第二十七話 おじいちゃんとまだ見ぬ敵
王都へ戻った翌日。
剣一郎たちには、久しぶりの休養日が与えられていた。
とはいえ――。
ヒュン。
ヒュン。
ヒュン。
朝の訓練場には、いつもと変わらず木剣が風を切る音が響いている。
「……休養日って何だっけ。」
悠真が呆れたように呟いた。
少し離れた場所では、剣一郎が淡々と素振りを続けている。
「剣一郎さんにとっては、これが休みなのかも」
美咲が苦笑する。
「千回振って休みなの?」
「私に聞かれても」
二人は顔を見合わせた。
昨日までの疲れが完全に抜けたわけではない。
悠真は身体強化を長時間使った影響で全身に重さを感じていたし、美咲も多くの負傷者へ回復魔法を使ったため、まだ少し身体がだるい。
「痛っ……」
悠真が肩を回して顔をしかめる。
「だから今日は休みなさいって言われたんでしょ」
「分かってるよ」
そう答えながらも、悠真の脳裏にはハルト村で見た光景が残っていた。
燃える家。
逃げ惑う村人。
押し寄せる魔物。
助けを求める声。
「なあ、美咲」
「何?」
「俺たち、もっと強くならないと駄目だよな」
美咲は少しだけ考える。
「うん」
「でも、強くなるって、魔物をたくさん倒せるようになることだけじゃないと思う」
「……分かってる」
悠真は自分の両手を見る。
ハルト村では、身体強化を使って崩れた梁を持ち上げた。
あの時、人を救えた。
「もっとできることを増やしたい」
「私も」
美咲も静かに頷く。
その時だった。
「ならば、焦るな」
二人が振り返る。
いつの間にか素振りを終えた剣一郎が、木剣を肩へ担いで立っていた。
「昨日できなかったことを、今日いきなり十も二十もできるようにはならん」
「一つずつじゃ」
「またそれ?」
「またとは何じゃ」
「だって、おじいちゃん、いつも同じようなこと言うじゃん」
「大事なことだから何度も言うておる」
悠真が苦笑する。
「はいはい」
「返事は一度でよい」
「はーい」
「伸ばすな」
美咲が思わず吹き出した。
◇
一方。
王城の執務室では、和やかな訓練場とは正反対の空気が流れていた。
アルフレッド国王。
ガレス。
エルド。
そして、各騎士団の隊長たち。
机の上には王都周辺の地図が大きく広げられている。
「ハルト村以外の状況は?」
アルフレッドが尋ねる。
「現在のところ、同規模の襲撃は確認されておりません。」
第三騎士団の隊長が答えた。
「ただ、王都周辺のいくつかの村から、ゴブリンやウルフの目撃数が増えているとの報告があります」
「強力な魔物は?」
「今のところ確認されておりません」
「そうか」
アルフレッドは小さく息を吐く。
安心できる状況ではない。
ただ、すぐに第二のハルト村が生まれているわけではないことだけが救いだった。
「王都の防備は?」
「第三騎士団が市街地の警戒を強化しています」
「第四騎士団も王城と各城門の警備を継続中です」
「よろしい」
国王は頷いた。
「民をむやみに不安にさせる必要はないが、警戒を怠らぬように」
「はっ」
◇
「それと」
エルドが一冊の書物を机へ置いた。
「昨夜、過去の記録を調べました」
「何か分かったか?」
アルフレッドの問いに、エルドは首を横へ振る。
「決定的なものは何も」
「似た事例自体はあります」
「食料不足によるゴブリンの集団移動」
「縄張りを追われたウルフの大移動」
「強力な魔物の出現によって、周辺の魔物が別の地域へ流れ込んだ事例も」
そこで一度言葉を切る。
「ですが、ゴブリン、ウルフ、ブラックファング、オーガ、トロール。」
「生息域も習性も異なる魔物たちが、一度同じ場所へ集まり、そのまま一つの集団として人里を襲った例は見つかりませんでした。」
室内が静まり返る。
「つまり」
ガレスが口を開く。
「自然に起きたものではない可能性が高い」
「可能性は高いでしょう」
エルドは慎重に答えた。
「ただし、まだ断定はできません」
「何者かが魔物を操った可能性」
「我々が知らない生態的な要因」
「考えられることは、まだいくつもあります」
アルフレッドは地図を見つめる。
「何故このような事態が起きたのか」
答えは出ない。
だからこそ。
「調査を続けるしかあるまい」
「はい」
◇
その頃。
王城の一室では、レオとリナが窓の外を眺めていた。
まだ二人がハルト村へ戻る許可は出ていない。
村周辺の安全が完全に確認されるまで、王城で保護されることになっている。
「母さん、大丈夫かな……」
レオが呟く。
「お薬、ちゃんと飲んでるかな」
リナも不安そうだった。
「飲んでるよ」
「昨日、騎士様が薬を届けたって言ってたし」
それでも、自分の目で確かめるまでは心配なのだろう。
その時。
扉が静かに叩かれた。
「どうぞ」
侍女が一通の手紙を手に入ってくる。
「お二人にお手紙が届いていますよ」
「手紙?」
レオが立ち上がった。
差し出された紙には、見慣れた文字が並んでいる。
「母さん!」
二人は並んで手紙を読む。
『レオ、リナへ。
二人が王城で無事に過ごしていると聞いて安心しています。
薬も届きました。
熱も少しずつ下がっています。
