第二十四話 おじいちゃんの懸念
トロールの巨体が、地面に横たわっていた。
首を失った身体は、もはや動かない。
あれほどの再生能力を持つ魔物であっても、命そのものを断たれれば再生することはできなかった。
だが――戦いはまだ終わっていない。
「第一騎士団! 残る魔物を村から排除せよ!」
「第二騎士団は住民の避難と救助を継続!」
「逃げる魔物は深追いするな!」
ガレスの命令が響き渡る。
「はっ!」
騎士たちが一斉に動き出した。
トロールが倒されたことで、魔物たちの動きには明らかな変化が現れていた。
「ギャッ! ギャギャッ!」
それまで集団で動いていたゴブリンたちが、突然ばらばらに行動し始める。
騎士へ襲いかかる者。
周囲を見回す者。
村の外へ逃げ出す者。
ウルフたちも同じだった。
「……統率が乱れた?」
ガレスが眉をひそめる。
トロールが群れを率いていたのか。
それとも――。
考える暇もなく、ゴブリンが飛びかかってきた。
ガレスの剣が一閃する。
「今は村人の救助が先だ!」
◇
村の東側。
「こちらです!」
衛兵に案内され、悠真と美咲は半壊した家へ駆けつけていた。
「まだ三人、中に取り残されています!」
入口には倒れた太い梁が横たわっている。
その奥から子どもの泣き声が聞こえた。
「お母さん、怖いよ!」
「誰か! 助けてください!」
悠真は剣を鞘へ納めた。
「僕がやります。」
梁の前に立ち、深く息を吸う。
身体強化。
魔力を全身へ巡らせる。
悠真は腰を落とし、両手を梁へ掛けた。
「ぐっ……!」
重い。
腕が震える。
それでも魔力を一定に保つ。
「うおおおっ!」
梁がゆっくりと持ち上がった。
「今です!」
衛兵たちが家の中へ飛び込む。
母親と二人の子どもが次々と救出された。
「全員出ました!」
「よし!」
悠真は梁を下ろし、荒い息を吐く。
「はぁ……はぁ……。」
魔物を倒すためだけではない。
自分が身につけてきた力で、人を救うこともできる。
悠真は握った両手を見つめた。
「悠真君!」
美咲の声がする。
救出された母親の脚から血が流れていた。
「ここへ寝かせてください。」
美咲は杖をかざす。
「ヒール」
淡い光が傷口を包む。
傷が少しずつ塞がっていった。
「ありがとうございます……」
母親が涙を流す。
「無理に立たないでください」
美咲は優しく声をかけると、次の負傷者へ向かった。
悠真も剣を抜く。
「僕はここを守る」
「うん。」
二人はそれぞれ、自分にできることを始めていた。
◇
村の中央では、二体のオーガとの戦いが続いている。
「囲め!」
第一騎士団の騎士たちが一体のオーガを取り囲む。
「グオオッ!」
巨大な斧が振り下ろされた。
二人の騎士が大盾を構える。
だが、正面から受け止めることはしない。
「右へ流せ!」
斧の軌道を盾で逸らす。
体勢を崩したオーガへ、左右から槍が突き出された。
「グアッ!」
太腿を貫かれ、オーガが片膝をつく。
「今だ!」
ガレスが踏み込んだ。
一閃。
首筋が深く斬り裂かれる。
オーガの巨体が地面へ倒れた。
「一体討伐!」
もう一体も、複数の騎士によって追い詰められていた。
先ほどのトロールほど圧倒的ではない。
確かに一体でも危険な魔物だが、熟練した騎士たちが連携すれば対処できる。
やがて二体目のオーガも倒れた。
「オーガ、全個体討伐!」
騎士たちから歓声が上がる。
しかしガレスは気を緩めなかった。
「まだだ!」
「残敵を確認しろ!」
◇
その頃。
剣一郎は北側の森を見つめていた。
先ほどまで木々の奥にあった赤い光。
こちらを見ていた複数の気配。
それを今は感じなかった。
「……退いたか」
逃げた。
そうは感じなかった。
むしろ――。
目的を終えて引き揚げた。
そんな気配だった。
「剣一郎殿」
衛兵隊長が近づいてくる。
「何かありましたか?」
「森に何かがおった」
衛兵隊長の表情が強張る。
「新手ですか?」
「分からん」
剣一郎は静かに首を横へ振った。
「じゃが、妙じゃった」
「妙?」
「獣が獲物を見る目ではない」
剣一郎は森を見据えた。
「こちらの戦いを見定めておるようじゃった」
「……。」
衛兵隊長は思わず森へ視線を向ける。
だが、そこには風に揺れる木々しか見えなかった。
◇
しばらくすると、村に響いていた剣戟の音も次第に消えていった。
「団長!」
一人の騎士がガレスへ駆け寄る。
「村内部の魔物は、ほぼ排除しました!」
「逃走した個体は?」
「北の森へ逃げ込んでいます!」
「追撃しますか?」
「いや」
ガレスは即座に首を横へ振った。
