 甘い。


「ふむ」


 そのまま再び歩き出す。


 曲がり角。


 細い路地。


 人通りが少なくなる。


 剣一郎は足を止めた。


「……さて」


 ゆっくり振り返る。


 誰もいない。


「気のせい、というには少々長かったの」


 しばらく待つ。


 だが、何者も姿を現さない。


 剣一郎は追わなかった。


 相手が何者かも分からない。


 ただの好奇の視線だった可能性もある。


 王城へ出入りしている老人が珍しく見えただけかもしれない。


「分からんものを決めつけても仕方ないか」


 そう呟き。


 再び大通りへ戻っていった。


 ◇


 少し離れた建物の二階。


 窓際から一人の男が身を引いた。


「……危なかった」


 額に薄く汗が浮かんでいる。


 特別なことをしたつもりはない。


 ただ街を歩く老人を見ていただけだ。


 距離も十分に取った。


 にもかかわらず。


 一瞬。


 こちらを見られた。


 そう感じた。


「気付かれたか……?」


 男は首を横へ振る。


「いや」


 確証はない。


 王城から出てきた白髪の老人。


 市場の武器屋へ立ち寄った。


 店主とは以前から顔見知りらしい。


 今分かったのは、その程度。


 それでいい。


 無理をするなと命じられている。


 男は老人を追うことなく、その場を離れた。


 ◇


 夕方。


 剣一郎が王城へ戻ると、悠真と美咲が食堂にいた。


「おじいちゃん、どこ行ってたの?」


「散歩じゃ」


「また?」


「老人が散歩して何が悪い」


「いや、悪くないけど」


 剣一郎は席へ座る。


 美咲が尋ねた。


「何か面白いものありました?」


「リンゴを食った」


「それだけ?」


「うまかったぞ」


 悠真が肩を落とす。


「おじいちゃんの散歩、話が広がらないなぁ」


「散歩に何を求めておる」


 運ばれてきた茶を口へ運ぶ。


 そして。


「……」


 一瞬だけ考える。


 昼間の視線。


 ガレスへ伝えるべきか。


 だが、確証がない。


 敵意も殺気も感じなかった。


 単なる思い過ごしかもしれない。


「おじいちゃん?」


「何じゃ」


「いや、なんか考えてたから」


「大したことではない」


 剣一郎はそう答えた。


 しかし、その夜。


 いつもの千回の素振りを終えた後も、昼間感じた視線だけが、わずかに頭へ残っていた。


 ◇


 同じ頃。


 王都の一角。


 昼間剣一郎を見ていた男が、小さな紙へ数行だけ書き記していた。


 ――神崎剣一郎。


 ――王城に滞在。


 ――王都の武器商と面識あり。


 ――単独で外出することあり。


 そこで筆が止まる。


 少し迷った後。


 最後に一文を加えた。


 ――尾行に気付いた可能性あり。


 紙を小さく折り畳む。


 男は灯りを消した。

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