第二十六話 おじいちゃん王都に帰還する
翌朝。
ハルト村には、まだ戦いの爪痕が色濃く残っていた。
焼け落ちた家屋。
崩れた柵。
地面に刻まれた無数の足跡。
夜通し警戒に当たっていた騎士たちは、交代で休息を取りながら、村の周囲に残存する魔物がいないか確認を続けている。
村人たちも少しずつ動き始めていた。
「井戸は使えるぞ!」
「こっちの家は屋根が危ない! 近付かないでくれ!」
「負傷者は救護所へ!」
昨日までとは違う。
悲鳴ではなく、人々が村を立て直そうとする声が聞こえていた。
その村外れで――。
ヒュン。
ヒュン。
ヒュン。
朝の空気を木剣が切り裂く。
「九百九十八」
剣一郎が振る。
「九百九十九」
そして最後の一振り。
「千」
木剣がぴたりと止まった。
「……本当にやってる」
後ろから声がする。
悠真だった。
「何じゃ」
「いや、昨日あれだけ戦ったんだから、今日は休むのかなって」
「身体が動かんのなら休む」
剣一郎は木剣を肩へ担いだ。
「動くなら振る。それだけじゃ。」
「相変わらずだなぁ」
悠真が苦笑する。
そこへ美咲も歩いてきた。
「おはようございます」
「うむ」
「二人とも早いね」
「俺はじいちゃんの音で目が覚めた」
「そうだったんだ」
美咲が笑う。
昨日の疲労は、二人の顔にもまだ残っていた。
剣一郎はそんな二人を一瞥する。
「身体はどうじゃ」
「筋肉痛はあるけど、動けるよ」
「私も大丈夫です」
「ならよい」
それだけ言うと、剣一郎は木剣を抱えて村へ戻り始めた。
悠真はその背中を見ながら、小さく笑った。
「心配してるなら、普通にそう言えばいいのに」
「剣一郎さんらしいけどね」
◇
朝食を終えた頃、王都へ戻る者と村へ残る者の振り分けが始まった。
第一騎士団は、ガレスとともに王都へ帰還する。
第二騎士団の一部は、そのままハルト村へ残ることになった。
村の防衛。
周辺の警戒。
焼けた家屋の撤去。
街道の安全確認。
やるべきことは多い。
「少なくとも数週間は警戒を続ける」
ガレスが衛兵隊長へ告げる。
「残った魔物が森へ潜んでいる可能性がある」
「ありがとうございます」
衛兵隊長は深々と頭を下げた。
「騎士団が残ってくださるなら、村人も安心できます」
ガレスは首を横へ振る。
「我々が来るまで村を守ったのは、お前たちだ」
「住民を南側へ避難させ続けた判断がなければ、被害はさらに大きくなっていた」
衛兵隊長は少し驚いたように顔を上げる。
「……ありがとうございます」
「だが、まだ終わったわけではない」
「はい」
「村を頼飲んだぞ」
「お任せください」
◇
そこへ、一人の女性がゆっくりと歩いてきた。
レオとリナの母親だった。
昨日届けられた薬が効いたのか、顔色は多少良くなっている。
それでも完全に回復したわけではない。
「剣一郎様」
女性が剣一郎へ頭を下げる。
「身体はもうよいのか」
「昨日よりずっと楽です」
「ならばよいが、無理をするでない」
「はい」
女性は少し迷ったあと、ガレスへ視線を向けた。
「騎士団長様」
「うむ」
「レオとリナは……まだ王城にいるのですよね」
「そうだ」
ガレスは頷く。
「村の周辺が完全に安全だと確認できるまでは、王城で保護している」
女性はほっとしたように息を吐いた。
「その方が安心です」
目の前には、焼けた家や壊れた柵がある。
いつまた魔物が現れるかも分からない。
「私も、あの子たちにはここが落ち着いてから帰ってきてほしいです」
「二人には、こちらの状況も伝えておく」
「お願いします」
女性は深く頭を下げた。
そして剣一郎を見る。
「本当にありがとうございました」
「礼はいらん」
剣一郎はいつものように答える。
「お主たちが無事ならば、それでよい」
「……はい」
「お主が元気になって二人を迎えてやることじゃ」
女性は目元を少し潤ませながら笑った。
「そうします」
◇
出発の準備が整う。
村の入口には、王都へ帰還する騎士団の騎士たちが集まっていた。
悠真は一度、村を振り返る。
「……すごいことになったな」
美咲も隣に立つ。
「うん」
昨日、初めて到着した時の光景が頭に蘇る。
燃える家。
逃げ惑う人々。
魔物の群れ。
あれほど恐ろしい光景を見たのは初めてだった。
「でも」
美咲が言う。
「助けられた人たちもいた」
「ああ」
悠真は自分の手を見る。
身体強化を使い、瓦礫を持ち上げた。
剣で敵と戦った。
美咲は何人もの傷を治した。
まだまだ未熟だ。
それでも。
何もできなかったわけではない。
「もっと強くなりたいな」
悠真が呟く。
「俺も、もっと人を助けられるように」
「私も」
二人の少し前を歩いていた剣一郎が振り返る。
「急ぐ必要はない」
「じいちゃん?」
「昨日できなかったことが、今日少しできるようになればよい」
剣一郎は前を向く。
「できぬことを数えても始まらん」
「……うん」
悠真は笑った。
◇
一行はハルト村を後にした。