「深追いはするな」
「森の状況が分からない以上、危険すぎる」
「村の安全確保と負傷者の救助を優先する」
「はっ!」
騎士たちはすぐに救援活動へ移った。
負傷者を一か所へ集める。
倒壊しそうな家屋から住民を遠ざける。
持ち込んだ水や食料を配る。
火の消えていない家屋では、衛兵と騎士が協力して消火を続けた。
村には大きな被害が出ている。
それでも、衛兵たちが命懸けで住民を避難させ、騎士団が救援に間に合ったことで、多くの命が救われていた。
◇
「騎士様!」
その時、一人の女性がガレスのもとへやってきた。
顔色は悪く、時折苦しそうに咳き込んでいる。
「大丈夫ですか?」
ガレスが身体を支える。
「はい……」
女性は息を整えると、騎士たちを見回した。
「皆さんは、王都から来られたのですよね?」
「そうです」
女性は安堵したように胸へ手を当てる。
「昨日、王城から伝令の方が来てくださったんです」
「レオとリナが王城で保護されていると……」
その名前を聞き、悠真と美咲が振り返った。
「もしかして……」
悠真が女性へ近づく。
「レオ君とリナちゃんのお母さんですか?」
「はい」
女性は頷いた。
「二人が森へ薬草を採りに行ったと知った時は、生きた心地がしませんでした」
「でも、伝令の方から二人とも無事だと聞いて……」
目に涙が浮かぶ。
「本当に安心しました」
美咲が女性の前へしゃがむ。
「二人とも元気ですよ」
「あなたのための薬も、ちゃんと王城にあります」
「薬……」
女性は口元を押さえた。
「私のために……あの子たちは……」
嬉しさと申し訳なさが入り混じったような表情だった。
そして、ふと思い出したように顔を上げる。
「そういえば、伝令の方から聞きました」
「森で二人を助けてくださった方がいると」
「どなたなのでしょうか」
悠真と美咲の視線が同時に一人の老人へ向かう。
「ん?」
剣一郎が首を傾げた。
女性もその視線を追う。
「もしかして……」
「わしのことかのう」
剣一郎は何でもないことのように答えた。
女性の目が大きく見開かれる。
次の瞬間、深々と頭を下げた。
「ありがとうございました!」
「あなたがいなければ、あの子たちは……」
「気にせずともよい」
剣一郎が静かに言う。
「二人が無事なら、それで十分じゃ」
「ですが……」
「礼なら、元気になって二人に顔を見せてやることじゃな」
女性は涙を拭いながら頷いた。
「……はい」
剣一郎は少し表情を緩める。
「二人とも母親思いの良い子じゃ」
「ただし――」
少しだけ声を低くする。
「少々、無茶をしすぎる」
女性は思わず苦笑した。
「帰ってきたら、しっかり叱ります」
「うむ。それがよい」
剣一郎も小さく笑った。
◇
「少し診せてください」
美咲が女性の前に座る。
杖をかざし、回復魔法を使う。
「ヒール」
淡い光が女性を包んだ。
だが――。
「……」
美咲の表情が曇る。
「どうした?」
悠真が尋ねる。
「怪我なら治せるんだけど……」
美咲は困ったように首を横へ振る。
「病気そのものは治せないみたい」
エルドが頷いた。
「回復魔法は万能ではありませんからな」
「傷を塞いだり、身体の回復を促したりすることはできますが、病の種類によっては薬が必要になります」
女性は申し訳なさそうにする。
「大丈夫です」
「二人が無事だと分かっただけで……」
「落ち着いたら、二人を送り届けよう」
ガレスが答える。
女性は再び深く頭を下げた。
◇
少し離れた場所。
ガレスと剣一郎は、再び北の森を見つめていた。
「剣一郎殿」
「うむ」
「此度の襲撃……どう思われますか」
剣一郎はすぐには答えなかった。
ゴブリン。
ウルフ。
ブラックファング。
オーガ。
そしてトロール。
本来なら同じ群れを作らない魔物たちが、同時に一つの村を襲った。
しかも、騎士団が到着した後にトロールが現れた。
「偶然ではあるまい」
剣一郎が答える。
「私もそう思います」
ガレスは拳を握る。
「誰かが魔物を操っている……」
「そこまでは分からん」
剣一郎は静かに言った。
「証拠もないうちから決めつけるのは早い」
「ただ――」
北の森を見据える。
「何者かが、この戦いを見ておった」
ガレスの表情が険しくなる。
「我々を……?」
「あるいは――」
剣一郎は刀の柄へ手を添えた。
「わしらの力を、見定めておったのかもしれんな」
風が吹いた。
森の木々がざわめく。
しかし、そこにはもう赤い光も、何者かの姿もない。
残されているのは。
焼けた村。
倒された魔物。
そして――。
答えのない疑問だけだった。