村にはまだ騎士様たちが残ってくださっています。
家も少し壊れましたが、みんなで直しています。
だから、焦って帰ってこようとしないこと。
安全になってから戻ってきなさい。
それから――。
勝手に森へ行ったことについては、帰ってきてからきちんとお話しします。』
最後の一文を読んで、レオの顔が引きつった。
「……怒ってる」
リナも青ざめる。
「お母さん、すごく怒ってる?」
「たぶん」
二人はしばらく黙り込む。
やがて。
レオが笑った。
「でも、よかった」
「うん」
リナも笑う。
叱ってもらえる。
それは母親が生きているということなのだから。
◇
昼過ぎ。
剣一郎、悠真、美咲はアルフレッドから呼び出しを受けた。
「休養日に申し訳ありません」
「構いませぬ」
剣一郎が答える。
三人が席につくと、エルドが昨夜の調査結果を説明した。
「前例がない……」
悠真が呟く。
「少なくとも、同じ事例は確認できませんでした」
「じゃあ、やっぱり誰かが――」
悠真はそこまで言って止まった。
ちらりと剣一郎を見る。
「……関わっている可能性もある、ってことですね」
「うむ」
剣一郎が小さく頷く。
「少しは学んだようじゃな」
「昨日、おでこ小突かれたからね」
美咲がくすりと笑う。
アルフレッドもわずかに表情を緩めた。
「その可能性も含め、調査を続けます」
ガレスが説明する。
「ハルト村周辺だけでなく、王都近郊の村にも巡回を増やします」
「同様の異変が起きていないか確認するためです」
「僕たちも調査に行くんですか?」
悠真が尋ねる。
「いいえ」
ガレスは即答した。
「今回は騎士団の仕事です」
「お二人には休養の後、これまで通り訓練を続けていただきます」
「えー」
「何じゃ、その返事は」
「いや、何でもないです」
美咲が笑いを堪える。
◇
その日の夕刻。
王都から離れた深い森。
一本の木の陰に、黒い外套を纏った男が立っていた。
男はしばらく周囲を確認してから、森のさらに奥へ歩き出す。
しばらく進むと、木々の間に古びた石造りの建物が姿を現した。
男はその中へ入る。
薄暗い廊下を進み。
一枚の扉の前で止まった。
「入れ」
中から低い声が響く。
「失礼いたします」
男は扉を開け、中へ入った。
部屋の奥には数人の人物が座っている。
顔は暗がりに隠れて見えない。
そのうちの一人が男に声をかけた。
「報告を」
「はい」
黒い外套の男が片膝をつく。
「ハルト村への襲撃は失敗しました」
「村は?」
「騎士団の救援によって、壊滅には至っておりません」
「そうか」
声には怒りも落胆もなかった。
「トロールは」
男が一瞬だけ言葉を詰まらせる。
「討伐されました」
短い沈黙。
「騎士団長にか?」
「いえ」
「では、誰だ」
「正体の分からない老人です」
「……老人?」
「はい」
男は、自分が見たものを思い返すように続ける。
「白髪で、老齢に見えます」
「ですが、トロールの足を一太刀で断ち、体勢が崩れたところで首を落としました」
「一人で?」
「私が確認した限りでは」
部屋の奥にいる人物が男に尋ねる。
「あなたは同じことができますか?」
男は少し迷ってから答えた。
「いえ、トロールを倒すことはできても、あのような動きは無理です」
「……そうですか」
「その老人の名前は?」
「神崎剣一郎と呼ばれていることまでは確認しました」
「戦場で、騎士団長や同行していた者たちがそう呼んでいました」
「素性は」
「不明です」
「王国騎士ではありません。受命士のようにも見えませんでした。」
「王城側の人間と行動を共にしていましたが、それ以上は。加えて騎士にしては若い男女がいました」
「若い男女」
「はい」
「一人は剣を使い、一人は回復魔法を使っていました」
「名前と素性は?」
「確認できておりません」
部屋の奥にいる人物はしばらく黙り込んでいた。
やがて。
「……それは興味深いですね」
静かな声が落ちる。
「トロールを単独で倒す老人」
「しかも素性が分からない」
「はい」
「王城へ出入りしている理由も不明ですか」
「現在のところは」
「調べろください」
「ただし」
声が低くなる。
「無理に王城へ手を伸ばす必要はありません」
「警戒を強められれば厄介ですからね」
「はっ」
「市井から拾える情報だけで構いません」
「その者たちの名前。普段どこへ出入りするか、誰と行動しているか」
「その程度で十分です」
「承知いたしました。」
「それと」
男が顔を上げる。
「ハルト村には、しばらく近づかないように」
「……はっ」
「あとのことは追って連絡します」
部屋の奥の人物は、静かに告げる。
「まずは王国がどう動くか」
「そして――」
わずかな間。
「神崎剣一郎という老人が、何者なのか」
黒い外套の男は深く頭を下げた。
「承知しました」
◇
男が退出した後、初めから部屋にいた人物たちも出て行く。
薄暗い部屋には、一人だけが残された。
「神崎剣一郎……」
聞いたことのない名。
王国の騎士でもない。
受命士でもない。
トロールを二太刀で仕留めた。
「……何者ですかね」
その問いに答える者はいない。