帰路の速度は、救援に向かった時とは比べものにならないほどゆっくりだった。
ただし警戒は解かない。
騎士たちは街道だけでなく、左右に広がる森にも絶えず視線を送っている。
しばらく進んだところで、騎士の一人がガレスへ話しかけた。
「今回の件、陛下にはどこまでご報告を?」
「すべてだ」
ガレスは答える。
「襲撃してきた魔物の種類と数」
「本来の生息域」
「トロールの出現」
「そして、襲撃前に複数種の魔物が一度森の中へ集まっていた痕跡」
「承知しました」
「今回の魔物の襲撃は不自然な点が多かった」
「はい」
ガレスの表情が険しくなる。
悠真が尋ねる。
「やっぱり、誰かが魔物を集めたんですか?」
「それはまだ分からん」
ガレスが答えるより先に、剣一郎が口を開いた。
「証拠はない」
「……そうだった」
「妙なことが起きておる。それだけは確かじゃ」
ガレスが頷く。
「ですから王都へ戻ったら、まずは考えられる可能性を一つずつ調べましょう」
「例えば?」
「魔物に共通するような習性があるのか」
「あるいは、あの周辺の魔物に何らかの異変がなかったか」
悠真は眉を寄せる。
「そんなに」
「調べる前から決めつけるのは危険です」
その言葉に、剣一郎も頷いた。
◇
昼を過ぎた頃。
王都の城壁が見えてきた。
「帰ってきた……」
悠真が安堵の息を吐く。
巨大な城門をくぐる。
街には、いつもと変わらない日常があった。
商人が客を呼び込む声。
屋台から漂う料理の匂い。
走り回る子どもたち。
馬車の車輪が石畳を鳴らしている。
ハルト村で起きた惨状を知らない者も多いのだろう。
悠真はその光景を見ながら、少し不思議な気持ちになった。
昨日、自分たちは命懸けで戦った。
その一方で、ここではいつもの生活が続いている。
剣一郎が言う。
「それでよい」
「え?」
「皆が普通に飯を食い、笑って暮らしておる」
王都の人々を見ながら続ける。
「守るというのは、こういうものじゃろう」
悠真はしばらく黙っていた。
「……そうだね」
◇
王城へ戻ると、一行はすぐにアルフレッドのもとへ向かった。
執務室には国王と魔導師長のエルドが待っていた。
「皆さん」
アルフレッドは立ち上がる。
「よく無事に戻ってくださいました」
「ハルト村は?」
「村そのものは守ることができました」
ガレスが一礼する。
「家屋や施設には大きな被害がありますが、衛兵たちが早い段階で避難を進めたため、住民の被害は抑えられています」
アルフレッドは深く息を吐いた。
「そうか…ハルト村には十分な支援を」
「すでに第二騎士団の一部を現地へ残しております」
「必要な物資も追加で送ろう」
「お願いします」
そしてガレスの表情が変わった。
「陛下」
「もう一つ、ご報告があります」
「聞こう」
ガレスは森で確認したことを、一つずつ説明していった。
複数種の魔物が同時に襲撃したこと。
本来なら生息域の異なる強力な魔物が混じっていたこと。
トロールが騎士団到着後に森から現れたこと。
そして――。
魔物の群れが、襲撃前に森の一か所へ集まっていた痕跡。
アルフレッドの表情が次第に険しくなる。
「……一度別の場所に集まっていたと」
「間違いありません」
「異なる方向から来た魔物の足跡が一か所へ集まり、そこからハルト村へ向かっていました」
「自然な行動とは思えんな」
国王が呟く。
「私もそう考えています」
ガレスが答える。
「人為的な可能性もあります」
アルフレッドは頷いた。
「だが、思い込みで調査の方向を狭めるべきではない」
エルドも同意する。
「まずは前例と、魔物を誘導できる手段の有無を調べます」
「頼むぞ」
アルフレッドはガレスへ向き直る。
「ハルト村周辺には、引き続き警戒を」
「はっ」
「王都周辺の巡回も強化せよ」
「同じことが別の場所で起こらぬとも限らん」
「直ちに」
◇
報告を終えた後。
エルドは王城の書庫へ向かった。
机の上には、魔物に関する書物が次々と積み上げられていく。
魔物の大移動。
縄張り争い。
異常繁殖。
餌の不足による生息域の変化。
魔力環境の急激な変化。
ページをめくる。
「これは違う」
別の書物を開く。
「こちらも……」
時間だけが過ぎていく。
似た事例はある。
森から大量のウルフが移動した記録。
ゴブリンの群れが食料不足によって村を襲った記録。
強力な魔物に縄張りを奪われ、別の魔物が人里へ流れ込んだ記録。
しかし。
「ない……」
エルドはゆっくりと本を閉じた。
ゴブリン。
ウルフ。
ブラックファング。
オーガ。
トロール。
生息域も。
習性も。
何もかも違う魔物たちが、一か所へ集まり、一つの村を襲った。
自然現象として、それと同じ事例は見つからない。
エルドは椅子の背へ身体を預けた。
「やはり……異常ですな」
だが。
異常だと分かっただけだ。
なぜ起きたのか。
誰かが関与しているのか。
何のためなのか。
答えは、どの書物にもない。
だが、ハルト村への襲撃が偶然ではないことだけは誰もが感じていた。




